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ガロアの最終論文(プロローグ)〜群の基本と4つの補題

2024年03月16日 13時27分27秒 | エヴァリスト・ガロア

 「その18」では、解の対称性から方程式のガロア群を説明したつもりだが、イマイチすっきりとしない。大まかな概念や観念は理解できても、どうもガロアの本音を理解出来てない気がする。 
 ジョルダンが1870年に「置換論」を発表し、ガロアの方程式論に決着をつけた筈だったが、”置換論なんてガロア理論の序章に過ぎない”と言い放った。
 一般に、5次方程式がベキ根で解けないのは、方程式が”解けない構造の対称性を持つ”からである。5次方程式のガロア群は5つの根の置換全てからなる群で解の対称性を表すが、複雑すぎて対称性が高くなり、最後には対称性が崩せず方程式はベキ根で解けない。つまり、ガロア群は可解群ではない。
 ルフィニとアーベルは解の置換に注目し、ある置換に対しては対称だが別の置換では変更される事に気付いた。係数の体を広げて解の体にしたいが、一般の5次以上の方程式ではそんな拡大体が作れない事を示した。

 一方でガロアは、方程式の係数体と解の置換との関係を群の構造で表し、そのガロア群の中に正規部分群を見出し、剰余類分解する事で、代数的可解性を探り当てた。
 方程式の可解性を群の言葉に翻訳し、解の対称性を捉えたガロアの発見だが、正規部分群の持つ重層的構造から代数方程式を眺めると、計算の限界をはっきりと見て取れる。
 つまり、群の特異な構造と計算の限界こそが代数方程式におけるガロア理論の本質ではないだろうか。無限個ある解の置換を調べるには、それらを群に置き換え、その中に潜む正規部分群を分解・縮小する必要がある。
 ガロアによって方程式論が群論に置き換えられたのも、必然の事ではある。


ガロアの遺書と最終論文

 決闘の前夜、ガロアは夜を徹して何通かの手紙を書いた。そのうちの1通は親友であるシュバリエにあてたもので、個人的な手紙ではなく、公開の数学的遺書であった。
 ガロア理論は3つの論文に纏める事ができ、第1論文は「べき根で方程式が解ける事の条件」の題名で知られる代数方程式論で、第2論文は楕円関数のモジュラ方程式の応用である。そして第3の論文は(以下で述べる)高木貞治氏をして”夢のようだ”と驚嘆させた”積分法”に関するものだ。
 遺書である第1論文はガロアの希望通り、死んだ年に百科評論に載せられたが殆ど注意を惹かなかった。その14年後、リュービルが「ガロア全集」(1846)を出版し、一般の人に知られるようになる。1857年、デデキントがガロア理論を講義したが、これはガロア理論を体の自己同型群と捉えた画期的なものだった。そして、ガロアの希望通り、ジョルダンが「置換論」(1870)の著述を成した。
 更に、”1829年、アーベルの絶筆が数学誌上に登録された以上、何時かは世に出る運命にあってガロアだけが認めた<積分論>だが・・25年後にリーマンに発見されて初めて記録に上った”(「近世数学史談」高木貞治著)のである。
 また、”アーベルの方程式論と比べても、彼の死後3年間に、方程式論がガロア群の発見により如何に長足の進歩を成しえたかが伺い知れるであろう”とも書いている。

 特に、シュバリエに宛てた第1論文は難解だとされる。評価されるまでに何十年も掛かったのも、簡潔すぎて省略が多く、議論を追うだけでも苦労する。だが、それ以上にガロアの時代を超越した意図を掴む事が出来なかったのではないか。
 敢えて”正否ではなく、重要性を問うて欲しい”と遺書の中で願ったのも、”計算を超える数学”の重要性を問うたのだろう。
 数学の論文を読む時、数式や関数等式や記号、それに定理や命題らの羅列にウンザリするし、拒絶反応を示す人も多い筈だ。実は、私もその1人である。
 数学ネタを書いてて、”もっと簡素にならんのか”と何時も後悔する。だが、難しいから数学であり、逆に難しくなければ数学ではない。

 「ガロアの論文を読んでみた」の金重明氏は”17歳のガロアが書いた論文を17歳の少年少女が理解できないものか”と語るが、確かに高校数学の範疇で理解できるかもだが、それなりの覚悟と知識は必要である。
 事実、一通り読んでみたが、ガロアが”固有分解”と呼んだ正規部分群による剰余類分解を理解すれば、理解は十分に可能である。が、そこまで達するのに一苦労する。
 特に、第2節から第4節は非常に複雑かつ難解で、ガロア自身も”僕には時間がない”と混乱した様子が伺い知れる。
 正直私も、この第1論文をブログで長々と紹介するか迷ったが、ここを乗り切ると一気に視界が開けてくる。まるで”計算の上を行く”ガロアの気分に浸れるのだ。

 そこで、実際にガロアが書いた第一論文を1つ1つ確認しながら、ガロアの遺書を散策する事にする。
 大まかな時系列で言えば、「#1」では4つの補題をまず紹介し、「#2」では第一論文の核となる[単拡大定理]を、「#3」では解の置換におけるガロア群の作り方を説明する。
 「#4」では正規部分群の発見と定義を、「#5」ではガロア群と拡大体の対応を、「#6」では剰余類分解とガロア群の縮小による方程式の代数的可解性を述べる事にする。勿論、予定ではあるが
 そこで今回は、以上の前準備(プロローグ)として群の基本からです。
 以下、「ガロアの論文を読んでみた」(金重明著)その他を参照し、大まかに纏めます。
 

