学生時代、
スタインウェイの
調律師さんから
ビデオを頂いたのが
ホロヴィッツの演奏でした。
先ず指にびっくり(・・;)
ニューヨ―クの
スタインウェイの店に
やってきたホロヴィッツ。
いくつかのピアノを
試し弾きするのですが、
その音の美しさ❗
スケールを弾いても
艶光りするまでに
磨きのかかった音色、
指は鍵盤に吸いついたようで
実になめらかな動きだった
ようです。
ホロヴィッツの音は
独特でピアノを歌わせると
いう点では彼に並ぶ
ピアニストを見出すことは
困難だと言われているのです。
ミスタッチが少なく、
超絶技巧の持ち主で
会場の隅々まで届く
パワフルな演奏でした。
ホロヴィッツの音、
少しですが、、。
バッハです。
1983年、日本公演の
カラヤンのチケットが
3万円の時、
ホロヴィッツのリサイタルは
5万円だったそう。
彼ほどの巨匠でさえ
12・3年ぶりの
カムバックの演奏会の緊張は
並大抵ではなかったようで
最初のバッハで、はでに
音を外したエピソードには
少しばかりホッとします。
ホロヴィッツの涙。
シュ―マン
子供の情景の終曲
Der Dichter spricht
(詩人は語る)を
涙ぐみながら弾いています。
ホロヴィッツの名演の
一つに
ブラ―ムスのピアノ協奏曲
2番があります。
指揮は名指揮者の
トスカニーニ。
時間は44分ほど
かかりますが
よろしければ
youtubeでお聴き下さい。
彼はトスカニーニの娘の
ワンダと結婚し
アメリカに居を構えて
市民権を獲得しました。
1989年逝去。
(画像をお借りしました。)
昨日の暑かったこと!まさにドライヤーの風でした。
今日も暑いらしいです。
1980年ごろ、サンフランシスコにいた時、
ホロヴィッツのリサイタルに行きました。
カムバック後でしょうね。
私の耳には、音はわれてきたなくて、
期待はずれ。
でも、同行の(音大卒)女性は、
あの年であのテクニック!と感激していました。
昨夜は、絶対に眠るんだ!と、寝ました。
楽譜と睨めっこしている時間が長いせいか、
目が痛いです。
ホロヴィッツを聴かれたの
ですね。
1983年の日本公演で
「ひび割れた骨董」と言われ
散々だったようですが
その頃はすでに体調が悪く
薬の影響もあったようですね。
その後、名誉回復のために
再来日されましたが、、。
歳を取ると哀しい。
最盛期のビデオの音は
素晴らしく目から
ウロコでしたが、、。
今日も危険な暑さです。
お大切にお過ごし下さい。