象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

エリートが暴走する時、大衆は凶器と変わる〜「大衆の反逆」と大衆が生み出す権力

2020年11月28日 05時20分56秒 | 読書

 ”誹謗中傷と権力批判は別もん”に寄せられたコメントに”大衆の反逆”というのがあった。人と違ってるという事が誹謗中傷のネタになり、”大衆の反逆”を生み出すとしたら?
 ”強者が強者に敗れ去る時、屈辱は憐れみに変わる”でも書いたが、”大衆の反逆”が古い権力を打ち砕くとしたら?そして、新たな危険な権力を生み出すとしたら?

 この「大衆の反逆」(ホセ・オルテガ・イ・ガセット著、1930)が書かれたのは、第一次大戦後の戦間期であり、この予言的な内容は世界に衝撃を与えました。
 つまり、著者のオルテガ(1883−1955)が予言した”大衆の反逆”が、そのままファシズムの台頭を生んだ格好となった。
 哲学的に説明すれば、第一次世界大戦の戦火に塗れたヨーロッパは、それまでの理性的合理主義(カント、ヘーゲル、マルクスら)の”ほってても世界は良くなる”という楽観主義は呆気なく崩れ去り、新たな思想家が理性主義を批判するようになる。
 以下、”らすこーり”さんのレビューを参考です。


”大衆の反逆”とファシズム

 この理性主義を早くから批判したのはニーチェだが、彼以外にもこの2つの戦間期には、オルテガを筆頭にウィトゲンシュタイン、ハイデガー、フロイト、カール・シュミット、ジョルジュ・バタイユなど、現代思想に連なる大物哲学者が何人もいた。
 そして、この時代にはソヴィエトとイタリア・ファシスタが登場し、全体主義の脅威がヨーロッパ中を脅かすが、その不穏な時代を鋭く批判したのが、この「大衆の反逆」である。

 オルテガは、なぜ全体主義のような破滅的な国家が出現するのか?を考察し、その原因を狂気の政治家ではなく”一般の大衆”にあると断じた。つまり、一般の普通の国民が”ファシズム”を生み出すと言ったのだ。
 オルテガのこの着眼が凄いのは、ナチスが国民による普通選挙で民主的に法的にも正当に選出された、ヒトラーとナチ党によって独裁化されたからで、つまり、”大衆の反逆”がナチスドイツを選出し、支持したと。
 その上、この「大衆の反逆」は、ナチスドイツの破滅を予期していたかの様な内容でした。
 因みに、ソヴィエトとイタリア、フランコ時代のスペインは殆どクーデターだが、ナチスと大日本帝国は完全に国民の支持の元にファシズムを完成させたが、オルテガが注視したのは、その時はまだ存在しなかった後者のファシズムでした。


オルテガの未来予想図

 一方で、オルテガは”未来主義”というものも提示した。
 要約すれば、共同体同士の連帯にとって重要なのは、過去ではなく”未来”だと言う事。
 オルテガのこの”平和構想”は、理性主義に対する主意主義(保守)とは一見相容れない、”過去=固有の歴史を不問に付す”という発想に基づいてます。
 つまり、それぞれの国同士が過去ではなく、共通の未来を共有する事で平和と連帯を築く。
 これは”保守主義の父”と呼ばれた18世紀末の政治学者エドマンド・バーク(英)や現代の共同体主義の理論と真っ向から対峙する。
 「美徳なき時代」(1933)で有名な共同体主義者のマッキンタイア(英)は、過去と未来の両方を重視するが、オルテガは片方の未来だけであり、その意味では”歴史なき共同体主義”とも呼べる奇妙な着想だとも言える。
 オルテガのこの様な斬新な哲学は、様々な誤解もあろうが、そのアイデアだけを抽出すれば、従来の常識やイメージを覆すものでもある。
 あたかも共通の過去を持たない人間同士が連帯を築き、また世界内存在的に行為を選択し、共有する理想の未来像の為に戦うというオルテガ的哲学は、誰もが自由に使える、思考の手助けをするものとも言える。

 以上、Amazonレビューからでした。


”大衆の反逆”の裏側

 以上だけでも、大まかなオルテガの哲学を理解するに十分だったとは思うが、これに真っ向から異を唱える意見もある。
 ファシズムを単に”大衆の反逆”と決め込んでいいものか?極一部のエリートが大衆の反逆を生み出し、ファシズムを生んだとしたら?
 そういう私は、数学慣れしてるせいか、物事を裏側から眺める悪い癖?がある。従来正しいとされてる事をひっくり返してみれば、本当の真実が露わになる事がある。
 つまり、”逆もまた真なり”である。

