前回のび太のドラえもんへの依存の構造について書いた。前回の話はどちらかというと社会的弱者の権力にたかる構造という視点から書いたもので、医療なんかにもはびこる問題であった。今回はまた別の視点から捉えなおすこととする。のび太のドラえもん依存には5つの欲望が絡んでいて、その権力への欲望の解決策としてドラえもんが存在していることは前回書いた通りである。この構造は権力への闘争である。そしてのび太はその権力へのコンプレックスを絶対的価値であるドラえもんの出してくる物質的解決策に頼ることで解決しようとしている。ドラえもんはあくまで物質しか提供できず、あとは後ろで見ているだけ。アラジンの魔法のランプの精のように存在が力になってくれることはないのである。物はやるからあとは自分でなんとかしろと。これは究極の物質である「お金」の提供とほとんど同値である。お金はある程度万能であり自分の持つコンプレックス、権力への意思を解決してくれることは多いのである。そして欲望をみたす資金を集めだすと徐々に手段を選ばなくなってくる。卑劣な手段を使ってでも集めようとする。そして集めた金でありとあらゆる欲望を解決しようとする。欲望はエスカレートしてゆき、破綻のパターンははまり込む。破綻のパターンは2つである。違法な多額の資金に目をつけられると必ず暴きにかかる権力が現れ、大抵は不正をひねり出され裁かれてしまう。もう一つは資金繰りを派手に拡大しすぎて自爆してしまう。どちらも前回どこかでみたような構図である。現実社会でもお目にかかっている。後者はバブルによる没落であり、前者は新興IT企業の経営拡張しすぎによる他の権力からの告発による没落である。そして没落後の彼らが泣きつく先はやはり金なのである。
ではのび太はどうすればよかったのか。権力的基盤を持っていなかった彼はあの町でどう振舞えればよかったのだろうか。のび太はのび太として泣き虫で弱虫でドジでのろまに生きていけばよかったのではないか。秘密道具を手にしたのび太は明らかに行動も思考も異常な変貌を見せた。それは権力を手にしたときの行動適正を表しており、彼にはその適正がないことを示してくれた。権力を適正に扱えない人はやはりそれなりの権力しか手にしてはいけない。大丈夫である、それでもそれなりの幸せというものは存在するはずである。ドラえもんなどに頼るべきではなかった。
しかしだ、実際現実にドラえもんは存在したのだ。ドラえもんの存在のためにあの町はすべての関係が一変しようとした。不思議なことに最初のび太以外は誰もあまり直接ドラえもんとは関わろうとはしなかった。みんな基盤があって、ドラえもんと関係など持たなくても普通に生活ができたのだ。そんな中ドラえもんが登場し、のび太がドラえもんを使ってみんなの基盤を脅かしにかかった。彼には基盤を脅かすなどという意識はなかっただろうが結果的にはそうなった。みながドラえもんの道具の力に翻弄されていった。権力基盤の住み分けが次々と崩されてゆくさま。壊れ行く秩序。ドラえもんの道具はあの町には明らかに異質な力なのである。ただしずかだけがその基盤の侵略にやや肯定的態度を示すことがあったのも興味深い。ドラえもんの道具に頼り手に入れた権力に対して言った「のび太さんすてき」というせりふが印象的である。彼女には他者の権力基盤に乗っかるという道が残されていたのだ。そういえばもとはといえばドラえもんはのび太がしずかと結婚できるように派遣されたロボットであった。ならばこのまま行けばのび太は最終目標であるしずかを嫁にすることを勝ち取るのだろう。見事なものである。しずかが望む権力構造と同じものをドラえもんの道具は所有していたのだ!なんとお似合いのカップルではないか。
