波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

「留学」の中身 医学系の場合 その二

2005-08-17 18:25:16 | 雑感
 米国の場合,学位取得を目的としない研究中心の留学の中身を判断する材料として,受け入れ先から報酬が払われるかどうかが一つとして挙げられる.非医学系の自然科学系博士号(Ph.D.)取得者が自分のやりたい主題について研究するため留学する場合,広告・人伝その他で受け入れ先を探し,日本からの資金援助が全く無い場合は,受け入れ先から生活できる給料を支給してもらえるように交渉することになる.このような待遇交渉過程にはそれなりの英語力が不可欠となり,英語力・交渉力が無ければ,最悪の場合,無給あるいは医療保険のみ提供で日々の生活資金に事欠く奴隷奉公になりかねない.
 医学部系の研究員留学でよく見られるのが,米国の受け入れ側と日本の研究室との間になんらかの提携関係があり,研究の内容は兎も角,留学の実績を積むことの方に主眼を置いた奉公型だ.このような形の場合,日本における企業と大学間の内地留学と同じように,日本から米国の受け入れ先に研究員を送り込む際には,日本からの持参金・土産は当然のことと見做され,研究員の渡米中の生活費も大抵自弁だ.奉公型留学は,長年扱き使われて来た若手医局員への報奨休暇を兼ねたものという色合いが濃く,無給の留学の場合は,家が資産家でもない限り,渡米前にあれこれ荒稼ぎして渡米中の生活資金を工面しなくてはいけない.
 さて,このような渡米前の慌しさを乗り越えて受け入れ機関に辿り着いた後,留学生活を第一に左右するのは,乞食でも喋れる「英語」の力と職場その他での人間関係の形成の巧拙となる.印度人の訛った英語でも,彼ら特有の粘液質的な押しの強さによって流石の米国人も辟易してしまうように,聴解力・語彙は兎も角,発音が今一つでも,自分の意思を英語で相手に伝えて説得できるかどうかによって留学生活の明暗が分かれてしまう.洋の東西を問わず,医学部・medical schoolは一種独特の相撲部屋体質で堅持されている.日本の大学は大抵同じと思われるが,医学部が他の学部とは一線を画して独自の学園祭を催しているところが結構ある.貧乏な他学部の連中とは余り関係を持ちたくないという医学部治外法権的価値観が為せる業だ(因みに,米国は医師養成課程を大学院段階に置いているので,日本ほど,医者の世界がそれ以外と隔離してはいように思われる).このような日本の医学部治外法権的価値観は医学部関係者の日頃の交際範囲を内に向かって閉じた形にしているが,海外留学はこの引き籠りを往々にして弾け飛ばしてしまう.英語が碌に喋れない・聞き取れないため,受け入れ先で,英語より西班牙語の方が上手な中南米移民の掃除人並み,或いはそれ以下の存在として扱われ,渡米前「先生,先生」と呼ばれていた頃との落差で,屈辱感に苛まれ,日本での出世のための「苦行」としての留学が終わることを一日千秋の想いで待つような場合もある.正に,たかが英語,されど英語,なのだ.受け入れ先を自分で選択した留学者の場合は,受け入れ先が期待外れと分かった段階で,他のましな処へ移ることが可能だが,研究室間の提携で日本から研究員を定期的に送り込んでいる奉公型留学の場合,個人の意思では勝手に動けない=研究室の体面を守らなくてはいけない=研究室の掟を破れば帰国後に仕置はあっても報奨はない,という相撲部屋的縛りがあるので,奉公の年季が明ける前に研究を投げ出して尻尾を巻いて帰国することや他所に移ることは不可能となる.日本からの奉公型留学が米国のmedical school系で歓迎されてる背景には,日本人の従順・生真面目さ,質に大きなばらつきが無いなどの要因の他に,このような医学系独特の留学形式に因る理由もあるのだ.米国に居残る事が本音の支那系や印度系の留学生と違い,あれこれ文句を垂れることもなく従順で,奉公の年季が終わると後腐れなく本国に帰国して,米国人の求職競争相手にならない日本人研究員は,米国medical schoolにとって,これ以上の上客の留学生はいないと言えよう.
 旦那が医学系の研究員留学となったため専業主婦として同伴渡米した奥様達は,医学系の留学者が多い処では,前述の医学部治外法権的価値観を米国まで持ち込んで,独自の社会を形成している.留学先の選択が研究の中身よりも,受け入れ先のmedical schoolの名声の方が主な決め手になっている以上,特定の箇所に留学先が集中することは避けられず,波士敦もその一つとなっている.旦那同様,英語ができて外向的な性格であれば米国での留学生活を外に向かって色々満喫できるのだが,内向的で英語も駄目というような場合,前述の独自の社会内での派閥活動に参加するしかないようだ.
 勿論,自分で留学先を見つけて給料を受け入れ側から出してもらえた独立独歩の研究員の方が,奉公型の研究員よりも影響力のある上質の研究を残せるというわけでもない.人生における休暇として留学した者と一人前の研究者として独立するための修行として渡米した者との間には,確かに,研究に対する姿勢において明らかな差異はあるが,学会で評価される研究のためには,研究員本人の努力・姿勢だけでなく,受け入れ研究室の環境,そして運などの条件が揃うことが不可欠であることは言うまでもない.
註:米国の場合,医師,法律家等の専門家養成は,学部段階ではなく,学士取得後の大学院段階で行うことになっている.即ち医師になる連中も大学4年は医者にならなかった連中と同じ学部教育を経ていることになる.
©2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/17/2005/ EST]

