正保二年(1645)に建立されたのが始め、延享三年(1746)に焼失。
現在の山門は文政三年(1820)に竣工。
当時ではめずらしく和算により設計されている。
総門とこの山門の間には広々とした石庭が配置され
仏殿と山門の間には灯籠を配した芝生で埋め尽くされています。
左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢が祀られてます。
残念ながら危険とのことで登ることは禁止されていました。
随分と年季の入った小屋組が永年の風雪をしのいで来た象徴です。
最初に感動したのが仏殿の周りの犬走の石積みです。
コーナーの縁石が一枚岩で造られており角に繋ぎがありません。
また縁石のつなぎ目も突き付けでなく相じゃくりと手が込んでいます。
そうそう、紹介が遅れました。今回案内くださったのはガイドボランティアあいの風の新田美恵子さんでした。
もうひとつの感動は、流石富山はアルミサッシメーカーの県。
大庫裏・鐘楼・禅堂を繋ぐ外周の回廊の木製建具の敷居には水抜き孔が設けてありました。
建具は二重になっており、障子を通しての柔らかな光と半分開放したストレートな外光を織り交ぜ醸し出される光と影のコントラストが見事でした。
誰だ!酒飲んで入山しようとしているのは!?
編集途中
現在の山門は文政三年(1820)に竣工。
当時ではめずらしく和算により設計されている。
総門とこの山門の間には広々とした石庭が配置され
仏殿と山門の間には灯籠を配した芝生で埋め尽くされています。
左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢が祀られてます。
残念ながら危険とのことで登ることは禁止されていました。
随分と年季の入った小屋組が永年の風雪をしのいで来た象徴です。
最初に感動したのが仏殿の周りの犬走の石積みです。
コーナーの縁石が一枚岩で造られており角に繋ぎがありません。
また縁石のつなぎ目も突き付けでなく相じゃくりと手が込んでいます。
そうそう、紹介が遅れました。今回案内くださったのはガイドボランティアあいの風の新田美恵子さんでした。
もうひとつの感動は、流石富山はアルミサッシメーカーの県。
大庫裏・鐘楼・禅堂を繋ぐ外周の回廊の木製建具の敷居には水抜き孔が設けてありました。
建具は二重になっており、障子を通しての柔らかな光と半分開放したストレートな外光を織り交ぜ醸し出される光と影のコントラストが見事でした。
誰だ!酒飲んで入山しようとしているのは!?
編集途中
法堂内に障子や礎石から明かりを取り込む陰影が美しかったです。
回廊が物置のように雑然とほこりまみれでしたが、整備されて禅堂を見て。富山を去りました。
明日にご案内する瑞泉寺も見落とせない寺です。