のび太の終焉についても言及せねばならない。パターンは3つしかない。1つは先ほどの破綻のパターンが大きくなりすぎて取り返しがつかない時である。子供のうちはまだかわいいものである。毎回ドラえもんの放送で笑ってすむ程度であるが、大人の世界ではそうもいくまい。2つめはドラえもんがいなくなるか、ドラえもんが想定外の行動をとるようになったときである。突然ドラえもんが言うことを聞かなくなった、ドラえもんがジャイアンをひいきするようになったなど。3つめはみながドラえもんを持つようになったときである。2千何十年かにはみながドラえもんを持つらしいので、そのときにはもとの権力構造がまた力を持つのであろう。そしてのび太の終焉はかなり早い時期に訪れることが想定される。それまでにのび太はしずかをものにできるのか、これがポイントとなろう。ただしものにできるころにはしずかには目も向けなくなっているような気がするが。
さて、のび太をホリえもん、ドラえもんを資本経済に置き換えてよむとことははっきりする。そういうことだったのか。世の中は。ホリえもんとはよくいったものである。
ではのび太はどうすればよかったのか。権力的基盤を持っていなかった彼はあの町でどう振舞えればよかったのだろうか。のび太はのび太として泣き虫で弱虫でドジでのろまに生きていけばよかったのではないか。秘密道具を手にしたのび太は明らかに行動も思考も異常な変貌を見せた。それは権力を手にしたときの行動適正を表しており、彼にはその適正がないことを示してくれた。権力を適正に扱えない人はやはりそれなりの権力しか手にしてはいけない。大丈夫である、それでもそれなりの幸せというものは存在するはずである。ドラえもんなどに頼るべきではなかった。
しかしだ、実際現実にドラえもんは存在したのだ。ドラえもんの存在のためにあの町はすべての関係が一変しようとした。不思議なことに最初のび太以外は誰もあまり直接ドラえもんとは関わろうとはしなかった。みんな基盤があって、ドラえもんと関係など持たなくても普通に生活ができたのだ。そんな中ドラえもんが登場し、のび太がドラえもんを使ってみんなの基盤を脅かしにかかった。彼には基盤を脅かすなどという意識はなかっただろうが結果的にはそうなった。みながドラえもんの道具の力に翻弄されていった。権力基盤の住み分けが次々と崩されてゆくさま。壊れ行く秩序。ドラえもんの道具はあの町には明らかに異質な力なのである。ただしずかだけがその基盤の侵略にやや肯定的態度を示すことがあったのも興味深い。ドラえもんの道具に頼り手に入れた権力に対して言った「のび太さんすてき」というせりふが印象的である。彼女には他者の権力基盤に乗っかるという道が残されていたのだ。そういえばもとはといえばドラえもんはのび太がしずかと結婚できるように派遣されたロボットであった。ならばこのまま行けばのび太は最終目標であるしずかを嫁にすることを勝ち取るのだろう。見事なものである。しずかが望む権力構造と同じものをドラえもんの道具は所有していたのだ!なんとお似合いのカップルではないか。
のび太の終焉についても言及せねばならない。パターンは3つしかない。1つは先ほどの破綻のパターンが大きくなりすぎて取り返しがつかない時である。子供のうちはまだかわいいものである。毎回ドラえもんの放送で笑ってすむ程度であるが、大人の世界ではそうもいくまい。2つめはドラえもんがいなくなるか、ドラえもんが想定外の行動をとるようになったときである。突然ドラえもんが言うことを聞かなくなった、ドラえもんがジャイアンをひいきするようになったなど。3つめはみながドラえもんを持つようになったときである。2千何十年かにはみながドラえもんを持つらしいので、そのときにはもとの権力構造がまた力を持つのであろう。そしてのび太の終焉はかなり早い時期に訪れることが想定される。それまでにのび太はしずかをものにできるのか、これがポイントとなろう。ただしものにできるころにはしずかには目も向けなくなっているような気がするが。
さて、のび太をホリえもん、ドラえもんを資本経済に置き換えてよむとことははっきりする。そういうことだったのか。世の中は。ホリえもんとはよくいったものである。