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1月6日(金)七草粥

2012-01-06 13:04:53 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
1月6日(金)七草粥

20数年前から、わが家の雑煮は比内地鶏の出汁で煮たキリタンポ風の汁に、焼いた餅を入れたものにしている。以前は焼きハゼ出汁の仙台雑煮だったが、ハゼの値段が高騰してあほらしくなったから止めにした。比内地鶏は普通の鶏肉に比べれば高価であるがハゼよりはずっと安くて、しかもいい味なので満足している。

お雑煮はところ変われば品変わるで、いったいどれくらいの種類があるのか分からないけれども、中にはこれがお雑煮かと思うようなものもある。関西に赴任した翌年の正月に初めてお目にかかったお雑煮は、餅もダイコンもサトイモもニンジンもすべて丸い形で甘みのある白味噌仕立てだったのに仰天した。四国のどこかでは甘いあんこが入った餅をお雑煮に使うと聞いたことがある。お雑煮は醤油味という先入観があったので、甘いお雑煮にはカルチャーショックを受けた。

仙台では正月三が日はお雑煮と漉し餡をまぶしたあんこ餅をいただくのが普通だった。4日からはご飯に戻り、何日だったか忘れてしまったけれども麦飯にとろろの日があった。餅をたらふく食べて正月疲れの胃を休めようとしたのかもしれない。そして明日7日は七草粥である。

スーパーで「七草セット」を売っていた。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロと少しずつ袋詰めにしたものが4百円近くもするのに驚いた。そんなのを買うぐらいなら、菜園のコマツナ、ユキナ、ホウレンソウ、野生のハコベ、お雑煮に使った残りのセリやダイコンなど、あり合わせのもので間に合わせた方が良い。

若菜が雪のため摘めない地方では、保存できるニンジン、ゴボウ、ダイコンなどの根菜と干し柿、栗などを用いるところもあるそうだ。とにかく「七」と言う目出度い数字にあやかって神のご加護を願うことが大事なので、粥に何を入れるかは裁量に任せられていると考えてよさそうである。

● 退職してから何するの?

2012-01-06 07:26:35 | ■ラ-メン特集



●定年まで2年残して退職しよう!

● 退職してから何するの?

 よく
 「辞めてから何をするの?」
 とか
 「辞めて毎日何をやってるの?」
 とか聞かれます。
 私はいつも
 「何もやっていません。」
 と答えます。
 現実には、家庭菜園程度の農耕をしながら大地と遊んでいますが。

 私は精神的にも疲れていたので、退職後はとにかく何も考えないでボーとして暮らしたいとい
う願望があって、こんな毎日を送っています。
 何年かたったらまた違った生活を求めるかもしれません。でも
 「辞めて何をするかを先々まできっちりと考える必要はない。」
 と思います。
 「退職後は趣味を持たないと!」
 とかいろいろ言いますが、そんなことばっかり考えているともはや脅迫観念となって自分を苦
しめます。

 それから、何もしないといっても結構いろんなことがあるものです。
 「メシどき以外はずっと寝転んでテレビを見ていなければならない。」
 なんてことはありません。
 それでも退職後の暮し方について考えておくことをあえて言うとすれば
 「とりあえず何をするか。」
 だけ考えたらどうでしょう。
 まずは、釣りが好きなら、『釣りざんまい』 を、ゴルフが好きなら 『ゴルフざんまい』 を、旅行
が好きなら 『旅行ざんまい』 をしてみたらどうでしょう。

 でも義務感で何かをするのは止めましょう。
 カルチャセンタやスポーツジムへ行くのも良いですが、あくまでも 『楽しければ』 です。
 何もしないというのは苦痛ではなく 『究極の贅沢』 なのです。

 「毎日日曜日でいいですねえ。」
 と言われたことがありますが
 「いいえ、毎日土曜日です。」
 って答えました。
 「あした会社に行かなければならない。」
 というブルーな気持ちが無いわけですから。

 このように、毎日何をするかというディテールを考えるのはさほど重要なことではありません
が、どういう暮し方をするかの大枠(ハイカラな言葉で言えば『フィロソフィ』かな)については考
えておいた方が良いと思います。
 例えば私の大枠は
 「子供のころのように、無邪気でのんびりとした田舎生活をしたい。」
 ということです。
 具体的に毎日何をするかはディテールであって、上記のように考えれば良いことです。

 この大枠を考えないままだと、それこそディテールの積み重ねの、結果論としての人生になっ
てしまいます。
 でも、これまたひと夫々で、それはそれでいいのかもしれませんが。
 とはいえ、考えてみることは無駄ではないと思いますよ。