京町小学校すぐ近くの
中華料理『万里』幼い頃から我家の愛用でした。
その隣にもっと愛用なお店が・・・
今は閉店されてますが、
マルイチ模型。
毎日通っていた小中時代。
小学校5~6年生の時には徹夜で作ることもしばしばだったプラモデル。
当時ゼロ戦・隼など戦闘機を100円で買って組み立て、本物そっくりの塗装を施し店頭で500円で売ってもらう。それで小遣いを作りグレードを上げていったものでした。
ものづくりの感性はここで育ったといっても過言ではありません。
早田の
森井模型、柳ヶ瀬の
江崎模型とともに馴染みでした。
よく無愛想なおじさんが隣の事務所に
出前を持ってきていたなあ。
隣が模型やさんだったんですねー
こういうお店少なくなりましたね。
作ったものを売っていたなんで手先が器用
なんですねー
20mの仮設プールを作って、端から端まで約4秒で疾走するタイムを競う競技でした。
あの頃はイマイ・バンダイ・タミヤ、そしてマブチモーター全盛期でした。
岐阜にもプラモデルメーカーがあったのをご存知でしょうか?
『LS』といいます。
本荘の東海道線の傍にあった小さなメーカーですが、主に銃のプラモデルで頑張っていました。
モーターボートなどのパッケージを手伝ったことがあります。
イラストは北方町在住の山本和夫さんが手がけられ、車や銃も描いていました。
細密画がお得意な優れたイラストレーターで、今でも個展などを開かれています。
切手蒐集も流行っていたので梅林も徹明も本荘も明郷も走り回ってました。
今回LSの生い立ち初めて知りましたが、マイナーな車も戦闘機もここで買ったこともありました。今でも江崎模型さんでLSのイニシャル入った箱を見ますね。郷愁をそそります。
バリを取ってナイフで削ってパテ補修し塗装するあの作業、ものづくりに欠かせない貴重な経験でした。
山本和夫さんの個展是非案内してください。
モーターボートなどのパッケージを手伝ったことがあります???
インディアン号、ハイドロ艇を利用してました。
あーーこの風景。懐かしいです。地元です♪
並びに駄菓子のお店もありましたよね?!
そう、クリーニング屋さんの場所にありました。もう一本東の通りにもあって、毎日通ってました。
ごぼさん入口、かき松の角のそばめし美味しかったなぁ~
写真植字やロゴなどの紙焼きで、版下という印刷の基を作ります。
それらにイラストや写真を嵌め込み印刷のできる原版に仕上げます。
その間に何度もテスト印刷をし、色補正や変更をして、消費者に目立つパッケージを作るのです。
現在は、全てパソコンでの仕事になりましたが…。
ですから、クライアント(LS)やイラストレーターとの打合せが多く、一種の編集者のようでした。
版下レイアウトの仕事好きです。
今の色校は、昔の色校とは違いパソコンの普及でDTPデータが実際の印刷でどのように再現されるか確認する作業になりましたね。
建築の設計も同じくドラフターからCADに。
アナログ時代、味わい豊かで懐かしいです。