父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年4月3日

2005-04-03 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
3日 (金) 晴れ 暑し

  バタン半島総攻撃開始
  神武天皇祭

今日は遂に待ちに待った総攻撃の日だ。Bataan
半島攻囲軍の一兵に到る迄、如何に今日の日を待っ
た事だらう。二月の半ばから援軍来るの報を聞く許り
で何時攻撃を再興するのか分らなかったが一ヶ月半
の休養の後遂に総攻撃は開始されたのだ。
今朝は閣下は八時頃から司令部を出られてうちのR本
Δの傍まで戦闘司令所を移動される。連絡掛
将校は戦闘司令所がR本部の傍へ行ったので用
事が殆どない。電話で情報が入るだけ。
今日の射撃開始は09:00から。約一時間
各隊同時に先づ効力射準備射撃が
開始される。10:00から第一次攻撃準備
射撃開始、Bataan半島攻撃の為に集
った各砲兵隊15H、15K、10K、24H 野山
砲、約百五十門の大砲が一斉に砲門を開
きMt.Samatの北麓の敵陣に向って巨
弾の雨を降らす。実に物凄い爆音、爆煙、
それに10,00-11,00の▽の猛爆によりMt.
Samatの麓の敵陣は爆煙に覆はれて見
えなくなる位だった、と見た者は言ふのだが残念
乍ら連絡掛将校は砲兵司令部の谷間
に居て、敵情も見えなければ、友軍の猛射
の発射音もあまり聞えない。Δへ登って敵
情をみるわけにも行かない。電話で情報が
入ってそれを聞いてゐるとまるでラヂヲで実況放
送を聞いてゐるやう。敵兵退却の模様を聞
いてゐると思はず手に汗を握る。
第二次攻撃準備射撃は14:00より15:00
もう既に敵は続々退却を開始し始める。
15,00歩兵は突撃を開始。敵は大した抵
抗もなく、我軍は敵陣を突破、予定の如く進
出する。4Dの如きは予定の線よりも更に奥深く突進
したと。夕方から戦場も静かになる。今日の攻撃
には敵砲兵はあまり射撃して来ないやうだった。
我々のゐる砲兵司令部の東方、車輌置場フキン
に一弾落下し、山砲の兵二名負傷、R本の貨車
乗用車のガラスを破損する。今日の戦闘で第三中
隊の方列に敵弾を受け四名負傷し、大砲は方
向転把に故障を生ずと。第二中隊も二名負傷
したと言ふが誰か名前が分らぬ。三中隊は僕
が小隊長をしてゐるときは放列では殆ど負傷
がなかったのに僕が離れたら早速4名も負傷
してしまって全く可哀想な事をした。夕方本部より
の戦闘要報をみると下士官一とある。さては分隊
長が誰かやられたなと益々心配になる。十時半頃
やっと氏名が判明する。損害を受けた分隊は
第一分隊で里村軍曹、鈴木実上ト兵、林安一
及桜木金の四名で桜木が重傷だと。遂に
第一分隊は負傷者を出してしまった。第一分隊は
未だ一人も負傷者がないと威張ってゐたが遂に
損害を受けてしまった。分隊長に一番、三番、
五番の四名、里村軍曹は戦砲隊では最
も勇敢だったが、可哀想な事をした。
夜、今日の射粍弾の報告には本部がいゝ
加減な報告をして来るので苦労する。副官と
散々交渉してやっと正しい数字を得る。副官も
いゝ加減で困ったものだ。今日はおそくまで命
令があり、寝たのは十一時頃。
今日の攻撃では敵はもう大した抵抗はしな
いらしく、R長も、明日の攻撃にはもうあまり
弾丸をウツマイと言ってゐる。明日は愈々サマット
を越える。

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