Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

薔薇の葬列

2008-05-05 | 日本映画(は行)
★★★★★ 1969年/日本 監督/松本俊夫
「新宿に現れた妖しきオイディプス」


のっけからエディとパトロンの叔父様のベッドシーンで幕を開けます。エディの裸身をカメラが舐めるように捉えていくのが、すごくキレイ。体の一部が艶めかしいアップで次々と現れる。モノクロームの映画って、なんて美しいのと思わせられます。主役のゲイボーイを若きピーターが演じていますが、これがまた妖しいのなんの。長い付け睫毛にぽっちゃりした唇で。ところがね、このエディがゲイボーイになる前のシーンが何度か登場しますけど、普通の少年の姿で敢えてノーメイクで暗い男の子を演じさせられているの。それが、ピーター自身のリアルストーリーとかぶって何だか切ない。

ピーターは幼い頃両親が離婚し、東京でゲイボーイをしていて何度か連れ戻されたという話を聞いたことがあります。(確かお父さんは日本舞踊の名手で人間国宝の偉い方ではなかったかしら…)この「薔薇の葬列」という作品も父に捨てられた息子の物語。また、当時の学生運動やアングラ劇団の様子も挿入され「現実」と「虚構」が入り乱れた独特の世界観が作り出されています。

タイトルともかぶる「葬列」を思わせるストリートパフォーマンスを群衆の中でひとり見つめるエディ。女の子の格好をしたエディを奇異な目で見つめる人々。これらのゲリラ撮影もいかにもATGという感じですが、当時の生っぽさがびんびんに伝わってくる。地下のゲイバーに蠢く人々、自称ゲバラと名乗る映画監督とその仲間たち。いやはや、本当にこの時代の新宿界隈は怪しい。怪しすぎる。できることならタイムトリップして、この退廃を共に味わいたいと心底思っちゃう。

エディと言う名は、エディプスコンプレックスのエディでしょう。元になったギリシャ悲劇のオイディプス王は父を殺し実の母と姦通しますが、本作のエディはその逆。我が母をその手で殺し、我知らぬ内に実の父と姦通するのです。なんとまあ、衝撃的なお話でしょう。でも、このいかがわしさがたまりません。禁断の果実ですね。禁断だからこそ魅惑的なんです。己の目に刃を突き刺したまま、路頭に飛び出すエディ。デビュー作ながらその体当たりの演技でラストまで我々を魅了します。エディが主演を務める映画内映画や突然の淀川長治のコメント挿入、ゲイボーイたちへのリアルインタビューなど、実験的な要素もふんだんに盛り込まれていて、本当にイカした映画です。

余談ですが、エディのファッションをキューブリックが「時計仕掛け」を作る際に参考にしたって話があるんですが、本当かしらね。

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