来週には、(最大で10連休とも言われる)GWが始まる。
自慢じゃないが、私にはお祭りとGWには殆ど縁がない。
何をやっても落ち着かないし、何処へ行ってもツマラナイのである。それに、GW後にオミクロン株がぶり返さないとも言い切れない。
東京五輪を開催したお陰で、唯でさえ”グータラ”なコロナ対策が後手に周り、未だに収束(終息)しない。
そういう私も3回目のワクチンがモデルナだったせいか、ほんの少し体調がおかしい。調子に任せて呑んでたお酒が受け付けなくなったし、朝から身体が少しだるい気がする。
一方で、酒代が減り、食事が質素になり、その分だが家計が楽になった。
だが(プーチンの)ウクライナ戦争による物価高と経済不安は、GW後もずっと続くだろう。故に、いつ終わりを告げるか全く不透明なウクライナの惨劇とプーチンの狂気を考えると、唯でさえ憂鬱なGWが恨めしくもなる。
しかし、博多っ子はどんたくの復活で喜んでるみたいだ(多分)。
博多どんたくとは、GW中の見物客が200万を超える、日本で一番の最大級の祭りと称される。博多祇園山笠や放生会(ほうじょうえ)と共に”博多三大祭の1つ”に数えらる。
一昨年と昨年はコロナ渦の為に中止となったが、今年は多少規模を縮小し、開催される。
例年通りなら、前夜祭(5/2)に博多どんたく港祭り(5/3、5/4)となるが、今年は前夜祭やどんたくパレード(広場)などが中止になる。
他には、フィナーレの総踊りや西鉄花自動車なども中止になるとか。
どんたく(Zondag)の歴史と”松ばやし”
(本音を言えば)昨年のコロナ渦で中止になった勢いで、ずっと中止にしてほしかった。
典型の祭り嫌いな私には、なぜこんな下らないお祭りに、大金と人材をかけて開催するのだろう?と何時も疑問に思っていた。
(農耕島民が故の、それも830年余も続く)伝統行事である事の偉大さは理解できる。
しかしGWの稼ぎ時だからとて、毎年毎年同じ様な無味乾燥な催しを、バカ正直に続けるのは如何なものだろうか。
延々と続くウクライナ紛争には心を痛めるが、毎年ダラダラと繰り返される大きなお祭りも、いい加減ウンザリである。
”長く続くには訳がある。伝統行事とお祭りは日本人の魂だ”とお偉い方からお説教を下されそうだが、どんたくが800年以上も長く続いてるのは、「理不尽な進化」的に言えばだが、単に運が良いだけの事ではないか?
そこで、愚痴ってばかりでも先には進まないので、偉大なるお祭り”博多どんたく”の歴史と由来を簡単に紹介する。
博多どんたくは治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記に記され、”松ばやし”をその起源とする凡そ830年余の伝統行事。以来、祝いあう行事をシャレッ気の多い博多町人が発展させたものである。
古い文献によれば、今から400年前に筑前の領主となった小早川秀秋の居城へ、博多の町人が松囃子(はやし)を仕立て年賀のお祝いに行ったと記されてる。
その後、黒田藩の城下町となった福岡と博多町人の町・博多との2つの町が270年間、博多松囃子を通じて交流した。
明治5年、新政府より下りてきた県知事によって松囃子・山笠共中止させられたが、その後、明治12年に再開、”博多どんたく”と呼ばれる様になる。因みに、オランダ語でZondag(ゾンターク=休日の意)がその語源とされる。
戦時中、一時中断されたが、戦後の昭和21年5月、”松ばやし”と”どんたく”が8年ぶりに復活した。
肩衣を紙で作り、馬はハリボテを首から胸に下げ、三味線や太鼓などは戦災を免れた所から借り集めた。“博多どんたく”のおはやしを瓦礫の町に響かせながら練り歩いた事が復興へ大きな勇気を与え、翌年22年には福岡商工会議所が中心となり、戦後初めての”どんたく”を開催した。その後、年に一度の無礼講の行事として年々盛んになっていく。
昭和37年、”どんたく”は市民総参加の福岡市民の祭り”博多どんたく港まつり”となり、現在に至る。毎年5月3・4日の2日間、老若男女が思い思いの仮装でシャモジを叩いて町を練り歩き、町に作られた舞台や広場で踊りを披露し、町中がどんたく一色で湧き返る。
