2011年7月11日(月)たこやき その1
「たこやき」を初めて食べたのは、忘れもしない昭和58年の春だった。大阪へ転勤になって、社宅がある西宮市に住むことになった。最寄り駅は阪急の西宮北口でその傍の公設市場内にあった屋台で食べたのが最初だった。
日曜日に家族揃って買い物に出て、たまたま目に付いた店先で立ち食いしたのだが、これが「たこやき」との最初の出会いであった。経木で作った舟形の容器に盛られた10個ほどは忽ちなくなって、容器をどこに捨てようかと迷っていると、店のおやじが「ほかしておきまひょか」と声をかけた。一瞬何を言われたのか分からなかったが「捨てておきましょうか」という意味だと了解したのを覚えている。
「たこやき」は今でこそ全国区の食べ物になったが、当時は仙台にはない食べ物だった。最初に食べた「たこやき」は今振り返ってみると最もポピュラーでオーソドックスなものだった。濃い目のソースをつけ、青のり、カツオの粉などを振り掛けたやつであった。
何で急に「たこやき」の話を持ち出したかと言うと、「文字中毒」で買い集めた本の中に「たこやき」(熊谷真菜著・リブロポート)と言う本があって、昨日読み返してみて「たこやき」の奥深さを改めて知ったからである。
この本に驚かされるのは、「たこやき」の歴史、種類、道具の相違などとことん調べて書いた努力もさることながら、「たこやき」なんて誰も相手にしないようなものに、まともに真正面から取り組んで、一つの研究書に纏め上げたことである。何でも探求すれば学問になるものだ。世の中には変わった人もいるものである。(この項続く)
「たこやき」を初めて食べたのは、忘れもしない昭和58年の春だった。大阪へ転勤になって、社宅がある西宮市に住むことになった。最寄り駅は阪急の西宮北口でその傍の公設市場内にあった屋台で食べたのが最初だった。
日曜日に家族揃って買い物に出て、たまたま目に付いた店先で立ち食いしたのだが、これが「たこやき」との最初の出会いであった。経木で作った舟形の容器に盛られた10個ほどは忽ちなくなって、容器をどこに捨てようかと迷っていると、店のおやじが「ほかしておきまひょか」と声をかけた。一瞬何を言われたのか分からなかったが「捨てておきましょうか」という意味だと了解したのを覚えている。
「たこやき」は今でこそ全国区の食べ物になったが、当時は仙台にはない食べ物だった。最初に食べた「たこやき」は今振り返ってみると最もポピュラーでオーソドックスなものだった。濃い目のソースをつけ、青のり、カツオの粉などを振り掛けたやつであった。
何で急に「たこやき」の話を持ち出したかと言うと、「文字中毒」で買い集めた本の中に「たこやき」(熊谷真菜著・リブロポート)と言う本があって、昨日読み返してみて「たこやき」の奥深さを改めて知ったからである。
この本に驚かされるのは、「たこやき」の歴史、種類、道具の相違などとことん調べて書いた努力もさることながら、「たこやき」なんて誰も相手にしないようなものに、まともに真正面から取り組んで、一つの研究書に纏め上げたことである。何でも探求すれば学問になるものだ。世の中には変わった人もいるものである。(この項続く)