医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

立ち位置のない1ヶ月

2005-02-28 20:49:36 | 日記
友人で随分スジの通ったやつが私のブログを読むきっかけになったのが、題名にきちんと「世にも珍しい医師国家試験浪人」と立場を明確に表示し、その立場から物を書いているからだと言ってくれた。なるほど、確かに私はこの1年、この学生でもない、医療関係者でもない、仕事もしていない自由な立場、というものを随分うまく利用させてもらった。その立場のおかげで得られた人間関係、情報、出来事は多々あった。学生ではなめられる。医療関係者では将来直接命に関わる付き合いがあるかもしれないからと穏便に接してくるし最初から「医者」という人種に対する偏見は誰にだってありそのフィルターで見てくる。仕事をきちんとしていれば時間はない。これらの立場を微妙にすり抜けた微妙な立場、それが医師国試浪人であった。

自分がどういう立ち位置にあるのか。重大な問題である。立ち位置を理解していなければ相手と会話をすることもできないし、何かリアクションを起こす事すらできないと言われている。私は中規模の団体で自分の立ち位置を見失い発言が出来なくなることが多い。20人から40人というのはフィールドとして苦手である。何故か。少人数であればまず一人一人に気を配る事が出来る。そしてその人たちに合わせて立ち位置をスライドさせることができるのだ。ところが規模が大きくなるとそういうわけにもいかない。第一全員に気を配ることはできないし、それほど多様性を持って立ち位置を変化させるのは物理的に無理である。ならばそこでうまくやる方法はなにか。最初から役割を作ってひたすらそれに徹するのである。途中で役割を変更する事は許されない。そういう場に身を浸しているとだんだん「アドリブの許されないおままごと」をやっている気分になるのである。

この気分から脱却させてくれる大いなるアイテムがある。「役職」である。この規模になると役職は大いなる力を発揮する。みながその役職の立場で相手の相対的立ち位置の差を見事に利用できるようになる。(そしてそれを勘違いして利用したのがセクハラなどである。)みながよりよい役職を求めて頑張るのもうなずける。私は役職なるものが好きではないので、多くの団体では縁の下でやってきた。すると面白い事に個人的会話は問題がないのに、中規模な集団での発言権がなくなってしまうのである。私はいつも微妙な立場でやってきた。のでみんながその立場に対するセリフを知らないのである。これはしょうがない。団体コミュニケーションとはほとんどが茶番である。いや、個人的コミュニケーションの総意であればそれでもいいのか。

国家試験を終え、(現役のみなは大学を卒業し)結果がでるまで私達は非常に立場上不安定な時期を迎える。(まぁ我々浪人生はなれっこだが)旅行に行くのもまぁはっきり言って時間つぶしである。自分探しなどいうが、旅行に言って地元での自分の立場がはっきりするわけもない。だから就職試験なんかで趣味は旅行です、などと言ってはいけないわけである。もし就職試験でぐっと来る面接にしたかったら、それまでの人生で立場が明確になる経験を沢山する事である。いくつかの立場を自在に操れると鬼に金棒である。話を戻すと、私はこの不安定な立場をおもっきり楽しんだ。この1ヶ月、内輪で旅行だののみだのもまぁ楽しいのだが、不安定な立場に気づき、利用できるような何かを楽しんではどうだろう。医者になれば一生あなたは医者である。違う立場に立てる最後のチャンスを逃してはもったいない。

かくいう私は3月1日から24まで南米を旅行してまいります。はっきり言って暇つぶしです。それなりのよさもあるんですが。ブログの更新は気が向いたらやります。この間連絡したい方はm00w0611@yahoo.co.jpまで

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