故黒羽茂氏の日英同盟・日米外交に関する著作について

2005-08-16 23:40:25 | 読書感想
 最近日英同盟成立前後の日本外交に関心を持つようになり,あれこれ情報に当たっていると,別宮暖朗氏の網站「第一次大戦」(http://ww1.m78.com/index.html)で日英同盟に関する網頁があり,故黒羽茂氏の著作が参考文献として挙げられていた.そこで図書館で彼の著作を調べてみると,黒羽氏は東北大の教授で,前述の網頁上に列挙されていた『日英同盟の軌跡』上下巻(1987年刊)は,1968年に出版された『日英同盟の研究』を基に書き上げられたものであることが分かった.即ち,『日英同盟の軌跡』上巻が『日英同盟の研究』と重なりあっている.また,1974年刊の『日米外交の系譜』は1968年出版の『太平洋をめぐる日米抗争史』とほぼ内容が重複していた.日米開戦の原因を分析した章を前者の方で読んでみたが,海南島占領については全く言及されていなくて,後者の巻末にある「日米関係年表」においても同島占領は昭和14(1939)年の欄には書き込まれていなかった.やはり,戦後流布した「常識」の影響から逃れられなかったのか,地政学あるいは地理学的な視点からの考察が不十分だったのか,それとも旧日本海軍の南進計画についての資料・情報が身近になかったためだろうか.黒羽氏は明治41(1908)年生まれで東京帝大文学部西洋史学科卒のなので,単なる市井の一庶民としてではなく,少壮歴史学者として大東亜戦争の推移を同時代的に把握できたはずなのだが.
©2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/16/2005/ EST]

「留学」の中身 医学系の場合 その一

2005-08-15 23:20:05 | 雑感
 先週末は予想を超えた電脳周りの故障その他で,電脳・網路を基盤とした生活が一時的に不可能になった.そのような折,日本からの電話で,田中真紀子衆議院候補に波士敦内のとある大学病院所属の日本人が自民党からの対立候補として擁立されたことを知った.日本ではここ数年政治家の履歴書における「留学」の中身がいろいろ問題になっているようだ.米国の高等教育機関の場合,日本の在学・退学の概念が対応しないというか,確かに何か不祥事を起こして放校処分を受けて大学と縁が切れるということがあるが,入学後暫く在籍,その後数年中途休学,そして取得済みの単位を持って別の大学に編入する,というような単位取得方法が可能で,大学に在籍することは手段でしかなく,学位取得に向けての単位が規則通り積み上げられているか,ということに主眼を置いている.このような米国大学の裏にある価値観・規則・不文律は日本のそれとは必ずしも一致しないわけで,日本の報道機関による政治家学歴批判の中には的外れ的なものも結構あった.
 前述の立候補予定者は医学系留学だが,平均的日本人がよく思い違いしているのが,日本の医学部から米国のmedical schoolに留学している日本人医師が米国で「臨床」に関わっている,というものがある.日本の病院を舞台とした現代劇で,ある登場人物を退場させる場合よく使われるのが,当人が米国等に留学することになった,という形だ.世界的に見て,旧植民地の発展途上国でもない限り,他国で取得した医師免許を無試験で自動的に自国内で認めるようなことはないと思われるが,米国の場合,米国内の医師免許を持っていない限り,本国で医師免許を持っている留学生が米国内で診療行為におよぶことを原則的に禁じている.よって,日本人の医学系の留学は,先の例外のような場合を除き,「臨床」ではなく「基礎」に限定されることになり,日本の医学部外科からの留学医師が米国の病院で執刀するということは原則的にありえない.
 日本の医学部からの留学はこのように基礎研究に従事ということになるので,単位取得・学位取得を目指して留学した学生と違い,TOEFLなどのような全世界的英検得点等を使った受け入れ側による英語力での篩い落しがない.換言すれば,英語力が無いにもかかわらず,履歴書に「留学」の一行を入れるために,米国に来ている連中がそれなりに存在する.では,なぜ英語力もなく,留学先の米国の社会・文化について碌に勉強もしないで,米国のmedical schoolへの飛び込み留学が可能になるのだろうか.
(以下,その二に続く)
 ©2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/16/2005/ EST]

