緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2012年10月28日。メモ。古い布を、マットにリメイクするか、シーツにリメイクするか。

2012年10月28日 07時29分38秒 | 生活の知恵
片づけが、不得意。


なのに

とうとう最近は
多少
片づけが、理解できている日がある。


なぜか、
全部の日では、ない。

ときどき
多少
片づけが、
理解できて、実行できている日がある。


もちろん

片づけが
理解できているときは 
いまだ
・・・ときどき、でしかない。


しかし
ときどき、
片づけの仕組みが、うごく。

循環する。


自分は、
自分の行動の、変化の理由が気になる。


なぜだろう?

なぜ、
片づけられる日が、


物の位置が、あちこち循環する日
物の位置が、移動する日が
最近
ときどき、あるんだろう? 

そういうこと、苦手なはずだったのに。


・・・理由は、わからない。


--



自分は
何を、理解した?


・・・こまった。

自分でも、
自分が
何を理解したのかが、わからない。


全ての変化は、自覚できない。


--


だから、
記録する。

いろんな意味で、
ミステリーな、事柄だけど。


片づけが、
できない状態よりは
いい状態なので、
今は、記録だけする。


--


さっぱり、
変化の理由が、わからないけど。

記録が
必要量になったとき
理由に、たどりつけるだろう。


もちろん
たどりつく先にある
「理由」も、
実は、推測でしかないけど。

片づけ自体が、
ミステリー化するよりは、いい。


一時的に、
片づけが、
よりよく、実行できるときがある。

ただし、安定しない。


--


カテゴリーとしての、
「布の片づけ」について。

実は
布を、裁断することが
当たり前になって、
自分の場合は
布の片づけが、進むようになった。


布を、裁断する。

裁断すると
布は
必要な布と、ゴミにわかれる。


必要な布は、布として使えばいい。
ゴミは、捨てればいい。


この判断が、
気楽に
できる日は
ぼろぼろに
古くなった衣服の処理が、できてる。


裁断する。

一部を、必要な布として使う。
一部を、必要でないゴミとして捨てる。


それだけで・・・。

ぼろぼろに
古くなった
衣服の処理が、
気楽に、実行できる。以前は、悩んでいたこと。


--


無色の布は、
シーツにすることに、向く。

まちがっても、
マットにしては、いけない。


とても
汚れが目立つ色の布でつくった、マット。

そんなマットは、
掃除する回数を、増やすマットだ。・・・そんなもの使うと、掃除回数で疲れ果ててしまうよ。


--


逆の色。

色がついた布は
マットにすることに、向く。


まちがっても、
シーツにしては、いけない。


汚れが目立たない色の布でつくった、シーツ。

そんなシーツは
掃除する回数を、減らすシーツだ。・・・不潔恐怖の人には、向かないシーツだろう。


--


書けた。

なにか、
系統だった視点で、あるはずなんだけど。


何視点なんだろう?


--


もちろん、
マットか
シーツかという、分岐は

足もと視点か
体幹部視点か、という
布の使用用途の分岐、でもある。


分岐には
ちゃんとした理由が、ありそうに見えるが。
 

視点が
2つに分岐した本当の理由は、掃除回数だ。必要な掃除回数を、考えただけだ。


というわけで

布の色と、使用用途。


気付いたときには
足もと視点
体幹部視点に
視点が
わかれていたが、
理由は、掃除回数という、経済的なものだった。


掃除回数を、どの程度にするか。
不潔を、どの程度問題にするか。


・・・
こういうことって
あまり、語り合わない内容でもある。


--


シーツ
についてだけ考えると

さらに
「縫い合わせたシーツか、縫い合わせていないシーツか」という、細かい分岐がある。


縫い目のないシーツが、
体に、やさしい。

シーツの
縫い目は、
睡眠者にとって、ストレス。


場合によっては
寝起きに、
身体に、妙な線がついてしまう。

そういうのが、縫い目のあるシーツ。


だが
コストまで考えると、
「縫いあわせたシーツ」という選択は、おきる。


自分で
布を切って
いろんなものの形に
つぎつぎ、縫い合わせていたから
ある日、気づいた。


「縫いあわせたシーツ」という選択も、おきるんだな。
これはこれで、いいな。
ただし、
高級感はないな。

こんな感じに、気付く。


さらに、考える。

シーツに縫い目がある、ということは
シーツ用の
大きな布が
手に入らなかった、ということだ。


清潔面だけ、考えると、
「縫いあわせたシーツ」で、問題はない。


洗濯は、
自分ですることだ。

シーツの清潔さ
こういうことについては
シーツの持ち主が、
自分で調節できるから、いい。


しかし

「大きい布を、手に入れることができなかったんだな」は
調節できない。


それでも

「縫いあわせたシーツ」というのを
一度でも、
つくって
または
使ってみなければ
この手の判断は、
おきないし、できない。


「大きい布を、手に入れることができなかったんだな」

・・・書いたはいいが
なにやら、滅入る視点だ。


--


どういう、視点だろう。

はっきりと、自覚できないので
何度も
何度も、考え直しているけど・・・。


自分でも、
まだ、よくわからない。


たまに
片づけが、
良いかんじに、進む日があるので、
そんなとき、
自分は、
どんな視点に、一時変化しているのか・・・。

知りたいとおもって、記録更新しました。


だが、少し気分悪いな。


--


おわり。データがたまったら、どういうタイプの視点に、一時的に変化しているのかが、わかるのだけど。まだ、自分でも、よくわからない。ものすごく「不調になる」と、出てこない視点でもある。ちょっと、ミステリー(自分のことなのに、わからないことがあることが、とても、ミステリーであると感じる)


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