 そこで、「大衆の反逆」を裏側から眺めてみよう。
 以下、”広島太郎”さんのレビューから一部抜粋です。☆一つと非常に厳しい評価ですが、読むに値する絶品の論評ですね。

 トランプの登場、ブレグジット(英国のEU離脱)、移民排斥など、ポピュリズム(大衆迎合主義)の跋扈が欧米で目立っている。
 それ故、ポピュリズムの分析とその危険性の警告を世界の論者に先駆けて行った本書「大衆の反逆」への関心が、昨今の日本でも高まっている。
 名著の誉れ高いとの評価もあるが、残念ながらその期待は大きく裏切られた。

 オルテガの主張は、”愚かな大衆が身の程もわきまえず、愚かな直接行動に出る事で民主主義は危機に瀕する”という内容だが、多分、この主張自体は正しい。
 しかし、その様な”ポピュリズムを生んだのは他ならぬエリートではないか?”という一歩踏み込んだ自己省察はない。
 あるのは、一般大衆の身勝手さと愚かさを事細かく書き連ねた考察だけだ。


エリートには責任はないのか?

 ”大衆の反逆の背後にエリートの責任がある”
 これを、オルテガのこの著書が出た後に、世界で起きた2つの事例と並べ、検討してみる。
 まず、第2次世界大戦前のドイツだ。
 ヒトラーを国政に送り込み、熱狂的に支持したドイツ国民。そういう”反逆”に走った大きな原因の1つは、第1次世界大戦後のベルサイユ条約で巨額の損害賠償を押し付けられ、ハイパーインフレに陥ったという状況がある。
 パン1斤が数百万マルクもする様な常軌を逸した物価高にあっては、”誰でもいいから、この危機を何とかしてほしい”とドイツ国民が思うのも当然であろう。
 そして、まさにその思いに応えたのが、ベルサイユ条約を破棄し、ドイツ経済を強力に立て直したヒトラーだった。

 ヒトラーという危険な男を選び、熱狂的に支持したドイツ国民の愚かさを批判するのは簡単だ。が、その前にドイツ国民をその様な状況に追い込んだ懲罰的な損害賠償の背後に何があったのか?を問うのが先決だろう。
 事実そこにあったのは、戦勝国首脳(特に仏のクレマンソー)のドイツに対する復讐感情と、フランスとイギリスに大戦の前後、巨額の資金を貸し付けてたモルガン銀行の会長(JPモルガンJr)の意向だった。
 彼は自らが貸した資金回収の為、”ドイツから金をとれ”と圧力をかけた。この圧力が、アメリカ大統領ウィルソンの意向よりも最終的に優先された(ウィルソンはそういう懲罰的損害賠償に反対だった)。
 しかし、JPモルガンJrの責任は問われなかった。本来、彼こそが”ヒトラー台頭、ひいては第2次世界大戦の原因を作った人間ですよ”と指摘されるべき人物である。
 なぜだろうか?
 それは、この男が当時あらゆる巨大企業に金を貸し捲っていて、その巨大企業は勿論、マスコミも押さえてたからだ。
 つまり、第2次大戦前のドイツでポピュリズム台頭を招いたのは、アメリカと世界でとてつもない権力を持っていた一人のエリートであった。


大衆の愚かな選択

 もう1つ、アメリカの大統領選挙でトランプの様なデマゴーグ(大衆扇動屋)が選ばれた事も、”大衆の反逆”の顕著な例だ。
 この様なアメリカ国民の”愚かな選択”の大きな原因の1つに、リーマンショックを巡るエリートへの反感がある。
 リーマンショックの本質は、価値下落の危険の高い証券の取引を一般銀行が敢えて行い、実際にその様な下落が起き、アメリカと世界の金融市場に壊滅的悪影響が及んだという点にある。
 銀行は、預金者のお金を預かり企業にお金を貸す、という形で経済の基本を支える組織だが、そういう組織が”博奕”に手を出したのがそもそも誤りだった。
 が、そんな”危ない取引”にアメリカの一般銀行が手を染めるきっかけとなったのが、ビル・クリントン元大統領がウオール街の圧力に屈して行った、グラス・ステイーガル法(一般銀行と投資銀行の厳格な分離)の廃止である。

 その後、リーマンショックにより、アメリカと世界の経済が疾風怒濤の中に放り込まれたというのに、その様な危機的状況を招いた当の金融機関のトップ(ゴールドマンサックス会長やシテイ銀行会長ら)はその地位に留まった。のみならず、米政府が当の金融機関救済の為に注入した資金を元手に巨額のボーナスを手にしたのだ。
 何という強欲だろうか。
 ウオール街の連中というのは、今も昔も信じがたい連中ばかりだ。

