親ばか パイレーツ!(一期一会/出逢いに感謝)

田原本町立平野小学校の少年野球チーム 平野パイレーツ応援日記、田原本中学校野球部応援日記、奈良県学童女子野球などetc。

開幕

2017-04-01 | 阪神タイガース

阪神、ズバっと10点コイ倒!糸井が開幕星呼ぶ3安打3打点(SANSPO.COM)

難敵のジョンソン(手前)をたたく2点二塁打だ

 虎を勝たせる覚悟が、感情とともに噴き出す。二塁上、グッとこぶしをにぎり声を上げた。ベンチをズバッと! 指さし、見たかと言わんばかりの超人スマイル。糸井が虎を変えた。移籍初戦から3安打3打点。もう昨季リーグワースト2位、506得点のチームではない。1955年以来、球団62年ぶりの開幕戦2桁得点に導き、昨季のセ界覇者を撃破だ。

 「もうやっぱりいろんな意味で、僕の中でも大事な試合で、活躍できてよかったです。やっぱり応援がすごい熱い中で緊張しましたが、必死で振り抜いて、タイムリーになってよかったです」

 虎初のヒーローインタビュー。興奮していた。一回からジョンソンを攻め、2点を奪ったが1点を返された。息を吹き返しかけた沢村賞左腕を、叩く必要があった。昨年の虎は3勝を献上。対戦防御率1・91と苦しんだ難敵だが、今年は糸井がいる。勝利の使者が、すべてを振り払った。

 
プロ野球が開幕
 
我がタイガーズは昨年のチャンピオン、カープと対戦
 
投手戦が予想されたが、一転打ち合いに
 
 
超人 糸井効果が爆発
 
最高の開幕となりました
 
一人蚊帳の外の北條には今日がんばってもらいましょう~
 
 
勝利の美酒に酔いしれるはずが、まさかの歯痛で悶絶撃沈

春の珍事

2017-03-05 | 阪神タイガース

WBCのかませ犬としての二試合に挑んだ我が阪神タイガース

まさかの二連勝

若手が躍動、鳥谷が躍動~

侍ジャパンには、気持ちよく本番を迎えさす予定がとどめのダメ押し

オーストラリアには、勝たせて油断させるはずが、零封で本気にさせる始末

北條は全開、ルーキー大山初安打、ベテラン能見も好調

WBCの特別枠に阪神を入れてもらうか、レギュラーシーズンを早めていただくか~

 

話は変わり、知事杯予選二日目の大一番を控えた前夜

親ばか家の夕食は 恒例の とんかつオールスターズ


キャンプイン

2017-02-01 | 阪神タイガース

今年の沖縄

離島でキャンプを行うロッテと楽天を含めた7球団が沖縄でキャンプ

アメリカでキャンプを行う日本ハムの一軍が途中から合流

さらに宮崎でキャンプインする広島と巨人も2月下旬から沖縄入りして対外試合を行う

そして今年は韓国からネクセン、LG、KIA、SK、ハンファ、サムスン、ロッテの7チームが沖縄でキャンプ

2月13日からはWBCに挑む韓国代表も沖縄で調整

沖縄の2~3月はまさに野球一色


12球団・キャンプ地まとめ


▼ 日本ハム
<一軍>
・2月1日~10日:アリゾナ州ピオリア『パドレス・ピオリアスポーツコンプレックス』
・2月13日~25日:沖縄県名護市『名護市営球場』

<二軍>
・2月1日~24日:沖縄県国頭郡『かいぎんスタジアム国頭』

▼ ソフトバンク
<A・B組共通>
・2月1日~27日:宮崎県宮崎市『宮崎市生目の杜運動公園』

▼ ロッテ
<一軍>
・2月1日~21日:沖縄県石垣市『石垣市中央運動公園』

<二軍>
・2月1日~26日:沖縄県石垣市『石垣市中央運動公園』

▼ 西武
<一軍>
・2月1日~19日:宮崎県日南市『南郷中央公園』

<二軍>
・2月1日~24日:高知県高知市『県立春野総合運動公園』

▼ 楽天
<一軍>
・2月1日~12日:沖縄県久米島町『久米島野球場』

<二軍>
・2月1日~20日:沖縄県久米島町『仲里球場』

▼ オリックス
<一軍・二軍共通>
・2月1日~28日:宮崎県宮崎市『SOKKENスタジアム』

▼ 広島
<一軍>
・2月1日~20日:宮崎県日南市『天福球場』

<二軍>
・2月7日~3月4日:宮崎県日南市『東光寺球場』

▼ 巨人
<一軍>
・2月1日~12日:宮崎県宮崎市『KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎』
・2月14日~28日:沖縄県那覇市『沖縄セルラースタジアム那覇』

<二軍>
・2月1日~28日:宮崎県宮崎市『KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎』

<三軍>
・2月1日~12日:神奈川県川崎市『ジャイアンツ球場』
・2月13日~3月2日:宮崎県宮崎市『KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎』

