父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月5日

2005-04-05 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
5日 (日) 晴れ 暑し

朝起床が眠くて辛い。今朝は七時半頃命令受
領者集合で起される。今日は閣下はR本部の
位置へは上らず、此処の左の山の上、もとのⅠ/1STの
Δの所を戦闘司令所として上がられる。連絡将校
は皆其処へ▽を設置して部署につく。此処は
樹木がなく直射日光に照らされて暑い事。
一日中此処の勤務で何と汗をかいた事よ。シャツ
のポケットに入れた手帖が汗がビッショリになってし
まった。
今日は遂に、待望のMt.Samatに日の丸が
上る。始め第四師団正面は連絡杜絶で
状況不明だったが午后になってやっと分る。本日十二
時50分第四師団右翼隊によって遂にサマット山
頂に日章旗は翻った。感激の日章旗が遂に
数ヶ月前から兵隊の朝夕の挨拶にも口に上る
Mt.Samatにうちたてられたのだ。
今日此のΔで始めて敵情をみる。夕方、我が
重爆編隊のオリオン山西南麓の猛爆を
見た。爆煙は天に柱し、一大黒雲となって空
を覆ってゐる。大した爆撃だ。其の他軽爆の
サマット山麓の爆撃も行はれたがこれは大した
事はない。双発の重爆撃機の編隊による爆
撃は流石にものすごい。
今日の午后の戦闘はサマット山は占領したがその東
麓のカポット台に有力な敵陣あり、明日は4Dと
21iB(永野支隊)とをもって此のカポット台を
攻撃するやうに軍命令が出た。今夜第Ⅱ
大隊は陣地変換、Aboabo河を越えて
オヨング附近に迄進出。R本部も明日あ
たり前進になるらしい。今日は閣下が此方に居
られたので連絡掛将校は連絡に忙しかった。
砲兵司令部は昨日○級部員として野戦
砲兵将校から砲兵の神様と言はれる橋本
大佐が来られる。入江大佐と同期位らしい。闊
達ないゝ人らしい。あまりウルサイ事は言はない。
司令部々員は白本少サは身体が悪くてオラニ
に下がって休養してゐるとか。他に西山少サ、白川大尉
副官、宝井少サ。次級副官江連中尉Etc.
此処に来ても毎日入浴する。水はあまり多くの部
隊が使用するので汚いが毎日入浴出来るので
有難い。
今夜は10時頃寝る。

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