緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2012年10月31日。メモ。片づけには、2つの片づけ視点がある。変なマルチタスクも、ある

2012年10月31日 07時36分15秒 | 生活の知恵
部屋の片づけを、
下手なりに
まだ、追求しつづけているが・・・。

どうやら、
「2つ以上基準がある。2つ以上視点がある」


そして
マルチタスクもある。


--


今まで
考えても、みなかったことだし
思いつくことも、できなかったことだ。


部屋の片づけに
基準が
視点が
2つ以上あると、思ってもみなかったので・・・。

現状
びっくりしてる。


なぜ、
今まで、
片づけ用の
視点がいくつもあると、気付かなかったのか。


↑ 他にも、気になることがある。なぜ、「視点が、2つ以上ある」と、今ごろ気付いた?


・・・今ごろ
気付いた
理由までは、わからない。

だが
個人的な理由は、ありそう。


絵を描くと、
「2点透視法」とかが、ある。


絵を描くと
三次元の世界にある、
いくつもの視点が
ぶつかり合って、
絵が、できあがっていると・・・

たまに思う。


紙とか
絵の具でつくられた
絵は、
平面的なものなのに。

手で触ると
平らなのに。


現実の世界に
さわって
平らな世界は、ないのに。


絵の中に、
手で
さわったとき、
なぜか平たい
なのに
奥行きのある景色が、存在する。

写真の中にも、存在する。


手で触ると平たい、
なのに、奥行きのある光景。


だまし絵、ではない。

普通の
写真とか、絵だ。


・・・実際の景色は
手で
ぺたぺたさわると、でこぼこじゃないか?


写真や
絵は
何かが、おかしいよ。


・・・おかしいのではなく
それが、
構図という、技術なんだけど。

・・・たまに、
おかしい、とも思う。


写真や絵画は
さわると
明らかに、平ら。

なのに
景色に
奥行きがある気が、するから。・・・おかしい、とも思う。


--


目の錯覚としての
2点透視法とか、
3点透視法。


しかし
ついつい、
絵を描いてしまうひとは


ある日
好みにより
2点透視法とか、
そういう技術を、使いはじめるようになる。


描くための、
必要性が出たとき
視点が、
2つ以上に、なってしまう。


そして
ここで、
発想自体が、飛躍する。

絵の話で、なくなる。


・・・
片づけ、するときの
視点も
「2つ以上ある」と、気付いてしまった。

ショック。


今まで
・・・そういう意識で、片づけしてなかった。

自分は
何を、見ていたのか?


--


三次元の
世界にある、
いくつもの視点が
ぶつかり合って、
絵が、できあがっている。

片づけだって、そうだ。


三次元の世界にある、
いくつもの価値観
いくつもの視点が
ぶつかり合って、
片づけ
という
全体が、できあがっている。


えらく
めんどくさい、言い方になった。


つまり
「椅子に座ること」と「運動すること」は
同時に、
実行できない。


しかし
1つの部屋に
この
両方の価値観だって、
ついつい、押し込みたくなる。

無理のある、マルチタスクだ。


「椅子に座ること」と「運動すること」

これらは
同時に実行など、できない。


(どうやって、「椅子に座ったまま運動する」というんだろう? それでも。、「椅子に座ったまま運動する」 そういう無理があることを、考えているにちがいない、という判断をするほかない、室内配置になっている家具がある。これは、ショックだ。変なマルチタスクだ。)


同時に、実行できるはずが
ないことを
同時に、実行しようと
していたりする自分。


家具の配置で、わかる。

「椅子にすわる」ことと「睡眠」
「椅子にすわる」ことと「ティータイム」


同時にも
実行できるかもしれないが

もちろん
使う
椅子の種類によっては
同時に、
実行できることだが・・・。


「椅子にすわる」に

組み合わせているほうの
行動
「睡眠」と「ティータイム」


これらを

無理やり
マルチタスク用の、
2行動に、
役割を、わりふったところ

同時に、
実行できなかったので・・・


「眠りながら、ティータイムすることはできない」


変な
マルチタスクを
意識せず
無理やり、実行しようとしていることがあるようだ。

自分にも。


--


マルチタスクの、否定がしたい。


それにしても
「椅子にすわる」のは
「眠る」ためでは、なかったはず。

椅子で、
眠りたかったのでは、ない。


なぜ
「椅子で眠ること」が、
いつの間にか
「目的」みたいに、なってしまったのか?


・・・
「椅子にすわる」+「眠る」


「椅子に座る」+「運動する」みたいな、
変な、
マルチタスクの組み合わせだ。

いつ
部屋の
目的意識が、ずれたのか?


