父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月10日

2005-04-10 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
10日 (金) 晴れ 暑し

未明に出発。D司令部に追及する。今朝は自動
車で追及したのでモリモリと他部隊を追ひ越しAmo
河畔でD司令部に追ひつく。早速無線を開設する
と共に参謀部に連絡する。今朝16Dの9iは
マリベスに突入し、索九日Bataanの米比軍は
King少将以下降服したがコレヒドール島の米軍
は未だに降服せず4Dはコレヒドール島の攻撃を
愈々準備するのだと。
無線の連絡は七時から始めて九時にやっと
連絡とれる。4Dの情況をしらせると向ふから
水村中尉以下全員帰隊せよと言って来る。やれ
嬉しや、これでやっと連絡の任務も終ったかとほっとする。
R本は何処にゐるのか聞いてみるとCabcabenにゐ
ると言ふ。カブカーベンに帰れと言っても永野支隊はも
うカブカーベン迄進出してゐるのかどうか分らない。昨日の
状況ではまだリマイ東南3粁の所にきり来てゐ
ない筈だ。昨日残置した割石伍長、森谷は収
容したかと聞くとしたと言ふ。カブカベンは南から行
けば近いがカブカベン南の道路が安全かどうか分
からぬので聞いてみると目下偵察中と。どうせもう任務
は終ったのだからゆっくり帰ればいゝと、昼頃Amo河畔
を出発して自動車で南下する。途中インターナショナルの
小型自動車があったのでそれと交換しやうとガソリンを
入れ換え、バッテリーを取りかへてさて動かさうとしたら
クラッチが上って動かぬ。がっかりして又暑い所を元の
シボレーに乗りかえる。暑さがものすごくて皆口も聞く元気
がない。此処から河を越えて少し行くと曲り路の急坂路
があり貨車等が登り切れなくて澤山つかへてゐる。我々
の乗用車も此の坂が登れるかどうか心配する。前が
あいて、我々の番になりやってみたが、やはり上らぬ。途中
でつかへてスリップしてしまふ。一旦坂の下まで下がって一休
み。他の車輌を先に出す。一息入れてから又やってみる。
折から此の道をゾロゾロと帰って来る比島兵の捕虜や土
民達に車の後を押させて、やっとの事で坂を登り切る。
此の附近を何処へ帰るのか比軍の捕虜と土民の数は
大したものだ。よくもこんなに比の山の中に逃げてゐたものだと
感心する。
此の坂を上り切るとすぐ大通りへ出る。これがカブカベンか
らマリベスへ通る本道なのだ。あまり近かったので意外
だった。此の道はマリベスに向ふ長野支隊の車輌と
それに連絡に帰る車輌、それからオビタヾシイ数の白人
の捕虜とで大混雑。当分カブカベンの方向へ自動車
が行けさうもない。此の三叉路でしばらく車をとめて
此の行列を眺める。此の白米人の捕虜の数は大したも
のだ。二列位になって宛々長蛇の如き列をなして北に
流れてゐる。一時間許りたって交通がとだえた時にカブカベン
に向ふ。三十分許りでカブカベンに着く。R本部はカブカベン
の海岸にゐたホコリと汗で真黒な身体をR長の前へ
持って行き無事帰隊の申告をする。隊長は御苦労と一言。
今日の無線の連絡は下手だなんて却って叱られてしまっ
た。もうすっかりつかれきって何をする元気もない。僕に
は当番兵がまだゐないのでよごれ物の洗濯も出来
ない。少し離れた行李の位置へ行って身体を洗い一休み。
今夜やっと蚊帳の中へ寝る。
R長は、明日は僕に早速自動車徴発に行けと言ふ。
すっかりつかれてもう自動車徴発所ではない。

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