 因みに、2016年の大統領選挙の候補であったヒラリーは、娘婿がウオール街の富豪であり、夫のビル・クリントンと同様、アメリカ金融界と縁が深い人物とされる。
 腐敗を極めたウオール街のトップ。そして奴らと深い縁を持つクリントン夫妻を見て、アメリカ国民の多くは反発を覚えた。
 ”あれだけの危機を起こしながら、エリートは誰一人責任をとっていない”と憤ったろう。この大衆の反発や憤りが、2016年の大統領選挙で噴出したのではないか。
 もしそうだとしたら、”トランプみたいな男を選ぶなんて、アメリカ国民は愚かだ”と批判するだけではすまされない。


”大衆の反逆”を加速させるエリートたち

 こうしてみると、真に悪いのは”反逆する民衆”ではなく、民衆を”反逆”に追いやるエリートという事が明らかになる。しかし、平穏無事に暮らせている限り、大衆は文句を言わないが、経済が壊滅し、国家が危機に瀕する様な状況に直面して始めて”反逆”が起きる。
 勿論、エリートも人間だ。良かれと思ってした事が、不幸な結果を招く事はある。だが、そのような場合を含め、大きな危機を招いた政治的・経済的エリートの責任は、厳しく問われねばならない筈だ。
 オルテガは、エリートの高貴なる責任に言及してはいるが、”大衆の反逆”の背後にその責任があるのでは?という自問はしなかったようだ。

 つまり、オルテガの理屈からすれば、”愚かな大衆はエリートが作った法と秩序に逆らってはならない。むしろそういう既存秩序に従い、尽くさねばならない”という事になろう。  
 しかし、リーマンショックの様に、エリートが法や秩序を自らの都合のいい様にねじ曲げたら、オルテガはどう反論するのだろう?  
 ”手続きを踏んで反対派を説得するのが民主主義だ”との彼の持論からすると、”議論でもってその不当を訴え、法律や政策を改めさせよ”と言うのだろうか?
 では、大衆のそうした異議申し立てがあっても、エリートの持つ社会的権力に恐れをなし、マスコミも政治家もそれを大きく取り上げず、大衆の声が法律や政策に全く反映されないとしたら?
 つまり、現実の世界ではまさにそれが起きているのだ。オルテガにとっては想定外の事だが、それに対する答えはない。

 彼がもし生きてたら、”高貴なる精神を持つエリートなら、やがてその非を悟って自ら改めるだろう”と言ったかもしれない。だが、現在の政治的・経済的権力者にその様な自己省察はとても期待できない。
 退廃し腐りきった社会的権力者どもを剔抉するには、もはや暴力革命しかないと言いたいが、それではテロリストと何ら変わりはない。
 結局、言論の力で徹底的に糾弾し、責任を取らせる事、それしかない。しかし、洋の東西を問わず、言論出版の世界も社会的権力者に取り込まれ、或いは自ら権力者におもねる者が多いなか、少なくとも一部には、気骨ある言論人がエリートの腐敗に敢然と切り込んでくれる。そう信じたいし、そういう勇気ある言論人がいたら、我々一般市民は全力で応援すべきだろう。
 以上、これもAmazonレビューからでした。


最後に〜エリートの反逆

 結局、”大衆の反逆”とは新鮮には聞こえるが、”大衆の反逆”にエリートのエゴが構えてたとなると、話は大きく変わってしまう。
 勿論、オルテガ氏を悪く言うつもりもない。彼の”未来予想図”は、理想としては聞き入れ難いものではないからだ。
 確かに、”過去に囚われるな、過去に拘るな”と言えば、勇気ある美談にも聞こえるし、JPモルガンJrやウオール街のトップ連中には、都合のいい喜ばしい哲学だろう。
 
 しかし、”反逆する大衆”ではなく、”大衆を反逆に追いやるエリート”という裏側の視点で見つめれば、「大衆の反逆」のもう一つの側面が露わになる。
 つまり、我々大衆が安易に反逆しない為には、常に物事の裏側を注視する必要がある。勿論、表向きの明るい未来論は大衆を勇気づけるに必要だ。しかし、裏側の暗くドズ黒い過去も、大衆が適確な未来予想図を描く貴重なバイブルにはなる。

 結局、何時の時代も、大衆がどれだけ賢く、注意深く物事を考察出来るかが、間違った”大衆の反逆”いや暴走を引き起こさない為のブレーキになるのだろうか?
 ごく一部のエリートのエゴが”大衆の反逆”を生み出すとしたら、これほど怖い事もない。”大衆の反逆”が民主主義を崩壊させる事よりも、ずっとずっと危険な事なのかもしれない。  