米国の郵便服務

2005-08-12 23:47:15 | 雑感
 先日当網誌で触れた岡田益吉著『危ない昭和史』上下巻がSAL便で届いた.米国の郵便服務の粗雑さに対してそれなりの免疫が出来ていると思っていたが,届いた包みを見て思わず絶句してしまった.舗装道路或は混凝土(concrete)打ちっぱなしの床等の荒い表面に対して包みを引き摺ったため,郵送用の包装紙,その内側の塑料袋(plastic bag)は勿論,上製本の表紙の布,芯の厚紙,背に貼り付けてある寒冷者紗を擦り切り,見返し迄達する擦り傷を下巻の耳・みぞの部分に与えていたのだった.日頃,郵便配達員が郵便物の入った布袋を歩道上で引き摺っているのは知っていたが,自分宛の書籍があのような荒い扱いで被害に遭うとは思いもよらなかった.
 以前の記入で述べたように,米国人に対して,日本での常識的物の扱いを期待してはいけない.郵便服務もその一つで,雨や雪で濡れた床に郵便物を置いたり,雨中・降雪中に郵便物を置き去りにして水浸しにするのは序の口だ.或る知人はCoachで買った数ダースの土産用革製品を簡単な紙包みで日本に郵送したが,運悪く米国内で水をかぶり,日本に届いた時には,革に浸水の痕が確りついてしまったいたそうだ.よって,自衛のために濡れてはいけないものは必ず透明な塑料袋で包装する事が不可欠だ.この点については周知徹底していたつもりだったが,道路等の硬い表面に擦り付けられるというような事態は余り真剣に考えていなかった.今後は水に強く破れにくいタイベックス紙(Dupont社製の登録商標Tyvek)での包装を依頼するしかないようだ.
 日本では郵政公社民営化が選挙の争点になっているが,米国の郵便服務も国営から公社へと経営形態を変えて経営の合理化を進めて来たが,日本とは違い貯金・保険関係を扱っていないので,赤字が続いている.経営学的に言うと,軍隊的な古典的経営が長く続いたことや,服務対象人口数の大きさ・地理的服務領域の広さという自重によって小回りが利きづらいことが背景にある.また,米国で職場での刃傷沙汰といえば「郵便局」を連想するほど,職場での人間関係の問題で銃撃事件がよく発生し,労務管理にも問題があることは間違いない.
 日本では法律の関係で実行不可能かもしれないが,米国では,郵便代行窓口業が存在する.有名なものが,小包配達等で全米最大手のUPS(日本のヤマト運輸と提携している)系列のMail Boxes Etc.(MBE)(http://www.mbe.com/)だ.郵便局が近所にない地区や郵便局と民間業者双方で物を送らなくてはいけない場合此処にいけば二箇所回らず一箇所で済むため,上乗せ手数料は取られるが,此処で済ませるという客も多い.小包配送での頽勢を挽回するため,郵便局はDHLと提携して末端の配送部分を担当するというような官民提携も最近生まれている.
 米国では一弗の硬貨が流通しているが,小銭を嫌がる米国人の気質もあって(店頭で釣銭を受け取らない者も結構いる),日常的にお目にかかることは殆ど無い.米国で最も利用頻度が高い25分(cent)硬貨と似た外観で混乱を招いていことから,数年前,金貨に変わった.その際一時的に取沙汰されたが,結局昔の状態に戻ってしまった.この一弗硬貨が日常的に使われている唯一の例外が,何を隠そう,郵便局の切手自動販売機なのだ.米国の自動販売機の場合,釣銭を札で出す機能がないものがほとんどで,よって一弗以上の釣銭は大抵一分硬貨等の組み合わせになるのが普通だが,郵便局の当該自動販売機は一弗硬貨を使うようになっている.一弗金貨になって厚みが倍近くになったので,数弗分を当該金貨で戻されると,財布がずっしり重くなり,ますます日常での流通を下げている.銀行のATMや自動販売機が盗まれるのが当たり前の米国では,今後とも高額硬貨の利用は進まないと予想され,一弗金貨は家の引き出しに記念物として眠ったままの状態が今後とも続くにちがいない.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/12/2005/ EST]

