20日の大寒から月末に寒さも一層厳しくなるこの季節
珍しく
日中は風も穏やか、気温も穏やかな野球日和な一日でした
今月は、多くのチームが練習試合に来て頂いています
ありがとうございます
あと二か月後に迫った 大会
全国に繋がる知事杯に出場し、さらに頂点を目指し県内の各チームが練習に励んでいます
20日の大寒から月末に寒さも一層厳しくなるこの季節
珍しく
日中は風も穏やか、気温も穏やかな野球日和な一日でした
今月は、多くのチームが練習試合に来て頂いています
ありがとうございます
あと二か月後に迫った 大会
全国に繋がる知事杯に出場し、さらに頂点を目指し県内の各チームが練習に励んでいます
奈良県からは天理と奈良大附属の出場が決定
天理は3年ぶり23回目、奈良大附属は春・夏通じて初の甲子園
ドラマティックナイン Twitterから
24日(土)21:30放送の「NEXT-輝け!アスリートたち-」でも、センバツ出場 の放送情報
虎戦士に愛された大豊さん急死(SANSPO.COM)
中日、阪神で活躍した大豊泰昭さんが18日午後10時41分、名古屋市内の病院で、急性骨髄性白血病のため死去した。
51歳だった。一本足打法から量産するアーチでファンを魅了したスラッガーが早すぎる最終打席を迎えた。
97年オフのトレード。矢野燿大(当時輝弘)とともに阪神入り。交換要員は久慈照嘉、関川浩一。
低迷時の阪神はスラッガーの加入に沸いた。Vの使者ともてはやされ、大豊さん自身も大活躍を約束した。
だが、阪神時代の3年間はグラウンド上よりも、別の話題で取材されることが。野村克也当時監督との確執。
一本足打法が「理にかなっていない」と酷評された。職場放棄をしたこともあった。
99年2月28日、西武とのオープン戦では大注目されていた怪物ルーキー、松坂大輔(現ソフトバンク)から一発。プロの貫禄を見せつけた。
同年すり足にフォーム改造するなどして26試合連続安打(当時阪神記録)をマークするなど、ある程度は成績を残したものの、指揮官との溝は埋まることなく、チームは在籍3年間すべて最下位に低迷。
さらには毎年のように球団と契約でもめて退団、2001年古巣中日に復帰した。
阪神暗黒時代にプレーした気迫あふれる姿を思い出します・・・
親ばかは、ほぼ同年代・・・
早すぎる
ご冥福をお祈りします
新年早々、久々の再会
長男の同級生で高校進学と同時に神奈川県に引っ越したREIJI
冬休みを利用して遊びに来てくれてました
そう・・・
かあかのコメントから記事アップ
関西のオバちゃんパワーを満タンに帰っていきました
懐かしのパイレーツ時代
親ばかにとってここは思い出のあるグランド
昨年のファイナルリーグのブロックでのメイン会場
今年のファイナルリーグもこの日が開会式
各ブロックで熱い試合が始まりました
パイレーツ6年生も合同チームで一日目2試合を戦いました
合同チームの雰囲気も良い感じで、みんな楽しそうです
初日 二戦の結果は1勝1分
気温は低いが、熱い戦いは続きます