Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

HANA-BI

2006-08-03 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 1997年/日本 監督/北野武
「渡辺哲登場のシーンがとても好き」


北野武の映画は、静かで退屈なのに、なぜか一生懸命見てしまう。それもこれも、「間」のせいなんだ。絵が止まる、音が止まる。なんなんだろう、この静寂は。居心地のいいような悪いようなむずかゆい気分になった時に、すばらしいタイミングで次の絵が始まる。その繰り返しが奇妙な高揚感を生む。

物語は、すごくベタな展開である。不治の病の妻、金がなくてヤクザから金を借りての逃避行、下半身不随になった同僚。普通に撮れば、Vシネマ。だけど、もうこれは頭の先からつま先まで「キタノ映画」なんだ。

スクラップ工場のオヤジ、渡辺哲が登場するシーンが、もの凄く唐突。前のシーンと全く関係なくいきなり道ばたで当て逃げされた軽トラックが映る。、その横をダンプがさらに扉に体当たりして通り過ぎてゆく。そして、すぐに全く違うシーンへ。一体今の挿入は何だったのか、と妙な居心地の悪さが残るのだが、件のダンプを運転していたのは渡辺哲で、同じようなシーンが随分後になって現れ、ようやく観客は先のシーンを理解する。この当たりの見せ方がまさに「キタノ流」で、編集が一番好きと語る北野監督の手腕がこういう場面に存分に現れている。

また、このオヤジと武演じる西刑事のやりとりがかなり可笑しい。例えば座頭市で、まぶたに目の落書きしてたり、落ち武者がわーわー言って走り回る場面は、正直全然笑えないんだけども、HANA-BIにおける、武と渡辺哲の掛け合いは、非常に面白い。キタノ映画には、こういった、乾いたローテンションの笑いの方がぴったりハマると私は思うんだけど。

そして死にゆく西と、生を選び取る堀部の対比がすばらしい。特に私は堀部が花屋の前に佇み、そこに監督が描いた「頭が花にすげかえられた動物たち」の絵が次々と挿入されるシークエンスが好きだ。頭が花になった動物の意味するものは一体何か、堀部はその絵に一体自分の何を投影しようとしたのか。北野監督自身が描いた絵の使い方に関しては賛否両論あるようだが、これほど内的な世界を表現するのなら自分で描くしかない、というのもわかるような気がするのだ。

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