マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 



(写真)問題となっている風刺画を掲載した新聞(風刺画部分は修正済)

 デンマークの新聞がイスラム教教祖モハメッド(ムハンマド)の風刺画を掲載した問題は、欧州から一挙に中東に飛び火しつつあります。

 デンマークの保守紙「ジラン・ポステン」がこの絵を掲載した当初(昨年9月30日)はそこまで問題が大きく広がることはありませんでしたが、今年1月10日に同国のキリスト教系雑誌「マガジネット」がモハメッドの絵を掲載して以降、次第に問題化。2月1日にはフランス、ドイツ、イタリア、スペインの新聞各社が風刺画を転載したことで「中東VS欧州」の構図が出来上がり、パレスチナやシリアでは大規模な抗議行動や欧州製品の不買運動まで起きています(つい最近は、在シリアのデンマーク大使館が焼き討ちにあったりもした)。他方、当初は「報道の自由は守られるべきだ」と頑なな姿勢を見せていた欧州各国も、イギリスが風刺画を転載しなかったのをはじめ、ド=ビルパン仏首相らが「報道の自由と宗教の尊重のバランスをとらなければならない」と発言する等、徐々に軌道修正をしている感じがします。

 元来、イスラム教に限らず、宗教的な問題をメディアが取り上げると当該宗教の信者が強く反発するため、どこの国でも一定のタブーを形成しています(実際、日本でも、かつて富山県のほうでコーランが破り捨てられているのが発見され、国内のイスラム教徒が抗議のため警察署を包囲したりする事件がありましたが、その宗教を信じない者にとっては、反応が過激に思えたものです)。デンマークの新聞社はそうしたタブーに敢えて挑戦したかったのでしょうし、それ自体は必ずしも間違ってはいなかったのかもしれません。本当に心から信仰している末端信者は別として、宗教の名を借りた悪政や搾取、テロや犯罪行為というものはどこの社会にも存在しますし、無論それはイスラム教だけではありません。

 ただ、「報道の自由」があるということと、「当該報道が一切反論を許さない」ということは同じではありません。一方がイスラム教を風刺するような絵を載せる自由があれば、他方がデモ等を通じてそれに反対する自由もある訳で、そうした相互の自由の上に「表現の自由」というものは本来成り立っているはずです。その点、どうもデンマークの新聞社や「報道の自由」を主張する欧州の論者は、「報道機関にはモハメッドの絵を掲載する自由がある、だからこれに反対する動きは報道の自由の封殺だ」といった雰囲気があるので、気がかりです。「自分達の編集に反対する者は、報道の自由を損なう」等という主張には、マスコミの驕りのようなものを感じてしまいます。

 また、報道機関といえども社会の公器であり、報道の自由とはその社会的使命を果たすためにこそ認められているものであって、今回のモハメッドの風刺画のように、果たして当該風刺画を掲載することが「タブー無き報道」を主張する手段として必要不可欠だったのか、イスラム教徒の心情を踏みにじってまでも敢えて公刊すべきだったのか、疑問なしとしないところです。「報道の自由」は、最近の日本では特に犯罪被害者や誤報・強引な取材による報道被害者との関係で議論されていますが、どうしても「報道の自由」に重点が置かれがちなのと、被害者が報道機関と比べて弱いのとで、「報道の自由」が濫用気味なきらいがあります。事態は欧州でも同じで、「報道の自由」が優先されるあまりどうしても報道被害者の側(今回の場合、一般的なイスラム教徒)が放置されるようでは、真の自由社会、法治国家とは言えないでしょう。

 とはいえ、今回の事件で残念だったのは、結局のところ反発するイスラム教徒の側も、大使館焼き討ちや欧米人誘拐といったテロリストまがいの暴力行為に訴えてしまい、却って彼らの主張の説得力を失わしめているところです。加えて、抗議行動が起きている多くのアラブ諸国の中には、シリアやイランのように実は「表現の自由」を全く認めていない独裁国家もあり、そうなると欧州人としてはそうした国々が「信教の自由」を主張してくるのは片腹痛いということになるようです(ちなみに、当の欧州在住のイスラム教徒たちはの間では、名誉毀損で裁判所に訴える動きはあるものの、さすがに暴動騒ぎにまではなっていない)。いずれにせよ、こうした動きが続けば、むしろ「それ見ろ、やっぱりイスラム教は危険だ」「イスラムの教えは他宗教に寛容ではない」といった考え方が広まり、風刺画に逆の説得力を与えてしまう虞があるのではないでしょうか。確かに、今回の風刺画掲載は、世界のイスラム教徒に対してあたかも欧州人の多くが他宗教に対して敵愾心を抱いているかのような誤解を生じ得る、その意味では軽率な事件でした。しかし、一口に「イスラム教」といっても様々な宗派があるように、実際には欧州人、欧州のメディアといっても種類も様々、思想も様々で、これを十把一絡げにして暴力行為に及ぶ(暴力を以って、自らの信仰を他人に強制する)というのは、やはり許されないことです。また、一部アラブ諸国が欧州各国政府に対して主張している、イスラム教を冒涜する表現に対する刑罰の制定や、今回の事件についての謝罪は明らかに筋違いであり、却ってこれらの国々の名声を下げているように思われます。






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