親ばか パイレーツ!(一期一会/出逢いに感謝)

田原本町立平野小学校の少年野球チーム 平野パイレーツ応援日記、田原本中学校野球部応援日記、奈良県学童女子野球などetc。

引退

2012-09-13 | 阪神タイガース

金本選手 お疲れ様でした 

遅かったのか、早かったのか 
色々意見はあると思います

リーグ優勝2回に貢献という功績と、痛い痒いと言わず、練習し試合に出続ける姿勢は素晴らしかった 

甲子園球場のライトスタンドに突き刺さる、弾丸ライナーのホームランが忘れられない

 

その輝かしい成績

2561試合(歴代9位)
10397打席(歴代5位) 
8888打数(歴代5位) 
2532安打(歴代7位) 
打率.284 
474本塁打(歴代10位タイ) 
1517打点(8位) 
1361四球(歴代3位) 
72死球 
98敬遠(歴代13位) 
長打率.503(歴代32位) 
出塁率.381 
OPS.884 
166盗塁 
71盗塁死
440二塁打(歴代4位) 
37三塁打 
1700三振(歴代5位) 
96併殺打 
2012/9/12現在

サイクルヒット:1999年4月24日
トリプルスリー:2000年
連続試合フルイニング出場 1,492試合(1999年7月21日 - 2010年4月17日)世界記録
連続試合出場 1,766試合(1998年7月10日 - 2011年4月14日)歴代2位
連続無併殺打 1,002打席(2000年5月12日 - 2001年9月28日)日本記録

楽天・星野監督
「あいつのおかげでいい思いをさせてもらった。いろんな選手とやってきたけどNo・1。この10年で阪神の最大の功労者だろう」阪神を再生するために力を貸してくれ!」と熱意をぶつけ、阪神よりも好条件を提示していた巨人、中日との争奪戦を制した。
金本に引っ張られたチームはリーグ優勝。同年限りで阪神監督を勇退する際には金本に「じゃあ何で僕を獲ったんですか?」と迫られ、胸が熱くなったという。

オリックス・岡田監督
「チームを変えた、それくらいの影響力があった。若いヤツらが痛いと言わんようになったからな」

野球評論家の落合博満氏
 阪神戦の時は、あいつを抑えるか、打たれるか。抑えればうちが勝つ。打たれれば負ける。それだけだった」

野球評論家の野村克也氏
私と同じで、もともと大きな期待を受けずにプロ入りし、誰にも負けない努力で、ここまでやってきた。試合後に素振りを欠かさない。
努力家タイプの典型である好打者の引退は残念だ。
今は後継者不足の時代である。努力と挫折を繰り返した者だからこそ、経験を生かした指導者になれるはずだ。

スポニチによると

今月2日、金本は甲子園球場のクラブハウス内で南社長と話し合いの場を持った。「進退について考えてみたらどうか?」と南社長。「王さん、長嶋さんに匹敵する存在だと認識している。来年については意思を最大限に尊重したい」と敬意を示しつつも、内容は事実上の「引退勧告」だった。

 現役続行を決断した場合、球団は契約更新する旨を伝える一方で、来季は代打専念や2軍調整を通告する可能性も示した。金本からの「まだ若手には負けません」との主張にも「今の若手と競ってどうする。もっと高い選手だったはず。自分の存在を見つめ直してほしい」と諭したという。

 

しかし、突如の引退発表に何やら阪神お得意の裏事情も見え隠れ

SANSPO.COMから

引退を発表した金本が会見で言葉を詰まらせた。すごみの塊のような男が見せた心のひだ。涙は家族への思いだけだろうか。完全燃焼できたのか。答えはNOだろう。

 南社長は会見を袖口で見守っていた。一区切りして花束を渡した。2010年秋、矢野の引退会見では同席していた。その違いの意味も考えていた。「理由はあるはずです」と球団関係者が説明した。9月2日に南社長は金本を呼び、進退について考えるように諭した。来季構想から外れていることを事実上、伝え、決断を迫ったと考えるのが自然だろう。となれば、会見に球団トップが同席しなかったのも合点がいく。

 金本は会見後の取材では軽妙洒脱で少々毒のあるユーモアを連発していた。これぞ、金本。07年秋に虎番になったころの金本だった。懐かしくもあったが、寂しさもあった。あのままでいてくれたら…。

 球団幹部のささやきを聞いたのは金本がメディアと断絶状態にあった2010年ごろだった。

 「将来監督にしてもいいと思っていますが、新聞記者とまだ話をしないのですか。そこは危惧しています」

 08年に敗戦後の自虐的なコメントを大きく報道され、一部の記者以外とは話さなくなった。もちろん真意をくみ取れなかったわれわれにも反省すべき点は多いが、その期間が長かった。今もひきずっている。

 球団との関係が微妙になった時期もあった。2010年の年明け「選手たちだけの力で優勝したい」と発言した。根底には円満とはいかなかった赤星の引退、今岡の退団など、球団不信があった。強くなったのは選手の力、球団ではない-。大スターと球団の間に距離ができた。

 金本が球団改革最大の功労者であることは間違いない。どこでこうなったか、晩年は難しい存在であったことも事実だ。引退が発表されても、将来監督の座が約束されているというムードはあまりない。

 

そして2008年の経緯を探ると

阪神タイガースの部屋 の記事にありました

金本が激怒しマスコミと"喧嘩"

大事なV争いの真っ最中にそんなことしてる場合か

 虎の主砲が揺れている。

 1―3で敗れた6日のヤクルト戦。金本はソロ本塁打を含む2安打とひとり気を吐いた。

 9月27日、弟分の新井が腰椎の疲労骨折から戦列復帰。不調だった4番はその日から23打数10安打、打率.435、2本塁打、3打点。完全に調子を取り戻したようだ。

 そんな金本だが、好調な打撃とは裏腹に、このところ報道陣に対してサッパリ口をきかなくなっている。

 発端は、9月14日の広島戦に負けた際、金本が発したコメントだった。貧打にあえぐチームに対して金本は「このチームはこんなもんでええ。今までよくやってきた」と語り、それが翌日、チームの諦めムードを自虐的に語ったように報道された。

 金本は「(自分の発言は)意図が違う」と激怒。以前にも「今まで勝ってきたのはまぐれ。スターティングメンバーのどこに力のある打者がおるんや。ウチは弱いんや」などとも語っていた。言葉が足りず誤解を生んだとしたら、マスコミだけを責めるわけにはいかないだろう。

 誤解を解くため金本は自身のHPに「(あの発言は)チーム批判をしたわけではない。自分たちは巨人のように力は無い、現実を直視して勘違いしないでガムシャラにやろう! って言いたいだけなのに」などとメッセージを掲載したが、担当記者との関係は今も修復されていない。金本発言の真意について、さる球界関係者はこう話す。

「金本は、フロントに向けて“きちんと補強をしていればこんな苦戦はしていない”ということを言いたかったようだ。前半戦、阪神は快進撃をしていたとはいえ、巨大戦力の巨人が後半戦にかけて猛追してくると金本はみていた。そのときのために、先発投手なり、強打者なりを補強すべきだと考えていた。“状態がいいときこそ、準備を怠るな”ということだろうが、フロントは結局、助っ人右腕のリーソップを獲得しただけだった」

 金本の言うとおり、阪神は巨人に最大13ゲーム差を追いつかれた。自分の発言の意図が理解されず、言葉だけがひとり歩きしてしまったことに対する怒りはわからなくもないが、自軍は巨人と熾烈(しれつ)な優勝争いを演じている真っ最中だ。フロントをグチったり、マスコミとケンカしている場合ではないだろう。

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