茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

裏千家オンライン茶道学 第九回 家元道話3「独坐大雄峰」

2020-11-04 20:06:30 | 裏千家オンライン茶道学

 今年はコロナの影響で風炉の季節があっという間に過ぎ、炉開きの季節を迎えました。
茶道のお稽古もなかなか思うようにはいきませんでしたね。

 そんな中、裏千家では、9月から「裏千家オンライン茶道学」として、毎週、お家元や業躰先生が様々な講座を発信して下さっています。私も3回目より、なんとか欠かさず拝聴しております。

 裏千家オンライン茶道学

 ノートに書き留めたものをまとめてアップしていきたいと思っておりましたが、今週のお家元のお話は、今でしょ!と書くことにしました。
 お家元の言葉を自分なりに書き留めておりますので、とらえ方やニュアンスが違うところもあるかもしれません。どうかご了承下さい。

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第九回 家元道話3「独坐大雄峰」

 10月29日に収録しています。
 そして、今日、内内の炉開きをし、咄咄斎で炉のお点前をしました。
 
 今年の風炉はどうでしたか?
 早く過ぎたと思う方もいらっしゃいますね。コロナで今まで通りの風炉ではなかった。
 各服点という新しい形もありました。
 工夫をしたり、勉強の期間があったということであり、受け止めていきましょう。

 時間があったので、蔵の道具の出し入れをしていたら、各服点について円能斎が直筆で書かれた巻物がでてきました。
 淡々斎が風興集で書かれたものと読み合わせてみました。

 各服点は働き(応用)の点前であり、その場に応じて自在に点前をするもの。
基本を守ったうえでの応用力が必要となると思います。


 炉を開いて暫くの間は風炉釜の気配が席中にあり、炉がその中に同居している感じです。


 さて、床の間に飾られた軸「独坐大雄峰」は盛永宗興老師のもの。

 小さいころ、後藤瑞巌老師のところに行った時に、その弟子であった盛永宗興老師に遊んでもらった思い出がある。
 その後、家元になって京都の青年部全国大会の分科会で宗興老師が話をされていたのを聞き、最後まで聞き入ってしまった。
”掛物は大切だが、初座に掛けられる掛物は過去の人が経験に基づき書いた言葉である。
一方、後座で生けてある花は現在の尊さであり、これも大切にしなければならない。”

 これを聞いて参禅を願い出ました。
 すると、老師は私に単(禅堂において各自が坐る座席)を用意してくれた。
 ある日、「坐っていくか?」と聞かれた時、「今日はスーツだから改めて来ます」と答えたところ、
 老師は「それで坐れんのならええわ」と言われた。
 それは、格好で坐るのではない、心で坐るものだと教えられた出来事だった。

 茶道でも、作法や道具の扱いには訳がある。これは心から始まっている。
だから、形だけではなく、その奥にある訳(心)を知ろうとしなければならない。



 「独坐大雄峰」の意味は、”独り坐る高い山の上”ということ。
このような逸話がある。
百丈山の上にいたので、百丈和尚と呼ばれた慧海禅師。
山のてっぺんで座禅をしていると、ある人が、聞いた。
「いかなるか これ きとくのこと」
(この世の中に奇跡があるとしたらどんなことか?)
慧海禅師は答えた。
「独坐大雄峰」
(わしが今ここに坐っているということだ=今ここにあるということが奇跡なのだ)


 コロナがあった今年、風炉の時期に皆で知恵を出し、心を寄せ合って徐々に茶もできるようになった。
 今、ここにあることが大事であり、それが一期一会である。

 秋を見送って、椿の季節を迎えようとしている。我々はこんな奇跡を見送っているのです。

 色々な積み重なり、一期一会の中で、私は宗興老師に出会いました。
そして、私はそんな奇跡に手を引かれて、今話をしている。
皆さんもよい炉開きをしてください。

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 言葉だけを拾って書き出すと、どうも薄っぺらくなってしまって伝わらない気がします。
気になる方は明日迄(11月5日)配信されているので、実際にご覧になってみて下さい。

 過去、現在、未来とあるけれど、その中でも、現在、ここにあるということを大事にしたいと思いました。
 私は過去にとらわれたり、未来を考えすぎて不安に思ったりすることがありますが、考えてみればそれはある意味どうしようもない、変えようのないこと。
 毎日のことを粛々と丁寧にやる、過ごす、人との出会いを大切にすることで未来も自然に開けてくるのかなと。

 そして、道具の扱いや作法には訳がある、心があるという話にも頷きました。
 長い間、お菓子や雰囲気が好き、先生が尊敬出来る、などの理由で通い続いてきた茶道。
点前の順番を追うこと、覚える事だけに必死になっていましたが、ある時から、その形の中にある意味が気になるようになりました。そこで、自分なりに考える中で、様々なものが見えてきて、格段に茶道が楽しく深いものになり、私の人生になくてはならないものとなりました。
 昔の人が築き上げてきた形には訳があり、意味があり、心がこめられている。きっと続けているとそれが感じられる瞬間というのが人それぞれあるのだろうと思います。
 
 初心に返り、炉の季節を楽しみたいと思います。
 
 秋深まりつつある中、皆様、よい炉開きを。



<ご参考>
お家元の言葉から宗興老師についてググってみました。ウェキペディアからの引用です。

盛永 宗興(もりなが そうこう 1925年 - 1995年6月12日)
日本の臨済宗の僧。
1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。
家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。
そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。
そのため田畑は全て小作に出すこととなった。そのような環境で生まれ、幼少時代を過ごした。
学校は医者を目指さず、富山高等学校の文科に進学したが、在学中の1944年(昭和19年)10月には、学徒出陣の年齢が20歳以上から19歳以上へと引下げられることとなり、思いがけず1945年(昭和20年)には学徒出陣。
そして運悪いことに、出陣する頃に、父母共に僅か一日違いで病死するという不幸にも見舞われた。
戦後は富山高等学校の文科に復学し、1947年(昭和22年)に卒業後、静岡の臨済寺へ飛び込み、初めて禅を始めた。
その後1949年(昭和24年)に、龍安寺の塔頭である大珠院の後藤瑞巌老師(当時は臨済宗大徳寺派管長)について出家得度。
厳しい内弟子時代の後は、後藤瑞巖の弟子であり法嗣である小田雪窓が僧堂師家を務める大徳僧堂に掛搭した。1963年(昭和38年)まで大徳僧堂で修行し、遂に雪窓老師の印可を受ける。
その後妙心寺派龍安寺塔頭の大珠院住職となる。
1986年(昭和61年)より花園大学学長を8年務めた。
1995年(平成7年)6月12日遷化。世寿七十一。




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2 コメント

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家元道話 (そうこう)
2020-11-07 19:53:47
オンライン茶道学、お家元のお話をブログに書いてくださり有難うございました。
お家元が洋装の時に座禅をお断りされた時の老師のお話が心に残りました。「格好で座るものでない。心で座るのだ」
家元道話 (m-tamago)
2020-11-08 22:09:15
そうこう先生、コメントをありがとうございました。
私も宗興老師とお家元とのやりとりの話と、独坐大雄峰の逸話が心に染みました。
つい日々のことにとらわれて忘れがちですが、心があれば何でもできる、何事にも心が込められている、心に刻みました。

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