マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 




(写真)控訴するかしないか、判断が揺れたダティ司法相

 2005年の日本の離婚率(人口1000人あたりの離婚件数)は2.08と、ベルギーの3.02やフランスの2.09よりは低い数値になっていますが(但し、ベルギー及びフランスの数値は2003年のもの。ちなみに明治期の日本の離婚率は3.3を越えていた)、今フランスで、「処女(異性との性交渉が未経験)でなかった」という理由で離婚(正確には、婚姻の取消し)を認めた裁判が議論を呼んでいます。

 この裁判は、企業の幹部であり技術者であるモロッコ系の30台仏人男性が起こしていたもので、婚姻を決めた相手である20台前半のやはりモロッコ系の看護婦の仏人女性が、結婚前には「自分は処女です」と言っていたにも関わらず、実は処女でなかったことが結婚の日(2006年7月8日)に判明したため、婚姻の取消しを求めてリール(Lille)大審裁判所(日本の地方裁判所民事部に相当。リールは仏北部のノール(北)県の県庁所在地)に提訴。被告側の女性も男性に嘘をついたことを認めたため、リール大審裁判所は今年4月1日、仏民法第180条第2項にいう「重要な身分上の事項につき錯誤があったerreur sur les qualites essentielles)」として原告の訴えを認め、婚姻を取り消す判決を言い渡しました(原告側の意向で、結婚後離婚したのではなく、当初から婚姻が成立していなかったという扱いにするため、婚姻の取り消しを求めた)。

 仏の法制度では、市民間の民事訴訟であっても、それが一般的な法的利益に関する事件であるときは、司法大臣は、検事長に対して、当事者として訴訟に参加し事案を控訴院(日本の高等裁判所民事部に相当)控訴する権限を持っていますが、この判決に対して、モロッコ人労働者の子女であるダティ(Rachida DATI)司法大臣(女性)は当初、「被告の女性も婚姻取消しを望んでいる」「女性に自由をあたえるべき」等として、司法大臣命令による控訴に慎重な姿勢を示していました。

 ところが、この判決に対して、学識経験者や政治家らが、「処女かどうかを婚姻の条件として認めるのは前時代的、女性差別的であり、不当だ」との声が挙がります。野党・社会党(PS)は「判決には茫然とさせられる。離婚法制の改正が必要だ」とし、仏共産党(PCF)も「(判決は)破廉恥だ」と批判している他、与党・国民運動連合(UMP)からも「男女平等を問題視するものだ」との意見が噴出。フィヨン(Francois FILLON)内閣の閣僚でも、オルトフー(Brice HORTEFEUX)移民・統合・国家像・共同開発大臣は、ラジオ番組において「『法を述べる(dire le droit)』ためにも控訴すべき」と述べたり、ペクレス(Valerie PECRESSE)高等境域・研究大臣(女性)も「これは国璽尚書(注:仏では司法大臣が国璽尚書を兼務する)の決定事項であり、法の利益に基づいて控訴するかどうかは彼女(司法大臣)の決めることだ。私は、個人的には、(控訴)するであろう。」と発言。地方では、ロワイヤル(Segolene ROYAL)前社会党大統領候補(ポワトゥー・シャロント州議会議長)も、「判決は女性の尊厳に対する弾圧だ」「欧州人権条約、男女平等原則にも反している」と厳しい批判を繰り広げています。もっとも、インターネット上では必ずしも判決反対論ばかりではないようで、例えば仏の代表的な保守系新聞「ル・フィガロ」紙のインターネット版に寄せられた書き込みの中には、「慣習が問題なのではない。新婦が嘘をついたことが問題。夫婦生活は嘘からは始められない」といった裁判所支持の意見も見られます。

 結局、6月3日、リール共和国検事事務所は、ダティ司法大臣のドゥエ共和国検事長に対する指示に基づき、ドゥエ(Douai)控訴院に対して本件に控訴することを決定しました(なお、大審裁判所の裁判官は独任制だが、控訴院は合議制であり、そのことも控訴推進論の論拠の一つとなっていた)。他方、当初の立場を変更せざるをえなかったダティ司法大臣は、6月2日の国民議院本会議で、大臣を批判する社会党議員に対して「移民の社会統合に失敗したのは社会党のせいだ」と反論、更に議論を呼びました。

 原告・被告の弁護士も、そして判決を批判する政治家も、「この問題はイスラム教とは関係無い」と主張するこの事件。しかし、「処女かどうかを婚姻の条件とするのは女性差別的」という命題の下には、与野党、保革を超えて、婚姻時に新婦が処女であることに重きを置くイスラム教徒の慣習に対する嫌悪感が潜んでいるのは明らかで、今回の事件でも、被告の新婦すら納得した判決であったのに、「外野」から横槍が入った格好になり、改めて、フランス社会主流に流れる反イスラム的思考の強さを印象付けるものとなりました(もっとも、処女性を重視するのは何もイスラム教だけではなく、かつての保守的なキリスト教社会もまたそうだったような気がするのですが・・・)。同時に、基本的人権の徹底か、文化の尊重か、という、日本も含めた現代民主制社会が共通して抱える重い課題を改めて問題提起したものでもあり、仏司法の裁定結果が注目されるところです。

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