朝、カーテンを開けて空を見上げるとお天気がいい、気持のいい朝
朝食を食べていると、ふと息子が言う
「お母さんの名前を付けたのはだれ ?」
「おじいちゃんがつけたのよ、凝り性の人だから姓名判断とか色々調べてね」
「ふーん」
今時の時代からすれば、野暮ったい私の名前だけど、父は相当な意欲で
字画など姓名判断で試行錯誤したらしい
息子の名前は私がつけたけれど姓名判断など気にせず好きなミュージシャンの
名前を一文字もらい、幕末の志士からも一文字もらった
健康に元気に育ってほしいと思った
でも、夫は息子に対して肯定的ではなく疎ましく思い暴力的でうまく行かず、
結果、息子はぐれた💦
夫は実の母親にも暴力をふるう人だった話を聞いたのはずっと後の事。
そして息子は大きな交通事故に遭う、
1ヶ月間にも及ぶ意識不明の末、片目の失明、記憶障害、幼児程度の思考力 を経て今に至る
経緯を知らない人でも普通の大人の男性として対応されるほど回復したけれど
片目の失明は治りませんでした
父がつけた私の名付けに比べたら、息子の名付けは軽すぎたのでは ?
といつも後悔する
今の息子は性格も穏やかで優しい心を待っている
やはり、辛い思いを経験したからなのでしょうか
幼馴染の友人が仕事で人手がたりないと聞くと休日なのにすぐに手伝いに行く
大きな試練は人をひとまわり大きくして、優しくするのでしょうか
息子の名前の漢字を変えるとか呼び名を変えるとか、もう考えなくてもいいの
かもしれない
息子にしても私にしても、大きな祈りの気持ちを抱えている
それが空に届けばいいと思う
どんぐりコロコロ・・・人生の中でコロコロと転がって励まされ学び成長する
お池にハマって大変な時期から得た物で今を生きている
いずれは息子が一人で生きる時期が来るかもしれないけれど
少なくとも周りの人から疎まれてはいない事に感謝しつつ生きてほしいと思う