Tsuyoshi HasegawaのRacing the Enemy(2005)を捲って

2005-08-11 22:49:18 | 雑感
Tsuyoshi Hasegawa著"Racing the Enemy: Stalin, Truman, and the Surrender of Japan"が太田述正氏の網誌(http://ohtan.txt-nifty.com/column/)で8月2日から3日にかけて掲載された「原爆と終戦」(#819-821)で取り上げられていた.Hasegawa氏は,当網誌の5月2日付の記入で触れた米PBS放送のVictory in Pacificにも識者として登場していて,同番組の終戦に至る経緯の部分は彼の同書に依っていたようだ.同書では8月15日ではなく9月2日をもって日本の終戦と認識し,降伏文書署名後も続いた千島列島でのソ連による火事場泥棒的占領についても紙幅を割いている.北方領土云々と主張を続けるのであれば,本土での戦闘の記憶継承を沖縄で止めるのではなく,8月から9月まで続いた千島列島での戦闘まで含めるべきだ.しかし,何分8月15日の終戦の詔書の放送以降の事なので,北海道は兎も角,他の地域に住む日本人には,先の大戦は8月15日で終戦という「認識」の檻から未だ抜け出せないままだ.前述のPBSの番組での発言,そして同書中の昭和天皇についての記述から判断すると,日系とは言え所詮米国人であるのか,日本の歴史,特に近代における天皇と臣民の関係を理解していないのではないか,共和制の下で育った者の立憲君主制への偏見が何と無く窺われてならなかった.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/11/2005/ EST]

今夏の小泉首相の靖国参拝

2005-08-10 07:46:23 | 雑感
 月曜日の衆議院解散以来,小泉首相の評価について各網誌は呻吟(しんぎん)している.勿論,清水の舞台から飛び降りる決意で一刀両断の立場をとるものもあるが,大抵のものが玉虫色になっている.自らの評価基準からすると,評価できるところと,できないものが混交していて,如何ともしがたい,という趣だ.
 来週の月曜日は8月15日で,果たして小泉首相は当日靖国神社に参拝するか,どうかについてもあれこれ揣摩臆測が飛び交っている.保守系の網誌の場合,9月11日の選挙で勝つためには,15日の参拝は不可避という予想が有力だが,ある網頁(出典失念)では,連合政権の提携者である公明党の顔を立てて,参拝しないのではないか,という予想があった.選挙に政権の命運を賭けた以上,支那が,形振り構わず金に任せて,永田町,特に媚支候補の買収の為に闇選挙資金を提供するというような破天荒な選択を取らない限り,小泉側にとって最大の関心事項は,国外という外野からの野次ではなく,来る選挙で間違いなく勝利を導いてくれる国内の組織力・動員力となる.よって,従来の安全保障政策上の選択で明らかになっているように,靖国参拝で公明党内の左派を刺激して,中央笛吹けど地方踊らず的な手抜きの選挙活動をやられないように,小泉側は公明党に妥協するするしかない.確かに,15日に参拝しないことで保守・中間層の期待を裏切り,自民党への投票数が減少することは十分考えられるが,15日参拝を外して彼等を落胆させても,自民党としては元々投票率が高くなると不利な傾向にあるので,彼等が抗議票を民主党に入れない限り大丈夫(靖国神社参拝が最重要課題と見做しているような投票者は,旧日本社会党左派の毒の回った民主党に元々投票することはありえない筈).即ち,毒饅頭ならぬ毒煎餅の毒(投票動員力)は既に自民党を「病膏肓に入る」的状況に追い込んでいるという症状分析だ.
 来週15日の首相参拝は,結局,来月の選挙において公明党の動員力を小泉側がどの様に値踏みするかによって決まるのではないか.勿論,『嫌韓流』の売れ行きに見られるように,首相の靖国参拝について今の若者の関心は高いと言えるが,如何せん,彼等には投票の実績が無いため,選挙に勝つことが本義である選挙参謀からは,前例に従い,期待できない層として軽視されるのではないか.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/10/2005/ EST]

