Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ラースと、その彼女

2009-01-09 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/クレイグ・ギレスピー
<梅田シネ・リーブルにて鑑賞>

「通過儀礼と母性」

アカデミー脚本賞にノミネートされただけあって、大変語り口の巧い作品だと思いました。と、いいますのも、「人形を恋人だと紹介する」引きこもりがちのラースという突飛な設定。このツカミでキワモノ的に引っ張るのではなく、人と人との触れ合いとは何か、心の傷を乗り越えるのに必要なものは何かをじっくり観客に考えさせる物語へとうまくシフト転換していることです。そのポイントは、現実的に考えればラースは精神疾患と思われても仕方ないのですが、そこはささっと引き上げてしまって、とにかく街の人々も含めて彼を見守ろうとする展開にもっていっちゃうこと。そこには、医師の助言というとりあえずの理由は存在するわけですが、街ぐるみで協力するとなれば、リアリティからは遠ざかります。この時点で、このお話は一種の寓話、ファンタジーとして進行していくのです。

観る側にすればこの切り替えが早い段階でできることにより、ラースの奇行に対して嫌悪を感じることなく、人々はどうやってラースとその彼女と付き合っていくのだろうか、という方へ興味が動きます。その興味はそのまま「私ならどうするだろうか」という疑問に結びついてゆく。これは「ラースと、その彼女」というタイトルでありながら、「ラースとその彼女と、それ以外の人々」というタイトルでもおかしくない。「受け入れる」物語なのです。

そして、「ラースの妄想には理由があるのだ」という医師の台詞により、我々はその理由を読み取ろうとします。これが作品の大きな吸引力となっている。結局、妄想の理由はこれだと宣言されませんが、推測することはできます。この仕掛けが秀逸。物語も中盤になって明らかにされる、人と触れあうことができないラースの障害、臨月の義姉が大きく膨らんだお腹をさする様子をのぞき込むラースなど、大小様々なヒントがちりばめられていて、ラースの心の奥深いところを我々も覗いているような気分にさせられるのです。

(以下、ネタバレ)
我が命と引き替えに母を失ったラースの心の傷は、彼の心の奥深くに根付いていた。そんな彼の不安があふれ出すきっかけとなったのが義姉の妊娠だったのではないでしょうか。日ごとに大きくなるお腹を見るにつけ、自分のせいで母は死んだという罪悪感や、大切な人を失うのではないかという不安がラースに襲いかかった。それはまた、彼に何十年も巣くっているトラウマを追っ払う好機でもあったのです。人形を愛し、触れ、語りかけ、その死を見届ける。その一連の行為は、ラースが経験できなかった、母との愛情交換、そして別れの儀式だったのでしょう。自らの手で葬式を出すことで、彼はようやく気持ちにケリをつけることができた。

そんなラースを率先して受け入れたのが、義理の姉カリンと女性医師ダグマー。ふたりの「母性」がラースを包む込み、成長させた。もし、ラースを支えた女性が妊婦のカリンだけであったら、この物語でアピールされる「母性」は大変陳腐で一面的なものになっていたに違いありません。子供は産めないという中年女性医師、言わば若い妊婦とは対極的な女性をラースのもうひとりの理解者として設定することで、出産や子育てに関わらず女性が持っている「普遍的な母性」の素晴らしさをも伝えているではないでしょうか。とてもいい作品です。

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2 コメント

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こんにちは♪ (ミチ)
2009-04-17 10:07:33
とっても良い映画でしたよね。
オリジナル脚本っていうのがまたイイ!
最初はカリンの親切が押し付けがましいな~と思ったのですが、彼女や女医さんやグルナー夫人たちの「受け入れる」姿勢が本当に素晴らしかった。
ファンタジー色もあったとはいえ、他人を認め受け入れることの大切さを改めて考えさせられました。

ところで、フレアースカートステキですね♪
レギンスの足がほっそりしていて、うらやましい~。
花々の写真もステキでした♪
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ミチさん、こんばんは (ガラリーナ)
2009-04-18 00:19:02
>最初はカリンの親切が押し付けがましいな

そうそう。でも、こういうおせっかいな人ってあんまりいないですよね。彼女の親切心が分かっていたからこそ、ラースのトラウマが噴出したように思います。

足はほっそりなんて、してませんよぉ~。
がんばって隠すのが大変。
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