毎週、火曜日2限は私のゼミです。必然的に10時40分までに大学へ着いていなければなりません。……辛いっス。
まぁ、ゼミでTAに入っている黒衣氏も必然的に10時40分登校になりますね。ご愁傷様です。
こんばんは、かっぱです。
AB●テレビ「内村プロ○ュース」が終わりました。あ~あ…。たかがバラエティ番組ですが、されどバラエティ番組。下ネタ等が随所に入っていたので、受け入れられない人にとっては、下品で嫌な番組だったのでしょうが、私は好きでした。多分、文自内でも人気は高い番組だったと思います。
…と、思っていたら、関◎テレビのアニメ「ハチミツ▲クローバー」も終わってしまったじゃないですか! うわ~、中途半端なところで終わらせやがって!
…「キモい」という形容詞は、文自周辺において既に私の代名詞と化していますが、ハチクロが放つ「切なさ」、「甘酸っぱさ」をヤキモキしながら見ていた自分は、スカウターがぶっ壊れてしまうくらいのキモさっぷりを発揮していたと思はれます。いやはや、残念の一言です。
今日は、「ほんまにオレはアホやろか」(ポプラ社/水木しげる 著)を購入。子供向けの本ですが、大学の生協に売られていたのでつい購入してしまいました。子供の頃から、落第続き。ラバウルで左手を失い、戦後は30歳半ばにして、紙芝居→貸本漫画家→売れっ子漫画家と怒涛の人生。でもあとがきで
「本当は糞や屁が大好きなので、糞や屁の話をもっとして、糞になりたかった。」
…もう、なんか、下ネタとかいうレベルを超えた発言。いや、この人のマンガは哲学的で、本当に考えさせるものが多いんですよ。「ゲゲゲの鬼太郎」だけじゃないんです。…でも、この発言(笑)。
さて、当たり前の事ですが、どんなに賢い人でも下品だったり、くだらない部分はあるはずです。強いと思われている人間にも弱さが、もろいと思われている人間にも強固な部分が必ずあるはずなのです。様々な側面、場合によっては自己矛盾を多く抱えていたとしても、人間は不思議ではありません。一つの形容詞、一つの言葉で語れる人間などいないのは、ごく当たり前のことです。
ただ私たちは、何気なく生活している中で、しばしば自分を一定「演出」してみせます。それは時に、大切な自己表現として、時にその場の雰囲気に馴染もうとして、時にその場の空気を作りだそうとして、様々な演出を試みます。
しかし、いつの間にか、演出していたはずの自分の姿が、自分の本質そのものだと錯覚することもまた、良くあることです。演出してきた自分の姿に飲み込まれていますような、そんな感覚。
「自分はダメだ」
と言っている人間は本当にダメになる、と幼い頃に良く聞かされました。恐らくは演出していた「ダメな自分」に飲み込まれてしまうからなのでしょう。
分かっているつもりでも、いつの間にか、自分自身を一つの形容詞、一つの言葉に断定してしまう。
もちろん、自分のみならず多くは「他者」に対しても、様々な側面の一部を捉えて、その人「自身」だと考えてしまうことも多々あります。しかし、他者を完全に理解することは出来なくとも、他者の気持ちや心情を思い計ることは出来るはずです。
「相手を思いやる」「自分自身を知る」
昔からことあるごとに、それこそウンザリするくらいに、良く聞かされた言葉ですが、なるほどなぁ、と今にして改めて思います。最近の自分には、何よりも「想像力」が欠けているのです。自分の感情に浸り、そこで自分を誤魔化し、ましてや自分の周囲の人間の思いなど考えられない。そのような中から、抜け出さないといけません。
と、こう書いていると
「お前、ちょっと知ったようなこと書きやがって…結局浸ってんじゃねぇの?」
という突っ込みがあちらこちらで聞こえてきそうです。う~む。
後期に入りました。残された時間は半年ですが、いよいよ私も、本格的に「活動」しなければと腹をくくっています。とりあえず、BKCへの出張頻度が多くなることでしょう。
まぁ……よろしく!