▼ DeNA
<一軍>
・2月1日~26日:沖縄県宜野湾市『宜野湾市立野球場』

<二軍>
・2月1日~26日:沖縄県嘉手納町『嘉手納野球場』

▼ 阪神
<一軍>
・2月1日~28日:沖縄県宜野座市『宜野座村野球場』

<二軍>
・2月1日~28日:高知県安芸市『安芸市営球場』

▼ ヤクルト
<一軍>
・2月1日~27日:沖縄県浦添市『浦添市民球場』

<二軍>
・2月1日~28日:宮崎県西都市『西都原運動公園野球場』

▼ 中日
<一軍>
・2月1日~27日:沖縄県中頭郡北谷町『北谷公園野球場』

<二軍>
・2月1日~28日:沖縄県中頭郡読谷村『読谷平和の森球場』

 

そして我が阪神タイガースの初日のメニュー

 

 


祝・FA入団

2016-12-15 | 阪神タイガース

オフシーズン、久々にタイガース ネタを~

 

オリックスからFAで我がタイガースに入団の糸井嘉男選手

 

凄い人生を歩んでたんですね

(Wikipediaより抜粋)

1981年7月31日、元トライアスロン選手の父と、元バレーの国体選手の母の間に生まれる

中学時代

シニアリーグではなく普通の部活動に所属。チームのエースであったが3年時、府大会、全国大会へと繋がる重要な大会の試合直前、糸井がベンチに座って休んでいるのを見つけた顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、真に受けて本当に帰宅してしまう。
その大会をボイコットしてしまった為、エースの不在でチームも早くに敗退。
そのため無名で、強豪校からの誘いを受けられず岩滝町の隣町・宮津市にある普通の公立高校・宮津高校に進学。

高校時代

入学直後に中学時代から割れていた膝の皿を手術。
怪我は重く、リハビリを行い2年時にようやく走れるようになる。
春先の練習試合で復帰登板を果たすが一人に投げ終えた所ですぐに肩の痛みを発症し降板。
今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可が降りた3年春からようやく復帰。
実質3年時の4ヵ月しかプレーしていなかったが、3番投手として活躍し、阪神のスカウトからも高評価を受ける。
それでもドラフト会議での指名が確実ではなかったことから4年後を見据え、関西の強豪近畿大学に進学。

大学時代

田中雅彦、中村真人らと同期だった。1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬)の陰に隠れ3年春まで関西六大学野球のリーグ戦出場がなかった。
しかし3年時の2002年秋季リーグでデビューを果たすと、4年時の春季リーグでは、エースとして2度の完封勝利を含む5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝き、一気にプロの注目を浴びる。
大学通算成績は9勝1敗であった。
2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに現在の「ドラフト1位」にあたる自由獲得枠で指名され入団。背番号は「26」。

日本ハム時代

2006年
投手として結果を残すことは出来なかったが、高田繁GMに野手としての素質を見込まれ、4月25日に正式に外野手にコンバート。
すると転向僅か5ヶ月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。
2軍では最終的に打率.306、8本塁打、8盗塁を記録。
シーズン中の一軍出場はなかったが、11月のアジアシリーズでは出場登録28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦にて途中出場した。
2007年
二年目にして開幕一軍入りを果たすが、結果を残せず二軍落ち。
その後故障もあったが9月に再昇格し、プロ初安打・初盗塁を記録。
しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに登録抹消となった。
二軍では同僚の金子洋平に次いでイースタン・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。
2008年
左翼手として初の開幕戦スタメンを勝ち取るが、直後の3月30日の楽天戦で肉離れを押して試合に出続けた事により、故障箇所を悪化させてしまい二軍落ち。
一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打つ。クライマックスシリーズ第1ステージでは一番打者に抜擢された。
2009年
7番・中堅手として2年連続で開幕戦スタメンを勝ち取ると、そのままレギュラーを掴む。
ポジションは森本稀哲を押しのけ主にセンターを守り、打順は7番や2番として自己最多の131試合に出場し、初めて規定打席に到達。
チームのリーグ優勝に貢献し、打率3割、2ケタ本塁打という大台をクリア。特に二塁打はリーグトップの40本を放ったため、長打率は.520(リーグ4位)を記録。
出塁率も.381(同6位)と高水準で、出塁能力と長打力を総合的に判断した指標であるOPSでは同3位で、格付けの最高位に値する9割超え(.901)を記録と好成績を残し、ベストナイン(外野手部門)を初受賞した。
また守備での貢献も認められ、ゴールデングラブ賞も初受賞。
その他6月には初の月間MVPを受賞。監督推薦によりオールスターゲームにも初出場と、野手転向4年目、ついにその才能が開花した。
翌年の年俸は1,800万円だったこの年の3倍以上となる6,000万円となった。

 

それからは

タイトル

表彰

の活躍

 

人生、いつ花が開くかわからないし、決して諦めない

宇宙人などと言われてますが、この経歴を見るとタイガースの選手に与える影響はとてつもなくデカそうです

 

ただ・・・

オリックスからの人的補償

中継ぎ投手に絞られたとのうわさ・・・


画像等の掲載内容について、訂正や削除等のご要望があれば、対応しますのでご連絡下さい。