父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月4日

2005-04-04 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
4日 (土) 晴れ 暑し

総攻撃第二日、今日も敵を追ふて殆どサマ
ット山北麓の敵陣地を突破したかの
感がある。今日は昨日程ではないがやはり砲兵隊
は活躍し、敵陣を粉砕してゐる。敵野山砲は殆ど
活動せずと言ふ状態で僅かに長射程の大口径砲が
我10K、15K陣地を射撃して来るのみ。然し、歩
兵の前進は、予定の通りは進んでゐるが敵の抵抗が
薄かったらもっと前進してもいゝと思はれる。昨日と今日
の二日で約二粁位きり前進しない。砲火の威力
のみで敵は後退したやうだ。
今日も閣下はR本部の側へ戦闘司令所を移動して
しまったので我々連絡掛将校はあまり仕事がなくて呑気
だ。連絡は直接R本部へとれるので連絡掛将
校は昼寝でもしてゐる位。僕がやるやうな連絡掛
だから此の位でなくては困る。午后は昼寝。
今日は上陸以来、いや、神武屯出発以来始めて
受領した書簡、始めて来簡がある。母からと佐藤からと。
1月末に出したのと二月上旬に出したのが今着いたわけだ。
母からのは第二通目らしく第一通目は何処へ迷って
ゐるのか。始めての便りですっかり嬉しくなる。
佐藤は一月廿日無事市川にて召集解除
目下志賀高原等でスキーに張り切ってゐると。
うまくやってゐやがる。
今日入ったマンキの情報。今日大本営から此
の戦闘が終ったならばおそくとも六月中に
は再び満州の神武屯に帰ると。関東軍の
虎の子、日本一の砲兵野重一を関東軍が離
すわけはないと言ふのだ。六月一杯に神武屯に
帰って、七月に初年兵を迎へ四年兵、古参召
集兵、過剰下士官将校達の召集解除を行ふ
と言ふのだ。愈々今年は帰れるか。昨年度の
幹部候補生が此の三月で卒業し、四月半ば
には此処へ見習士官で帰って来るらしい。そう
したら案外もっと早く我々は帰還になるかも
知れない。今日来た内地の便りを見て
急に内地が恋しくなった。
今夜はおそくまで命令受領があって寝たの
は十二時過ぎだ。

   来簡 母より一、三一出
      
人気blogランキング 元祖blogランキング