象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

数学は宇宙を繋ぐのか?(中盤)〜新しい数学とIUT理論

2022年04月22日 06時12分28秒 | 数学のお話

 数学史上の大論争と言えば、3次元方程式の解を巡るタルターリアvsカルダーノ、微分積分学での先陣争いとなったニュートンvsライプニッツ、楕円積分に関するアーベルvsヤコビ、無限概念を巡るカントールvsクロネッカー、フェルマー予想に関するラメvsコーシーの騒動など・・・数学界を二分するかの様な大騒ぎに発展するものもありました。

 今回の望月博士のIUT(宇宙際タイヒミュラー)理論も、その領域に踏み込んだのかもしれません。
 望月博士の理論には未だに賛否両論はあるが、このままでは平行線で終わる様な気がしないでもない。
 いや、そう思っていたが、望月博士が表舞台に出始めた事で、事態が進展しつつあります。
 というのも昨年末に、望月氏のチームが精密化されたIUT理論を使い、フェルマーの最終定理に別証明を与えたというのだ(朝日デジタル)。
 元々IUT(宇宙際タイヒミュラー)理論は、(以下に述べる)”弱いABC予想に帰着する”と言われてました。
 が故に、大きな論争を呼ぶのも当選と言えますね。


”強いABC予想”とフェルマーの最終完結

 「前回」寄せられたコメントでは、ABC予想の3つ目の定式化として、”質(quality)”と呼ばれるq(A,B,C)で表現したものがあると。
 因みに、1つ目は”弱いABC予想”と呼ばれるC>rad(ABC)¹⁺ᵋで、2つ目はそれを言い換えたC<K(ε)rad(ABC)¹⁺ᵋでした。但し(前回同様)、A,B,Cは式を簡潔にする為に、(整数ではなく)自然数としてます。
 3つ目では、A+B=CでA,B,Cは互いに素を満たす(A,B,C)の組に対し、先述したq(A,B,C)=logC/log(rad(ABC))と定式化する。
 この時、任意のε>0と上のA,B,Cに対し、”q(A,B,C)>1+εを満たすものは高々有限個しか存在しない”というもの。
 今では、q(a,b,c)>1.6を満たす(A,B,C)の組は3組だけが知られてる。
 一方、ε=1でK(ε)=1の場合は”‹強いABC予想›と呼ばれるC<rad(ABC)²を満たす”との主張もあるが、未だ肯定も否定もなされてない。
 但しこの仮定で、(n≥6での)フェルマーの定理が証明出来る(2002)が、望月氏は(冒頭で書いた通り)2021年11月に、この最終定理の別証明を与えた(ウィキ)。
 因みに(ウィキでは)、この主張とABC予想の間に”論理的な強弱関係はない”としている。

 IUT理論は、多くの数学者が知り得ない理解し得ない未知のものです。
 今回、ε=1の時K(ε)=1が証明され、”強いABC予想”と呼ばれるC<rad(ABC)²が証明されて、望月博士の(精密化されたIUT理論により)フェルマーの最終定理の別証明が与えられたとしても、IUT理論を世界が認めるには時間が掛かるのだろうか。

 (前回書いた様に)フェルマーの最終定理を証明するには、「志村=谷山予想」やフライの楕円曲線、保型形式や「岩澤理論」などの難解な数学を必要とした様に、ABC予想もIUT理論という超絶世界の数学を必要とする。
 ただ、IUT理論でフェルマーの最終定理が証明できたのなら、この超絶理論を理解する大きな前進と見るべきだ。
 いやもしかしたら、精密化されたIUT理論こそが、理解し易い望月理論になるのだろうか。
 事実、”IUT理論は正しいかもしれない”という所まで来てるとの声もある。
 かつてのスティルチェスが(誤解の渦巻く中で)成し遂げた”弱い”リーマン予想の証明が、素数研究の大きな突破口となった様に・・・

 日本人としては、日本が(数学では)世界のオーバー・ザ・トップにある事を証明して欲しい気もする。
 その一方で、”難しいだけ”の数学の時代は
終わるべき
だと思う。難しい数学を誰もが(理解出来なくとも)眺める事のできる、いや描ける様な新たな数学(の言語)が必要かとも思う。
 いたずらに突飛な困難さに向かうだけの数学では、誤解や妄想を招きかねない。最悪は、カルト臭い二元論に陥り(誰も相手にしない)”貧しい学問”となり果て、死滅しないとも言い切れない。