序章〜群の基本定理

 本題に入る前に、ガロアは当時既に知られてた幾つかの事実を確認している。
 まず方程式の”可約”と”既約”に始まり、ガウスの「代数学の基本定理」(複素数を係数とするn次方程式はn個の複素数の根を有する)や、「対称式の基本定理」(解と係数の関係で言えば、解を入れ替えてもその値は変わらない)に触れている。
 更に、”ある群が置換SとTを含めばその群は必ず置換STを含む”「置換の定義」を述べてるが、置換が結合法則と単位元εと逆元S⁻¹を満たすのは明らかで、積の演算にて閉じるだけで群である事が保証される。故に、””内の条件だけで置換は群を成す事が分かる。

 一方で、群の基本定理である「ラグランジュの定理」(部分群の位数=全体の群の位数の約数)や「コーシーの定理1」(素位数な群は巡回群)や「コーシーの定理2」(群Gの位数が素数pで割り切れるならば、位数pの元が存在する)の3つを挙げている。
 例えば、①では3次対称群S3の位数は6だが、その部分群の位数は1,2,3,6となる。②は、5個の要素の置き換えである置換群Gの位数が5ならば、G={ε,a,a²,a³,a⁴}となり巡回群を満たす。③は、5次対称群S₅の位数は120で、素数2,3,5で割り切れるが、位数2の元(12)、位数3の元(123)、位数5の元(12345)と、確かにS₅に含まれる。
 以上から、①より全体の群の位数がnで割り切れたとしても、位数nの部分群が必ず存在する訳ではないが、全体の群の位数がpで割り切れれば、②より位数pの部分群が必ず存在する事が分かる。

 次にガロアは、4つの補題を提示している。まず1つ目は、”既約な方程式は有理的な方程式を割り切る時を除けば共通根を持たない。既約な方程式とその他の最大公約式は有理的だからである”[補題1]
 以下、ガロアが手紙で書いた事は斜めの青文字で表すことにします。
 因みに、ガロア理論には群と体という代数的構造が登場するが、その中間に”環”という構造がある。群は足し算と逆算(引き算)にて閉じてるが、体は四則演算(加減乗除)にて閉じ、環は加減乗のみで閉じる。
 例えば、整数は環を成し、整数同士を足しても引いても掛けても整数となるが、割り算では整数にならない場合が存在する。但し、足し算と引き算で交換法則が成立し、可換環と呼ぶ。
 この様に、整数は割り算で閉じてないので、初等的整数論では「ユークリッドの互除法」という割り算の法則が存在する。
 この法則は、2つの整数f,gの最大公約数をrとすると整数m,nが存在し、mf+ng=rを満たし、特にf,gが互いに素な時は、mf+ng=1となる。一方で多項式全体も(加減乗のみで閉じ)環となるので、整数と同じ可換環の構造を持ち、整数の割り算がそのまま通用する。
 更に、”ユークリッドの互除法”が使え、整数f,g,m,n,rをf(x),g(x),m(x),n(x),r(x)の多項式に置き換えれば、m(x)f(x)+n(x)g(x)=r(x)=最大公約式を満たし、特にf(x),g(x)が互いに素な時は、m(x)f(x)+n(x)g(x)=1となる。   

 確かに、[補題1]は整数に翻訳すれば証明する必要はないかもだが、特に”既約な方程式は有理的な方程式を割り切る・・・”とガロアは書いてるが、方程式は多項式と見るべきだろう。つまりガロアは、方程式と多項式を明確に区別してはいない。
 事実、[補題1]を整数に翻訳すれば、”整数fと素数pがあったとして、fとpが1以外の共通因数を持つのはfがpで割り切れる時だけである”となる。
 多項式の場合を考えれば、有理多項式と既約多項式が共通根αを持つと仮定する。ここで(有理多項式の)”有理”とは、この多項式の係数が既約多項式の係数体に含まれる事を意味する。つまり、共通根αも持つとは、x−aを共通因子として持つ事を意味し、従って、有理多項式と既約多項式の最大公約式はx−aを因子として持つ。だが、既約多項式は1と自分以外の有理因子を持たない。
 故に、最大公約式は既約多項式そのものになる筈だ。 

 以上より、[補題1]”有理多項式と既約多項式が共通根を持てば、有理多項式は既約多項式で割り切れる”と言い換えれる。
 故に、ある有理多項式h(x)が存在し、f(x)=h(x)g(x)となり、g(x)=0のa以外の他の根,b,c,…に対しても、f(b)=h(b)g(b)=h(b)・0=0、f(c)=h(c)g(c)=h(c)・0=0、…が成立する。
 つまり、g(x)=0の全ての根はf(x)=0になる。落ち着いて考えれば当然な事だが、この[補題1]の結果は第1論文で大活躍する。

 またガロアは、”既約方程式のf(x)=0の根a,b,c,…が全て異なる”事を前提にしてるが、これは[補題1]からすぐに導ける。
 これは、f(x)=0が重根αを持つと仮定し、f(x)=(x−α)²g(x)として両辺を微分すると、f’(α)=0を得て、f(x)=0ととf’(x)=0は共通根αを持つ。が、f(x)=0は既約方程式なので、[補題1]よりf(x)=0は既約方程式で、f(x)はf’(x)を割り切るが、f(x)はn次でf’(x)はn−1次なので矛盾する(証明終)。

 因みにガロアは、[補題1]の証明を”それ故云々・・・”として省いている。ガロアという天才だから出来る芸当ではあるが、流石に不親切過ぎる。
 そういう私も、こういうのは感覚で理解できる節がある。勿論、きちんと証明する必要はあるが、ガロアが頭の中だけで数学が理解できたというのも頷ける。
 少し短い?ですが、今回はここまでです。
 次回「#1」では、残り3つの補題と「単拡大定理」について書きたいと思います。



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