父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月24日

2005-04-24 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
24日 (金) 晴れ 暑し

朝、食事運搬の時、自分で押収車輌を操縦して
本部へ行き隊長に連絡事項を話し、押収車輌
の一時使用願の書類の印を貰って又軍参謀
部へ出かける。行李から兵一名を借りて同乗させて
行く。Rstへ寄り、昼食を食べてからBalangaへ行
く。軍司令部参謀部第二科の右田少尉に会ひ、許
可証54枚此方の希望通りを貰って来る。Rstへ
三時半頃帰る。途中で故障、行李へもう少しと言ふ所
で故障、バッテリーのアース線がクサッてしまって機関
がかゝらないのだ。汗と泥だらけになってどうやら修理
しやっと行李迄帰る。夜九時。本部へ帰らず、行李
へ泊る。今日行李長鈴木大尉は入院したと。毎日数
名の入院患者で渋谷兵長が行李長代理だ。
マニラへ行った江波戸主計等が今日帰って来てお土産
のブドウ酒、ビール等を御馳走になり、すっかり酔って
寝る。
今日、一月に入院した洗い中尉と山元中尉が
退院してくる。R本部はΔ掛相川中尉が又身体の工合
が悪いと言ってゐるし野淵少尉がフラフラしてゐるやうな
状況で何時僕が指揮班の重要任務につかねば
ならぬかも分らぬ状態に一人でも丈夫な将校が増え
ると言ふ事は非常に心強い。新井中尉が一人来たヾけで
一安心だ。

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