医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

Macintoshとの思い出

2011-10-06 19:04:02 | 日記
スティーブ・ジョブスが亡くなった。昼前それを知った時思いもよらず込み上げるものがあった。私とMAC、いやMacintoshの出会いは長い。当時中学1年(もう20年も前になるが)だった私はとある人の家で初めてそれを触った。確かMacintosh IIであった。パソコンといえばNECの98、ゲームもやっとスーパーファミコンが登場したころであった。マウスで操作できることの驚きと、クラリスワークスで色々なものが作成できたこと、adobe photoshopなんかも当時から入っていて落書きの楽しかったこと、どれも強烈なインパクトを与えてくれた。その人の家ではインターネットもかなり初期の段階で導入しており、初期の頃はホームページ作りの仕事もさせてもらっていたものだ。
 大学に入ると作業の面やソフトが高いことからしばらくWindowsに乗り換える失態を犯してしまった。Windowsは98、2000、Xpまで8年ほどつかっただろうか。私にMachintoshを教えてくれた方はその間、独特の認識システムの開発を夢みられ、住んでいた家を売り払い東京へ出ていかれた。そしてある時突然転倒して入院したと連絡を頂く。本当はこの時に見舞いに行くべきであったのだが、忙しさにかまけていくことが出来なかった。彼は認識システムの表面のデザイン(マスコットのようなものだが)を私に作って欲しいと話してくれていた。しかしその数カ月後連絡が来たときはなんと声がしどろもどろになっており、その時に初めて彼がALSという難病になっていたことがわかったのである。体の運動神経がやられ動けなくなり、最後は呼吸の筋肉もやられてしまう病気である。そしてその後連絡がとれなくなり、彼の足取りを追ったもののもはやどこにいるかもわからなくなってしまったのである。
 その方はどちらかと言うと少し変わり者だった。面白い事を考えてはみんなでするのが好きな人だった。大人はきっと誰も相手してくれず、相手してくれたのは子供ばかりだったのだろう。ただ本当に物知りでいろんなことを教えてくれた。今の私がいるのは明らかにその方のお陰であった。そして彼のお陰で惹きつけられたMacintoshだったのである。物事には面白さやデザインが大事なこと。つまんないことばかり考えていた自分をそっと伸ばしてくれたこと。Macは確かに今も私の仕事を支えてくれているが、今でのその気持ちは大切に頑張れている。ジョブスの死に対し急に感傷的になってしまったのはこの方のことがかぶってきたからだと思う。改めて当時伝えられなかった感謝の気持ちを記したい。
 突然おもむろに彼の名前をgoogleで検索してみた。すると1件だけ、特許欄で引っかかった。その内容を見た時私は衝撃を受けてしまった。その特許はなんと、かつて僕がその人と面白がって発明コンクールに出した食器だったのである。そのコンクールは一次審査は通ったものの二次審査で賞を逃したものであった。私は今までこの思い出深いガラクタが特許になっていたなんて知らなかった。しかも彼の名前でヒットするのはこれのみなのである。ネット上で唯一の情報がこの私との思い出だけ、というのも悲しいと同時に少しでもつながりの歴史が残されていたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。

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