--


気付いて
少し、混乱してる。


だけど
部屋の、片づけには
少なくとも
2つ以上の、視点があるだろう。


・・・それは

「椅子に座る」+「運動する」
みたいな
逆の視点では、ない。


--


もっと考えた。

空調費を、
節約するには
電動の空調を、使わないほうがいい。


しかし
空調を節約して
室内に、
空気がこもる状態にすることは・・・

新鮮な空気を、
いつも吸っていたい
室内の空気を、
ときどき入れ替えて過ごしたい、
このような
空気が循環することを望む
人間の
欲望の否定だ。


もちろん
空気を入れ替えたい、という
欲を満たすには
窓をあければ、済む。

窓を開ければ、事足りる。


しかし
窓をあければ
土ぼこりが、吹き込むものだ。

室内の
いろんなものが
うっすらと、
土ぼこりを、かぶるだろう。


空気には、
土ぼこりも、混じっている。

それでも
「室内の空気を入れ替えたい」と、望んでしまうものだ。


ということは

場合によっては
電動の空調を
つかったほうが、マシなんじゃないか?


窓をあける。


すると、
室内に、風が吹く。

風は
土ぼこりを、
呼び込むこともする。


それでも
室内の
空気を、
ときどき、入れ替えたくなる。

室内に、
空気がこもる状態が
大好きだと、思えない。


わがままだ、とも思うが

室内の空気が
室外の空気と、定期的に入れ替わることが
心地よい。


室内の
風が
定期的に
入れ替わる、ということは

土ぼこりが入ってくる、ということでもある。



それでも
風が、
空気が、
たまに、入れ替わることが心地よい。

追加で、呼び込まれる
土ぼこり
については
掃除するほか、ない。


--


たまに
室内にありながら
室外を思う。


室内にしては
かなり
無理のある、マルチタスクがある。

「室内の空気が、こもっている気がしてくると窓を開けるが、室内に、土ぼこりが増してきたら、窓を閉める。窓をあけて、たまった土埃を掃除する。土埃と、風の入れ替え。なにやら、無駄なことをしている気もする」


--


シングルタスクにしたほうがいい行動も
あるだろう。


シングルタスク化するには
1つ1つの
行動を思い切りやすくする、必要がある。


窓を開けるのは
室内に、風を呼びたいときだが
室内に届く
土埃の量が
気になってくると、窓を閉める。


1つ1つの
行動を思い切りやすくすると
きっと
シングルタスクになる。


・・・
今のところ
室内に
変なマルチタスクが、まだある。

「椅子にすわる」+「眠る」は、
マルチタスクとして
おかしい。

ぜんぜん
休めた気がしない。


その、
マルチタスクが
自分は、好きでないし、
そのうえ、利益にもなってない。


--


シングルタスクにしよう。

そして
1つ1つの
行動を、
思い切りやすくしよう。


「椅子に座る」+「眠る」は
緊急用の睡眠であり
望ましくないマルチタスクだったはず。


個人的にも、向いていない行動だった。


なのに

なぜ
そういうことを
あたりまえであると
一時でも、思ってしまったのか。


そこが
自分でも、わからないが・・・

変なマルチタスクを
実行するための配置でしかない
家具配置が、ある。


今は
室内の
マルチタスクを
シングルタスクに、分解しようと思ってる。


特に
何の、負担もないマルチタスクは
続けてもいいが
・・・
椅子で眠っても、しょうがない。


「椅子に座る」+「眠る」を
なぜか
一時
「理想」と思ってしまった。

この点が
自分自身でも、
まだ、よくわからないんだが。


--


マルチタスクが体に合わない、と気付いた。


室内には
いろんな価値観や
視点が
混ざり合って、存在しているものだが・・・。


「椅子にすわること」と「眠ること」

「家の中にいること」と「家の外にいること」
「室内に、埃がないこと」と「風通し自体が、ないこと」


たまに
妙な組み合わせの
マルチタスクになっていることが、あったので


シングルタスクに分解し
1つ1つを
実行しやくすしよう、と思っている。


だって

少なくとも
「椅子で眠ること」は、
「質の高い睡眠」と思えない。


--


なぜ

椅子で
座ったまま、眠りたくなるほど
時間感覚が
焦ったものになったのかが、いま現在の謎。


--


わからない。


たまに
とんでもなく変な
マルチタスクの
組み合わせになっていることが、わからない。



そして

マルチタスクが
変な組み合わせになってしまった
理由までは、わからないが
今回
「変な、マルチタスクがある」と気付いた。


シンプルにしよう、と思っている。

「2点透視法」のように。


(「椅子で、熟睡すること」は、とても無理があるマルチタスクだった。だが、「たまに必要なこと」だった。・・・年中、「椅子で熟睡したい」のではない。シンプルにしたい)


--


おわり 変なマルチタスクは、なぜ、成立したのだろう。「2点透視法」を、なぜ、生活に応用したくなるのだろう。理由は、わからないが。マルチタスクが減ると、行動判断が楽になる。マルチタスクは、必要に応じて、増えたり減ったりするもの。低品質の睡眠を喜べないので、睡眠くらいは、シングルタスクにしたい。他のことにも、応用できそうではある。

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