父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月2日

2005-04-02 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
2日 (木) 晴れ 暑し

昨夜の命令を今朝林軍曹にR本へ持って行
かせる。あとすぐに又至急の命令が出て続いて
通信手飯田上ト兵に持たせてやる。又次に
命令が出て多湖に持たせてR本へやる。続いて三名
R本へやる。命令が一度に出て呉れないので手
がかかって困る。
今日は午前七時四十分から65Bは攻撃開
始、野重一の第二中隊が之に協力したが
Tiawer河の渡河には成功したが20号道
路の手前で攻撃一頓挫してしまったと。
原因は思はぬ所に現出せる敵掩蓋MG
の猛射、ジャングル地帯のため指揮掌握の困難
560、78地背后より射撃せる敵砲兵の猛射
等のためとか言ってゐる。今夕19:00から又攻撃
再興をするさうだ。
午后、飛行機の信号に依ると敵兵は退却の
兆ありと。まだ総攻撃をやらぬ中から退却は
早すぎる。
今日は総攻撃の前日だけに砲兵司令部
もなかなか忙しい。北島閣下は午前から野
重一のΔへ登って敵情を見られる。明日の攻
撃には、やはり野重一のΔに行かれるさうだが
連絡掛将校は現在地にゐてもよろしいと言
ふので明日は少し楽だらう。今日は急がしい命
令が澤山出て、その度にRΔへ伝令を出す。
夜十時頃からも急な命令が出て伝令を
出す。
就床11時。
情報五聯隊竹村部隊副官望月少尉が
夕方遊びに来る。ガサガサ、ホラフキでいゝ気になって
シャベル。誰にも駄ボラを吹く相手がゐないので
うちへ来るのだらう。

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