波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

昭和20年8月14日夜の関東・東北空襲と宮城事件

2005-08-20 13:30:38 | 雑感
 先週末のhome-networkingと電脳に係わる機器故障によって網誌の更新が不連続なり,予定していなかった「盆休み」状態が出来してしまった.昨日なんとか現状回復となったが,有線放送・網路接続会社の対応を見ていると,近日中にまた不都合で電話ということになりそうだ.
 ところで,「築地をどり」の夏季興行千秋楽となっている8月15日の前日,網誌「ヒロさん日記」の記入で米軍による地方都市の空爆その他が扱われていた.この記入を読んでいて思い出したのが,昨年だったと思うが米国の歴史番組専門の有線放送The History Channelで放映された"The Last Mission"だった(http://store.aande.com/html/product/index.jhtml?id=71239).この番組は,Jim Smithと Malcolm Mcconnellによる同名の単行本"The Last Mission: The Secret History of World War II's Final Battle"を下敷きに日米双方の証言・資料を随所に挿入したdocudrama仕立てだった.当然のことながら,日本側からは「日本のいちばん長い日―運命の八月十五日」の著者である 半藤 一利氏の証言も挿入されていた.
 「ヒロさん日記」で紹介されていた網誌「uumin3の日記」の8月6日の記入で,昭和20年8月14日夜の米軍による秋田市の石油施設空爆が述べられているが,上記番組名にあるthe last missionとは此の秋田の他関東での空爆を指している.8月14日の空爆に投入されたB29B編隊の一機Boomerangに搭乗の無線通信員による任務遂行記録と,宮城(きゅうじょう)のほか帝都で進行していた終戦に向けての鬩(せめ)ぎ合い,特に陸軍中枢における継戦派の策動を時系列に織り交ぜて,8月14日から翌日にかけての動きを追っている.この陸軍中枢における継戦派の策動は通称「宮城事件」と呼ばれ,2.26事件同様,鉄砲玉になった者についての記録は比較的詳しく残っているが,鉄砲玉の後ろに控えていた連中については謎が残り,いろいろな推理が出されている.前掲書の視座は,8月14日夜のB29編隊帝都接近で空襲警報が発令され,当時,第三の原爆投下の標的地は帝都という噂があり,長時間の送電中止による完全灯火管制が布かれ,このため宮城内の街路灯が消えてしまい,終戦の詔書の録音に御文庫から自動車で宮内省に向かわれた陛下や音盤関係者の動向を,宮城内にいた叛乱派とされる芳賀豊次郎近衛歩兵第二聯隊長率いる近衛歩兵第二聯隊主力が正確に把握できず,叛乱派よる策動の足を引っ張った,という見方だ.もし8月14日夜の空爆がなければ,宮城事件の展開はどのようになっていたか,特に叛乱派が前述音盤の奪取に成功していれば,どのような終戦の形になっていたのか,少なくとも,現在記録されている以上の軍末端での抗命事件が出来していたことは間違いないだろうが.
 因みに,前掲の番組は,米国では同放送局で来月29日(木)朝8:00(東部時間)に再放送される予定らしい.
 
註:
宮城事件については,以下の網站が詳しい:

宮中事件研究室
http://kyuujoujiken.hp.infoseek.co.jp/index.html

網站「第一次大戦」を主宰している別宮暖朗氏は,以下の網頁で,宮城事件,特に,阿南陸相の振る舞いについて,従来の見方とは異なる推理を最近展開している:

「ある陸軍省軍務局課員の阿南支持」(http://ww1.m78.com/topix-2/army%20officers.html)

特に,「竹下正彦の陳述」(http://ww1.m78.com/topix-2/takeshita.html)では,天皇陛下に対して諫争も辞さない継戦派将校達の思想上の支えであった東京帝国大学教授平泉澄について,皇国史観の領袖とみなされている彼の史学が,法よりも道を尊重する「漢(から)」の思想に汚染されている,と批判されている部分は興味深い.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/20/2005/ EST]