8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本スゴイ! (平成エンタメ研究所)
2020-11-28 09:17:13
現代社会も「大衆」から捉え直す必要がありますよね。

たとえば、「日本スゴイ!」「中国は覇権国家で危ない」
確かに中国には覇権国家の要素があるのですが、これらに大衆が飛びつくのは、「ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本が中国に抜かれ、没落しつつある劣等感」の裏返し。
トランプの「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」も同じですよね。

これらの大衆が暴走した時、何が起こるんでしょうね。
返信する
平成エンタメさん (象が転んだ)
2020-11-28 13:24:26
アメリカも大衆が凶器と化し、分裂しそうな気配ですね。同じ様に中国でも大衆が暴走し、狂気と化す時代は近い様な気もします。

エリートの強欲もですが、大衆の凡庸化もとても怖いことですよね。
コメント有り難うです。
返信する
オルテガの蜂起 (paulkuroneko)
2020-11-28 15:13:33
オルテガは”大衆の反逆”の危機を、観念と信念の間にある大衆が到達できない心理状態とみなしました。
一見、観念は思いつきで信念は思い込みに見えますが、潜在的な含蓄の有無により区別すべきだとオルテガは指摘します。つまり、いつの間にか知らない内に入り込んだ確信こそが信念という訳ですね。

長らく続く慣習もこれに似てますが、この不可思議な慣習の力が大衆を突き動かし、集団暴走を引き起こしたとしたら。つまり、大衆の考えが何かに反映され、それが社会が選択した信念に変わった時、大きな問題が起きる。

例えば、長らく正しいとされてきた信念がある賢者の論理によって否定された時、それが正しかったとしても、大衆は何かに憑かれたように拒絶反応を引き起こし、反逆を起こす。
しかし大衆には罪はない。大衆は信念(思い込み)に突き動かされ、観念(思いつき)で行動しただけだから。

オルテガは、大衆の特権が自分を棚に上げて言動し、自らと同じ考えを持つ者を褒め称え、その相手を捨て去る無責任さを持つ事にあるとしました。
しかし、その無責任さはむしろエリートの方に多いような気がします。
オルテガは大衆とエリートを、そして哲学者と大衆を区別しました。しかし今やエリートも哲学者も大衆に媚を売る時代でもあります。

結局は大衆の中からエリートや哲学者が生まれるのですから、明確ではあるんですが。オルテガはこういった基本的な所を混乱してるみたいですね。
彼は”科学的実験が大衆の増長を促す”として、科学者を”無知の賢者”と呼んでますが、オルテガこそが”無知の哲人”であったとしたら。
大衆がオルテガが思ってる以上に賢かったとしたら。大衆は反逆し、自壊するのでしょうか。自壊を乗り越える力を持ってるとしたら。
返信する
オルテガが言ってることは (#114)
2020-11-28 20:52:15
大衆がアホだから暴走するし
エリートと哲学者は特別だって事だよな

大衆や独裁者が犯罪を犯せば
法や権力で罰せられるし
エリートが犯罪を犯しても罰せられない

結局はエリートの罪を
大衆に押し付けてるだけなんだよ
俺はオルテガには賛同できないね
返信する
paulさん (象が転んだ)
2020-11-29 01:12:57
結局、観念と信念の間で売れ動く、大衆の身勝手な心理ということなんでしょうが。
権力やエリートの暴走という視点が抜けてるような気もしますね。

世の中が大衆と独裁者のみで出来てれば、オルテガ氏の論理も正当性があるんでしょうが、大衆の気まぐれな心理というものを今一度理解するには面白い哲学かなと思います。
でもよく読むほどに不都合な点も多いですね。
コメント有難うございます。
返信する
#114さん (象が転んだ)
2020-11-29 01:17:26
綺麗事と言えばそれまでですが、大衆の心理を観念と信念の2つの視点で捉えた事自体はユニークでした。
それに科学技術の発展が大衆を増長させたとも言ってます。面白い視点ではありますが、エリートよりも知識人が悪いという風に聞こえるのが辛いですね。
いつもコメント有り難うです。
返信する
JPモルガンJrの野望 (Unknown)
2021-01-02 00:09:48
という事は
ナチスの暴走と第二次世界大戦のきっかけを作ったのは
モルガン銀行という高利貸し業ということか
返信する
Unknownさんへ (象が転んだ)
2021-01-02 08:09:34
コメント有難うございます。
そういう流れですかね。
太平洋戦争はルーズベルトが策謀し、
原爆投下はチャーチルがトルーマンを説得したといった感じでしょうか。
最近では2つの湾岸戦争はそれぞれ、ブッシュ父とチェイニーが捏造したとも言えますね。
返信する

コメントを投稿