波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

「留学」の中身 医学系の場合 その二

2005-08-17 18:25:16 | 雑感
 米国の場合,学位取得を目的としない研究中心の留学の中身を判断する材料として,受け入れ先から報酬が払われるかどうかが一つとして挙げられる.非医学系の自然科学系博士号(Ph.D.)取得者が自分のやりたい主題について研究するため留学する場合,広告・人伝その他で受け入れ先を探し,日本からの資金援助が全く無い場合は,受け入れ先から生活できる給料を支給してもらえるように交渉することになる.このような待遇交渉過程にはそれなりの英語力が不可欠となり,英語力・交渉力が無ければ,最悪の場合,無給あるいは医療保険のみ提供で日々の生活資金に事欠く奴隷奉公になりかねない.
 医学部系の研究員留学でよく見られるのが,米国の受け入れ側と日本の研究室との間になんらかの提携関係があり,研究の内容は兎も角,留学の実績を積むことの方に主眼を置いた奉公型だ.このような形の場合,日本における企業と大学間の内地留学と同じように,日本から米国の受け入れ先に研究員を送り込む際には,日本からの持参金・土産は当然のことと見做され,研究員の渡米中の生活費も大抵自弁だ.奉公型留学は,長年扱き使われて来た若手医局員への報奨休暇を兼ねたものという色合いが濃く,無給の留学の場合は,家が資産家でもない限り,渡米前にあれこれ荒稼ぎして渡米中の生活資金を工面しなくてはいけない.
 さて,このような渡米前の慌しさを乗り越えて受け入れ機関に辿り着いた後,留学生活を第一に左右するのは,乞食でも喋れる「英語」の力と職場その他での人間関係の形成の巧拙となる.印度人の訛った英語でも,彼ら特有の粘液質的な押しの強さによって流石の米国人も辟易してしまうように,聴解力・語彙は兎も角,発音が今一つでも,自分の意思を英語で相手に伝えて説得できるかどうかによって留学生活の明暗が分かれてしまう.洋の東西を問わず,医学部・medical schoolは一種独特の相撲部屋体質で堅持されている.日本の大学は大抵同じと思われるが,医学部が他の学部とは一線を画して独自の学園祭を催しているところが結構ある.貧乏な他学部の連中とは余り関係を持ちたくないという医学部治外法権的価値観が為せる業だ(因みに,米国は医師養成課程を大学院段階に置いているので,日本ほど,医者の世界がそれ以外と隔離してはいように思われる).このような日本の医学部治外法権的価値観は医学部関係者の日頃の交際範囲を内に向かって閉じた形にしているが,海外留学はこの引き籠りを往々にして弾け飛ばしてしまう.英語が碌に喋れない・聞き取れないため,受け入れ先で,英語より西班牙語の方が上手な中南米移民の掃除人並み,或いはそれ以下の存在として扱われ,渡米前「先生,先生」と呼ばれていた頃との落差で,屈辱感に苛まれ,日本での出世のための「苦行」としての留学が終わることを一日千秋の想いで待つような場合もある.正に,たかが英語,されど英語,なのだ.受け入れ先を自分で選択した留学者の場合は,受け入れ先が期待外れと分かった段階で,他のましな処へ移ることが可能だが,研究室間の提携で日本から研究員を定期的に送り込んでいる奉公型留学の場合,個人の意思では勝手に動けない=研究室の体面を守らなくてはいけない=研究室の掟を破れば帰国後に仕置はあっても報奨はない,という相撲部屋的縛りがあるので,奉公の年季が明ける前に研究を投げ出して尻尾を巻いて帰国することや他所に移ることは不可能となる.日本からの奉公型留学が米国のmedical school系で歓迎されてる背景には,日本人の従順・生真面目さ,質に大きなばらつきが無いなどの要因の他に,このような医学系独特の留学形式に因る理由もあるのだ.米国に居残る事が本音の支那系や印度系の留学生と違い,あれこれ文句を垂れることもなく従順で,奉公の年季が終わると後腐れなく本国に帰国して,米国人の求職競争相手にならない日本人研究員は,米国medical schoolにとって,これ以上の上客の留学生はいないと言えよう.
 旦那が医学系の研究員留学となったため専業主婦として同伴渡米した奥様達は,医学系の留学者が多い処では,前述の医学部治外法権的価値観を米国まで持ち込んで,独自の社会を形成している.留学先の選択が研究の中身よりも,受け入れ先のmedical schoolの名声の方が主な決め手になっている以上,特定の箇所に留学先が集中することは避けられず,波士敦もその一つとなっている.旦那同様,英語ができて外向的な性格であれば米国での留学生活を外に向かって色々満喫できるのだが,内向的で英語も駄目というような場合,前述の独自の社会内での派閥活動に参加するしかないようだ.
 勿論,自分で留学先を見つけて給料を受け入れ側から出してもらえた独立独歩の研究員の方が,奉公型の研究員よりも影響力のある上質の研究を残せるというわけでもない.人生における休暇として留学した者と一人前の研究者として独立するための修行として渡米した者との間には,確かに,研究に対する姿勢において明らかな差異はあるが,学会で評価される研究のためには,研究員本人の努力・姿勢だけでなく,受け入れ研究室の環境,そして運などの条件が揃うことが不可欠であることは言うまでもない.
註:米国の場合,医師,法律家等の専門家養成は,学部段階ではなく,学士取得後の大学院段階で行うことになっている.即ち医師になる連中も大学4年は医者にならなかった連中と同じ学部教育を経ていることになる.
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