■広島に原爆が投下されてから65年が過ぎた。被爆者の高齢化が進み原爆を体験した人は年々少なくなり、やがて1人もいなくなることは確かだ。けれども世界で初めて投下された原爆が一瞬にして広島市を廃墟と化し、多くの犠牲者を出し、生き残った者も原爆症に苛まれて来た記憶を風化させてはならない。
今年の「原爆の日」は核廃絶への歩みが一つの転機を迎えたような気がする。広島に原爆を投下したアメリカから初めて駐日大使が、また国連からは事務総長が式典に参列した。その背景には核がない世界を実現すると言ったオバマ米大統領のプラハ宣言がある。
その意思を世界に向かってさらに発信するためにルース駐日大使を式典に参加させたのだろう。オバマ大統領自身も在任中に被爆地を訪れたいといっている。核廃絶に向かっては他の核保有国も異を唱えるはずもなく、その話し合いをする場を代表する形で国連事務総長が式典に参列するのも自然の成り行きだったと思う。
冷戦を前提とし、その抑止力としての核を信奉する限り核兵器削減すら言い出すのが難しかった時代にこらべれば隔世の感がある。とは言っても核兵器を根絶するためにはまだ越えなければならないハードルがいくつもある。その困難を乗り越えて前に進もうとする意思を広島での式典に託したと見るのは甘すぎるだろうか。
人類は戦争のためにいろいろな殺傷兵器を開発した。そしてその頂点に核兵器がある。はっきりしていることは、どの兵器も人間が考えて造りだしたものである。人間が造りだしたものなら人間が抹消することだってできるはずではないか。
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