 つまり、”わかり易い”数学というのも、新しい数学の一つのあり方だと思う。
 唯でさえ難しい数学とそれを優しく見せる数学の相異なる2つの世界(宇宙際)。その2つの宇宙を行き来する(タイヒミュラー)新しい数学(IUT理論)のあり方。
 そうした事も含め、IUT理論を出来るだけわかり易く説明するのも、望月博士に与えられた宿命なのだろう。
 確かに、”有限個に限定される”という曖昧な主張が故に、「ABC予想」は未だに誤解も多い。が、数論の深い問題と数多くの結び付きがあり、依然として重要な問題であり続ける。
 同じ様に、IUT理論も(誤解も多いが)それだけ壮大な数学の世界でもある。

 前置きがややこしくなりましたが、「前回」の続きです。簡単なので気長に眺めて下さい。


最も重要な未解決問題

 数学の重要な原理原則は”一見して全く違うものを同じと見なす”事である。つまり数学は、違うものを同じと見なす事で誕生した。
 以下(前回同様に)、「ABC予想証明をめぐる数奇な物語」から一部抜粋です。

 18世紀から19世紀前半にかけて、図形(幾何)と方程式という異なる概念を同じと見なす考え方が登場し、全然別物の2つに共通点を見いだし、数々の難問を解決していく。
 19世紀末には、コーヒーカップとドーナツが同じ形だという考え方(トポロジー)まで現れた。”変形すれば同じ形になるものは同じものと見なす”アイデアは、数学を飛躍的に発展させます。
 更に20世紀には、数学の権威ファルティングス博士らが、”数の集まりと曲線を同じものと見なす”考え方を推し進め、これも沢山の難問の解決に繋がった。
 こうした現代数学の原理原則を、19歳の望月青年はやがて打ち破ろうと考えます。

 その頃、”大した事ない予想”とされてたABC予想が証明できれば、数々の難問が一気に解けるという、驚くべき事実が発見された。事実、ABC予想を前提にすれば、350年掛かったあの難問もあっという間に証明できるという。
 ここで、前回の(ABC予想に繋がるエステルレ博士の)奇怪な数式”C/rad(A+B)<rad(ABC)”を思い出そう。
 これは、C<K(ε)rad(ABC)¹⁺ᵋを変形したものでした。
 ”数学の世界には、遺伝子を破壊するたし算が混在し、数々の難問を生んで”います。
 しかし、ABC予想には”数学の世界に混在するたし算とかけ算を巧みに分離する力が備わってる”という。つまり、ABC予想が証明できれば、数々の難問も解決できる。
 こうしてABC予想は、”20世紀で最も重要な未解決問題”と呼ばれる様になる。

 このニュースは望月青年にも届いた。
 シンプルであり想像を上回る奥深さを持つABC予想は、まさに青年が夢にまで見た根源的な難問だったのだ。
 しかし、指導教官のファルティングス博士は望月青年に”挑戦させたとしても、何年も考えて何もできなかったとなるのが落ちだからね”と、この難題を博士論文のテーマとして与えない。
 結果、博士課程修了後、望月青年は引く手あまただった欧米の大学のポストには目もくれず、少年時代に数年間だけ過ごした日本に帰る事を決めた。


なぜ、ABC予想は解けないの?

 1990年代以降、数々の数学者が証明へと挑み始めた。その一人がルシアン・シュピロ博士で、ABC予想のAやBといった数を曲線に置き換え、それが”交わる事を示せばABC予想が正しい”と証明した事になるというものだ。
 2つの曲線は交わるのか?
 苦難の日々を経たある日、シュピロ博士は”2つの曲線が必ず交わる事を証明した”と確信した。
 ”直感的には”2つの曲線は確かに交わる筈だが(根本的な部分に)間違いがあった。
 ABC予想の証明に生涯を捧げた博士は、これ以降、数学の表舞台に姿を消す。その後も、この世紀の難題は、数学者たちの挑戦をことごとく撥ねつけていく。

 2000年を迎えた頃、”あの天才望月が難問中の難問へチャレンジを始めたらしい”と京都大内で噂が流れた。が、望月博士の挑戦は、まるで天国と地獄の往復を何度も繰り返すようだったらしい。
 東京工業大学の加藤文元博士は語る。
 ”予想が解けるんじゃないかと気付いたのは、ホッジ・アラケロフ理論というのを構築された頃で・・・しかし、徹底的に考えた末に無理だという大きな結論に至った。だから、新しい数学を作らねばと考えたんでしょう”