参加どんたく隊のべ約650団体、出場者約3万3千人、見物客約200万人、春のGW期間中、日本で一番?の祭りと言われる様になる。
以上、「博多どんたくの由来」から一部抜粋でした。
プロ野球と博多どんたく
確かに、800年余の歴史を誇るだけの理由はある。
しかし、戦後の博多どんたくは福岡商工会議所の私物化の様にも思え、(疑い深い私は)税金の無駄使いのように思えなくもない。
勿論、こうしたお祭りがもたらす経済効果は200億円超?(福岡市試算)とされ、大きな収入源にはなる。
一方で、どんたく祭りの補助金は5820万ほどとされ、(腐り果てた)オリンピックと同様に、この800年以上の伝統を誇るどんたく祭りにも、色んな企業や団体が群がるのだろう。
勿論、オリンピックみたいに色んな競技があり、様々なアスリートたちが異次元パフォーマンスを披露し、我ら庶民を感動と驚異の世界に誘い込む。
税金の無駄と解ってはいながらも、我を忘れ4年に1度の世紀の祭典に埋没してしまう。
”やっぱり祭りっていいな、4年後が楽しみだ”と思わせる何かがそこにはあった。
勿論、オリンピックと博多どんたくでは規模が違い過ぎるし、催し物のレベルも多様性の次元も違う。
そういう私も幼稚園の頃に、一度だけ博多どんたくを観に行った事がある。
冒頭で述べた西鉄花電車だったが、”アホ臭”に思えた。電車に派手な飾り付けを施しただけの見世物だったが、(今で言えば)ド田舎のストリップ劇場に連れて行かれたみたいで、嫌悪感すら覚えた。
どうもそれ以来、祭りが嫌いになった。
福岡市に西鉄ライオンズがあった頃はGWは”どんたくシリーズ”と催して、指定席のチケットが半額で入る事もあったので、どんたくには行かずに平和台球場へ足を運んだもんだ。
やがてライオンズが(埼玉の)西武に身売りし、博多のGWは気が抜けた様な”どんたく”だけとなった。
プロ野球にはドラマが存在するが、博多どんたくという伝統行事には、ドラマすら存在しえない。そこあるのは、無意味に飾り立てられた(まるで北朝鮮の軍事パレードを延々と魅せつけられてる様な)空疎な空間だけである。
最後に〜野球こそがお祭りだ
ドラマのない祭りは、温かい血の通わない独裁者と同じである。
それでも無能な独裁者ほど長期政権を成し遂げる者もいない。それでも”長く続くには訳がある”のだろうか?
プーチンの20年以上も続いた長期政権の答えは、単なる無差別大量破壊であった。
同じ様に、830年以上続いた博多どんたくの本質が、単なる虚無のパレードだったとしたら?
実は、私の大学時代の(山口県在住の)友人も私と同じ年頃に博多どんたくに連れて行かれ、私と全く同じ感想を漏らしていた。
やっぱり、”アホ臭”である。
事実、福岡市在住や博多在住の人も”どんたくが面白い”と言う人は少ないようである。
毎年ニュースで発表する200万強の人出は、九州各県から天神や博多にショッピングに来てる買物客もカウントするらしく、実測では80万人との報告もある。
そういう事が判っていながらも、毎年全国から多くの観光客で賑わう博多どんたく。
何が楽しくて何が面白くて、博多どんたくに参加するのか?
私は、日本という祭り好きな惑星が理解できなくなる時がある。
プロ野球が開幕した。
奥田英朗さんじゃないが、”日本は野球の惑星”である。ヤッパリ日本人には野球が一番よく似合う。
野球こそが日本が世界に誇れる最高で最大のお祭りである。そこには無限に錯綜するドラマがあり、興奮と失意と喜びと悲しみが共存する。
贔屓のチームが勝てば、お茶の間は派手に盛り上がり、負ければブラウン管に穴が開いた(笑)。
どんたくも山笠も歴史がイタズラに残した(長い歴史をかけて積み上げた)無機質な廃棄物に過ぎない。
古いコートは脱ぎ捨て、新たな冒険の度に出かけよう。その意志と創造こそが最大のパレードである。
希望も躍動もない古いお祭りに明日はない。あるのは、絶望と失望という腐れ果て疲れ果てた伝統という残骸だけである。
そう思うのは私だけだろうか?
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