米国での散髪:米国人の手仕事観

2005-08-08 23:33:34 | 米国事情
 今日は3ヶ月ぶりの散髪屋だった.米国での散髪屋体験は北東部の2州だけしかないが,日本のall-in-one服務,即ち,調髪,洗髪,髭剃り他を全て含めたものが標準であるのに対して,米の場合は,調髪のみが標準で,洗髪,髭剃り他は別料金となる.勿論日本同様,髪型にこだわる連中は,理髪店ではなく,高い料金を払って美容院に行くことになる.切った髪の毛の後始末もいい加減なもので,襟元・頭その他に髪の毛が残ることになるが,平均的な米人客は全く気にしないようだ.以前触れた,教科書・帳面が雨に濡れも,土足の床に寝転がっても平気という感覚と同系統になるだろう.洗髪も髭剃りも自宅で自分で出来るのだから,金を払ってまでやってもうらうものでは無い,という認識・金銭感覚に由良するのもかもしれない.
 米国人の手仕事振りや手仕事に対する認識をあれこれ観察していると,日本の「匠」というか,「何々の手仕事に神業を見た」云々というような手仕事にauraを感じる.或は神秘的なもの見出すことが米国人には無いのではないかという印象を持つ.換言すれば,特定の個人でしか出来ない手仕事は確かあるかも知れないが,基本的に技術は万人に伝授可能であり,特により良い機械の発明・工夫によってそれは実現可能だ,という万人平等主義的な技術観だ.この背景には,農作業・大工仕事・漁猟その他何でも集団で助け合って生き延びてきたという旧大陸からの入植者の伝統があると思われる.また,21世紀の現在でも,米国の家庭持ちの男にとって大工仕事他を見事にこなせることが望ましい父親像の一つであるのも,この名残かも知れない.
 この万人平等主義的な技術観辺りが,先の大戦において日米間の総動員の差異を生んだ遠因ではないか,と思われてならない.即ち,限られた時間の枠内で,如何に大量の技師,通訳,操縦士を効率よく養成するか,という課題が与えられた場合,日本的な職人観からすると,全ての職人に神業を求める或は求道者的な姿勢を要求するが,そのようにして獲得した技能は門外不出的な扱いになり,ある熟練工が生み出した高度な技能を他の職工全てが共有して職工全体,産業全体の技能の更なる底上げを図るというような姿勢が生まれにくいのではないか.各界に名人・達人は確かに存在していたが,全体でみると技能のばらつきが大きく,粒揃いになっていなかったのではないか.
 現在の日本車の信頼性は此の様な神業的なものへの拘り無しには考えられない.簡単に実現可能な所に目標を設定してそれで十分とするような姿勢では,確かに日本車が要求している精度を満たすことは不可能に違いない.しかし,時間的制約を超過して納期を逸して神業的なものを達成することよりも,所与の時間的制約内で使用に十分耐えるものであれば十分という時間的縛りが重要な物事においては,米国的な最低限の条件満足ならば可という仕事のやり方の方が秀でているのは言うまでもない.細部に拘り全体を見失うという日本人にありがちな失敗は,此の様な職人観や手仕事に対する神秘感と表裏一体のものではないだろうか.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/08/2005/ EST]

