父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月11日

2005-04-11 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
11日 (土) 晴れ 暑し

朝早くRstの人員と共に自動車徴発に行かねばならな
いので朝食も食べずに自動車手を一人つれて、自分の昨日持
って来た自動車でRstへ行く。Rstが何処にゐるのか分らず
リマイ迄行ってしまふ。引き返してカブカベンの飛行場の所で
やっとRstの標識をみつけ、位置が分る。Rstへ行ったとき
にはもうRstでは各隊毎に自動車徴発に出かけたあと。
間に合はず。それでは此処で昼寝でもせいと許り、Rst
で朝食を御馳走になって守谷曹長の寝台で一眠り。
Rstで自動車をみつけて来たら僕が一緒に行ってみつけて
来たやうに報告しておけばおいゝ。
昼頃徴発に行ったものの一部が帰って来る。四輪起
動、六輪起動等のモノスゴイ貨車等を拾って来る。これ
だけあればR本への報告は大丈夫だ。
午后佐藤注意と蒔原少尉と、乗用車で又貨車徴発
に出かける。昨日僕が来たマリベレスの山の中を案内す
る。昨日の坂路でやはり各車輌がつかへてゐて通
れない。二時間もぐづぐづしてゐたがどうにも通れないの
で別の道を通って引き返へしてしまふ。此の帰り途に
米軍の野戦病院があるのに会ふ。林の中に所せきまで
寝台をならべ患者が唸ってゐる。其の数は数千と言ふ位。
大した野戦病院だ。日本兵がヱ兵に立ち護ヱして
ゐる。彼等も相当の傷病者がゐるのだ。殆ど
白人ばかりだった。
夕方Rstへ帰って一休みしてからR本部へ帰る。
Rstの今日の収穫は貨車乗用車とも十数輌あったの
だがR本への報告には乗用車一輌、貨車8輌と言ふ
事にしておく。R本で欲しいのは伝令要の小型の四
輪起動貨車と牽引用の力のある貨車一台だけでいゝのだ。
明朝は早くR本移動だと。

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