 なぜ、ABC予想は解けないのか?
 前述した様に、ABC予想には左側にはたし算が右側にはかけ算が現れる。
 つまり、この数式を証明するには、混在する”たし算とかけ算を分離する”という、根源的な課題に切り込む必要がある。
 加藤博士はこうも語る。
 ”たし算とかけ算の関係は非常に複雑で難しいもの・・・たし算とかけ算の絡まりが難く固く結びついてる訳です。
 ABC予想は何らかの形で<それを分解してくれ>と我々に要求する。しかし普通の数学でそれを解き解す事は、無理な感じがするんですね”

 望月博士は、”今までにない新しい数学”を模索していた。
 京都大学数理研究所の玉川安騎男博士は、”現代の数学では禁じ手になる様な事も取り入れ、何かできないか?を考えたんです。1+1は2でありながら1+1は5であるとか。二つの直線が交わる事が起こりながら交わらないとか。本来なら矛盾が起こる様な事を活用できないかと考えた”と推測する。
 望月博士は、更に”異なるものを同じと見なす”という現代数学が掲げる原理原則をも見直そうと考え始めた。
 つまり、一度同じと見なしたものを、もう一度異なるものと考える。
 いわば、”2つの世界(宇宙)を行ったり来たりできる数学があってもいいのでは”ないかと。

 少し長くなったので、今日はここまでです。
 最終回は、IUT理論の壮大なる将来像について述べたいと思います。

 因みに、ABC予想の曖昧さと誤解に関しては、「ABC予想のよくある間違い」でわかり易く丁寧に紹介されてます。興味のある方は参考にです。



6 コメント

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tokoさん (象が転んだ)
2022-04-28 06:08:50
返事遅れまして、スミマセン。
IUTの簡易バージョンって、いい表現ですね。

数学は難しいし
難しいから数学なんですが。
その難しさを明確にわかり易く伝える新たな言語(通訳)が必要だと思うんです。
でないと難題だけが独り歩きし、極々一部の天才か狂人の学問になり果てる。
そんな数学の通訳になりたくて、詰らないブログを書いてんですが、難しい所ですよね。
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弱いIUT理論 (toko)
2022-04-27 08:38:29
スティルチェスの
弱いリーマン予想みたいに
弱いIUT理論というのが
あってもいいんじゃないの。
IUT理論の簡潔バージョンというか

ややこしく難しく考える数学と
全てを愚直な程シンプルに考える数学
そういうのがあってもいいんじゃないかな。 
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腹打てサン (象が転んだ)
2022-04-25 00:49:32
ポアンカレが提唱したトポロジーは、従来の幾何学が量や形ではなく質を考察する事で簡潔にして大きな飛躍を遂げました。
IUT理論も変換の質を問う事で、大きな飛躍を遂げるんでしょうか。

これからの数学は柔軟性と多様性というのも必要かもですね。
ガウスの話、懐かしかったです。
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足し算と掛け算 (腹打て)
2022-04-24 15:03:40
ガウス少年は
1+2+・・・+100という複雑な足し算も真ん中らか2つに折り、101×50と簡単な掛け算にしてあっさりと答えを導いた。
どうも足し算というのは計算を複雑にするだけの厄介な存在らしいね。
ガウスは言葉を覚える前に、ややこしい計算や数式をシンプルに変換するタイヒミュラー的な高度なアルゴリズムを脳内に備えていたに違いない。

ガウスは数学だけでなく、測量学や物理学に古典文学に哲学に心理学にと様々な分野に精通し、色んな宇宙を異次元の脳内アルゴリズムを使い自在に飛び回っていた。
ガウスなら、IUT理論をどんな風に説明するんだろう。
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#114さん (象が転んだ)
2022-04-24 06:14:05
言われる通り
宇宙際ダイヒミュラー理論とは
2つの数学を繋ぐ超高度な変換理論とも言えます。
この変換理論を優しく説明するのも
大変な困難な作業なんでしょうね。
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2つの数学 (#114)
2022-04-24 02:13:50
難しい数学と
それを柔らかく説明する数学
この2つの世界を結びつける
それこそ新しい数学のあり方

難しいだけじゃ誰も相手にしない
優しいだけじゃ数学とは言えない

宇宙際(2つの数学)
を繋ぐ変換理論(タイヒミュラー)
の壮大なる夢とは
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