日本の金銭感覚・交渉力

2005-08-07 10:40:46 | 雑感
 山村明義氏の網誌(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/)を覘いたところ,8月7日付の記入に「ディスカバリー号の国際政治学」(http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632/1698406#1698406)というものがあり,日本がスペースシャトル計画等で米国に収めている上納金に対する見返りが少なく,[スペースシャトルの飛行には軍事目的の機密扱いのものがあり,それらの回で得た]軍事情報も原則的に日本はお零れに与れないことになっているそうだ.オウム真理教関連の企業に国防関係の仕事を発注したり,敵対国の間諜を日本内で闊歩させて拉致・誘拐を許しているだけでなく,他国に籠絡された政治家を国会に送り出したり,霞ヶ関で報道媒体関係者が官僚の机上の書類を捲ることを「報道の自由」で黙認していたりするなど日本側の安全保障制度上の不備等により,日本を対等の軍事同盟国として認知できないという「正論」を米国から噛まされたならば反論できないのは当然だ.これも米国から中途半端に独立し,その後,世界の常識の「独立国の条件」を法的に満たす政治的努力を怠り,経済的復興のみに驀進した昭和35(1960)年以降の日本の選択の負の遺産だ.
 また,国連の負担金に見られるように,国際的な計画に対する下手な金の使い方で御茶を濁している日本政府の金銭感覚・交渉力も,大阪市などで発覚している自治体の放漫財政同様,批判されて当然と言える.日本人は,米国と比較して,自分達の納めた税金の使われ方に対して非常に淡白というか,騙されて泣き寝入りしているというか,より上手な公金の使われ方などへの要求・執着心が希薄と言える.勿論,日本国内でも関西と関東以北では「金」に対する拘りというか認識の違いが見られる.後者では財・服務をより安く買う努力が何と無く格好悪い,下品な行為と見做されがちだ.米国内でも,雇用時の給料・待遇の交渉において,男女間に差があり,女は男と比較して「これだけですか?」という駄目元の念を押すことを怠りがちと言われている.
 此の様なより安く物・服務を手に入れるという人の意志が欠落しているだけでなく,口八丁でより安い価格・より良い条件を引き出す,という日々の実践の場が少なくなっているのも事実だ.御気楽な定価による小売販売に慣れてしまい,売り手との間の交渉次第で値段が動的に決まるというような体験が日々の生活から殆ど消えてしまった今の日本では,ヤオフク辺りで交渉力=値切り力を蘇生させるしか手立てがないのかも知れない.人間が生きていくためには,食べること,調理が不可欠で,調理をするためには,前提として,食材の調達が不可欠だ.義務教育の家庭科では調理を習うことになっているが,これに家庭経済的な側面を付加して,人間として生きていくための基本的な一能力としての物の売り買い能力=交渉力を鍛える授業,即ち,売り手と買い手に分かれての食材生産・購入の交渉・売買ゲームというようなものがあってもよいのではないか.昨今話題の総合学習の科目ならば此の様な複雑な主題も取り扱えるように思えるが.
 日本で自動車を買ったことが無いのであれこれ言えないが,米国では,自動車の購入が消費者の交渉力が試される重要な機会の一つとなっている.販売店間に顕著な販売格差が存在し,また自動車という物の単価が高いため,日々の食材等の値切りとは違い,事前の情報収集等や交渉力の巧拙如何によっては数千弗の出費の差となってしまう.最近は網路上での価格情報提供が進んでいるが,実際の販売価格はキャッチバー的な販売店の店頭に赴き,客にへばり付くだけでなく複数で取囲んで客をその場で落とそうとする販売員の連係説得を跳ね返し,此れを複数店舗を回って入手するしかない.この自動車購入をめぐる交渉・値切りは自動車が根幹を成している今の米社会にとって一つの通過儀礼だが,日本には此れに相当するようなものが果たして存在するだろうか.

註:
佐藤守氏の網誌の8月5日付記入(「税金泥棒は誰だ!」(http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050805/1123205611))で言及されている[同盟国である米国よりも]中共への忠誠度を自慢している趣の政治家を,衆議院議員として選出しているだけでなく,衆議院議長に祭り上げて余り疑問に感じない状態が続くようであれば,米国から対等の提携国としてまともに扱われないのは当然の報いと言えよう.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/07/2005/ EST]

使用済への敏感度 その二

2005-08-06 00:20:24 | 雑感
 米国の集合住宅居住者の引越は日本の其れと幾つかの点で異なっているが,特に目立つのが白物家電に関するものだ.日本の場合,集合住宅は一般的に家具その他が全く無い状態で賃貸に提供されるのが普通といえる.これに対し,米国の場合選択の幅が広いことは確かであるが,主な白物家電(冷蔵庫,洗濯機,据付型加熱調理器具)は,原則的に,部屋ないし建物内に据付けられていて賃貸人が持ち込む必要は殆ど無い.白物家電と言えば,日本では毎年何か新機能等による型番変更が予定され,俳句の季語のように白物家電の新型販売TVCMと季節の間には密接な関係が見られる.米国では,白物家電の新型販売は年毎ではないようで,TVCMも製造会社全体の印象を売り込むTVCMは放映されているが(例えば,GE, Maytag),各個別白物家電,例えば,何々新機能が付いた新型冷蔵庫についてのTVCMが放映されることは先ず無い.此方でも型番が毎年更新されているDVD関係の映像録画再生機器でも個別の型番のTVCMが放映されることも無い.即ち,一般的に,白物家電の型番の寿命が日本と比べて長いわけで,その理由としては,白物家電の機能が基本的な物に絞られていて,余り変化しない,ということが考えられる.此方の白物家電の操作盤をみると,高級品は別として,十年経っても全く変わっていないものが多い.日本で顕著な新しい機関(からくり)への期待というようなものを,米国人は白物家電に対して殆ど抱いていない,という需要側の要因が根本原因とも見做せるが,供給側も数年置きの買い替えを煽るようなmarketingをしない,或は,経営上又は組織的にやる必要がない(?)という理由も考えられる.
 また,「消費は美徳」という印象で見られやすい米国人の意外な側面が,電器具などの物持ちの良さだ.日本では当の昔に消えてなくなっている十年以上前の型番でも買い換えないで使用している事務機器や白物家電に御目にかかることが多い.新機能に対する要求が低い,あるいは基本機能だけで満足という価値観が強いところでは,新型が出たとしてもそれに直ぐ飛びついて買い換えるようなことは起きず,中古でも故障が無ければ良しで,新品を買うよりも経費節減になる,という考え方が説得力を持つようになる.更に,中古品に対する拒絶感の閾値(いきち)が日本人と比較して非常に低いことも当該傾向を強化する方向に働いていると推量される.
 平均的米国人の中古品に対する拒絶感の低さの原因は何に由来するのか色々考えてみたが良くわからない.相撲の「土が付く」という表現が示唆するように,普通の日本人には,地べたに付いたものは汚い→手放すか捨てる,という思考経路が刷り込まれている.高温多湿の国ならではの衛生観と言えようが,米国の場合,湿度が低くなるところが多いためか,汚れに対する許容度がかなり高いことは間違いない.手洗い所の床に防寒上着を平気で置き,土足を履いたまま寝台で横になったり,靴を裸で洗濯した衣類等と鞄内に同梱するなど当たり前,幼児の頃から土足可の床の上で転がって玩具をいじり指を舐めたりするのが常態である社会の衛生観からすると,他人が触ったものに触れる位は何でもないということになるのだろう.但し,南部の州で人種隔離政策が州是であった頃は,人種により手洗い所その他が峻別されていたり,黒人が白人の水泳プールで泳いだならば,水を入れ替えるとか,NY市辺りでも,白人黒人の混泳をしないのが市営ブールの不文律だったようなので,今は兎も角,昔は人種が絡むと話は別だったと言える.
 日本では義務教育の教科書が国費負担で使い捨てが当たり前になっているが,米国では此の様なことは原則的にないと言える.何故なら,教科書は学期中児童・生徒に貸し与えられて,学期が終われば回収され,次回の再利用まで教科書倉庫に保存されるというのが標準的な流儀なのだ.そのため米国の初等中等教育の教科書は複数回の再利用に耐えられるように,日本の並製本とは違い,上製本で,見返しのところに,大抵"This Book is the Property of:"云々という欄があり,貸与された者が氏名等を記入することになっている.先輩のお古を使うのが当たり前という社会通念があるところでは,中古の使い回しに対する拒絶感が低いのは当然かも知れない.教科書の使い回しは別に高校までのものではなく,大学・大学院でも,教科書は必要でなくなれば原則売り飛ばすもの,というのが此方の常識のようで,書店では,新本・古本両方が販売されているのが普通だ.
 土が付くの他に,雨に濡れる,ということに対しても,日米(多分欧米)では明らかな差異があるようだ.結核の長い歴史を持つ日本では,雨に濡れて呼吸器系の疾病に罹患することを恐れ,傘を差し,雨で濡れれば必ず体を拭いて服を乾かすのが当然となっている.昔通学していた小学校には突然の雨天のための貸し出し傘が常備してあったが,これも子供の体力・健康を考えてのものだったと考えられる.ところが,米北東部等の比較的湿度が低いところでは,乾きが早いためか,小雨程度では傘をささない者(特に男)が多い.本家の英国で男が傘を差すようになったのは比較的最近の18世紀中葉からで(http://en.wikipedia.org/wiki/Umbrella),傘は女の物=傘を差すのは女々しいという社会的認識が地下水的に米社会にも横たわっているようだ.雨でも傘を差さないと,学生の場合,本・帳面その他が濡れて紙がくたくたになってしまうが,それでも別に気にしないというのは前述の衛生観からの当然の帰結と言える.
 因みに,欧米系の近代軍隊(日本も含めて)では傘は御法度で外套着用となっているが,これは,傘を差せば片手の自由が失われて咄嗟の行動に支障を来たすことや,傘を差せば自分の居場所を敵に知らせることになる等の理由が背景にあると思われる.

註:
 米国の学生向けの宿舎等の場合,個室用として蜜柑箱を少し大きくした小型冷蔵庫を持ち込むことが多いが,これは各階・各区画共用の冷蔵庫では,いくら名前を書いておいても自分の食料品・飲料(特に麦酒)が他人に勝手に飲み食いされる仁義無き戦い的状況が頻発することに因る.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/06/2005/ EST]

TBS制作の『タイガー&ドラゴン』を視て

2005-08-05 01:22:51 | 雑感
 日本のTBSが今年4月から6月にかけて放映していた『タイガー&ドラゴン』(http://www.tbs.co.jp/TandD/)を知るきっかけとなったのは,糸井重里の網頁『タイガー&ドラゴンwithほぼ日テレビガイド』(http://www.1101.com/TandD/index.html)だった.結局全11回を通しで視たのは番組終了後一ヶ月程経った先週だったが,やはり放送と並行して視なくて幸いだった.と言うのは,放送と並行して視ていれば,次週の回はどうなるのか等あれこれ揣摩臆測して貴重な時間を浪費していたに違いないからだ.
 大学入学後のTV無しの10年間が始まる前は,大衆演芸物は落語を含めてあれこれ満遍なく視ていたと思うが,かといって古典落語に強い関心をもっていたわけでもない.落語をある程度知ることになったのは,TVではなくニッポン放送の早朝ラジオ番組「早起きも一度劇場」だった.東京の放送が四国の片隅で聴ける時間帯は,当時,夜から早朝に限られていて,深夜放送の「オール・ナイト・ニッポン」が朝5時終了して暫くの間は何とか聞ける電波状態だった.5時から確か短い報道番組が間にあったのか,それとも番組の冒頭に報道が挿入されていのか忘れてしまったが,「オール・ナイト・ニッポン」の後続の番組が「早起きも一度劇場」だった.「早起きも一度劇場」は,落語,浪曲その他の古典的録音を放送していた番組で,番組の冒頭には「東京オリンピック」で日本が女子バレー・ボールで優勝した瞬間の実況中継が挿入されていた.五代目古今亭志ん生の「火焔太鼓」や「唐茄子屋政談」を最初に聴いたのも当該番組で,『タイガー&ドラゴン』の第一回の元ネタである「芝浜」や浪曲の二代目広沢虎造の十八番「清水次郎長伝・石松三十石船」も当番組で知った.TVを持っていなかった10年間は,新宿の末廣亭(http://www.suehirotei.com/)で生の落語を一度観ただけで,落語とは殆ど縁が無かったが,故滝田ゆう氏の古典落語を描いた漫画を読んだのは此のTV無しの時代だった.
 『タイガー&ドラゴン』の各回において,元ネタの古典落語を当時(江戸時代)風に再現したものが含まれていたが,1970年代前半,古典落語をネタにした御笑い時代劇が何処かのTV放送網で日曜日夕方放映されいた.今でも覚えている配役が,岸部シロー(四郎)が演じていた若旦那で,「酢豆腐」の回では酢豆腐を食べさせられたり,「幇間腹(たいこばら)」の回では俄か覚えの鍼を幇間に打っていた.
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