象が転んだ

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天才とエリートとの違い〜神が堕ろした創造物と、人工的に作り上げた生産物?

2020年02月16日 05時29分21秒 | 独り言&愚痴

創造物か?生産物か?

 天才とエリートは同義で語られる事がある。そういう視点で言えば、エリート中のエリートが天才という事になろうか。ホントにそうだろうか?
 しかし、最初から存在するものを天才と定義すれば、エリートは少しランクが落ちて、毎年一定の数だけ作られる”選ばれし”精鋭集団という言い方も出来なくはない。
 但し、数だけで言えば天才とは限られるし、エリートは一定の数だけ決まった様に”排出”される。因みに、東大卒のエリートは毎年3000人以上が過酷な受験ラインを通じ、自動的に製造される。

 しかし、天才というのは”排便”?みたいに毎年決まった様に輩出されるものでもない。10年に1人の時もあれば、100年に1度の時もある。
 例えば、19世紀初頭のヨーロッパみたいに、1802年後の僅か24年間でニュートンやアインシュタインを凌駕する天才が10人以上輩出する事もある。
 因みに彼らとは、アーベル(1802)、ボヤイ(1802)、ヤコビ(1804)、ディリクレ(1805)、クンマー(1810)、ガロア(1811)、ワイエルシュトラウス(1815)、チェビシェフ(1821)、エルミート(1822)、クロネッカー(1823)、アイゼンシュタイン(1823)、リーマン(1826)らだが。デデキントや、ハミルトンを含めれば13人を超える。因みに()内は誕生年。
 今で言う天才を含めれば、この倍近くはいただろうか。

 そこで、天才とエリートの違いを考えてみる。一体両者は何が違うのか?何が決定的に違うのか?
 神が落とした有機質な創造物と、人工的に作り上げた無機質な製造物の違いと言えようか?いやそうでもないか?
 天才もエリートも、プロフェッショナルな仕事をきちんとこなし、素晴らしい業績を成し遂げる事が出来る人という点では同義ではある。以下、”Mrエレクトの独り言”さんから一部抜粋&編集です。
 

否定される天才と肯定されるエリート

 天才とは常に、自己の精神の葛藤と共にある生き物。負からの脱却を主要な動機と原動力とすれば、エリートとは生まれつき備わった才能に胡座を搔かず、人並以上に努力し、高度な技術を体得し、才能を伸ばして来たと言えなくもない。
 しかし生まれつき、そして繰り返し自分の価値や存在を肯定され続けてきたが故に、自らで自らを肯定する事がごく当り前になり、更には第三者から肯定される事から得られる快感を知り尽くした彼らが、前向きかつ意欲的に物事に取り組めるのは当然の事だ。
 否、それ自体が快楽と考えれば、その様な人種を天才と呼ぶのは適当ではなく、エリートと呼ぶべき人種であろう。

 但しそんな彼らも、”自己闘争”に明け暮れる天才と呼ばれる人種に比べ、一寸した挫折で簡単に挫けてしまう。
 勿論、それは当然の事で、エリートと呼ばれる人種の殆どが、物質的或いは精神的に豊かであったが故、それまで自己の精神の葛藤と向き合う必要が殆どなかったからなのだろうか。
 つまりエリートとは、自己の価値や存在を”肯定”される事で、そこから得られる自己満足を前向きに追い求め、プラスの人生を送る事が出来る人種とも言える。

 一方天才とは、生まれつき“否定”を前提とした育てられ方をしたが故に、“肯定”を得る為には、今現在のありのまま自分を否定し、何かしらの超人的な能力や魅力を身に付ける為に、神のお告げにも似た使命感を自らに課してる様な人種の事を指すのかもしれない。
 よって、天才の一生には幸福に満ち足りた安穏な人生などなく、何事かを成し遂げんとするその途上には、ある種の“復讐”の2文字を感じずにはいられない。

 故に、一見エリートの様に見える人達にも、伝統のある家系故に生み出された歪な親子関係から、一般家庭には在り得ない異常なまでの抑圧を受け、悲しき負の連鎖を背負わされた“哀しきエリート”と呼ぶべき人達も少なからず存在する。
 しかし、敷かれたレールから足を踏み出せず、伝統と言う名の宿命にひれ伏しているとの点においては、エリートも単に“優秀な闘犬”いや“有能な凡人”としか思えなくもない。
 故に我ら凡人の定義とは、”自己の精神の葛藤と決して向き合おうとしない者”の事だと言えるかもしれない。
 以上、erect.blog5.fc2.comからでした。


天才から見た東大生(エリート)とは
 
 3月初旬、今年も3千人を超える東京大学の合格者が発表された。厳しい競争を勝ち抜き、晴れて東大生になる学生は、言うまでもなく優秀な人間ばかりだ。
 地元では”天才”と持て囃され、勉強では誰にも絶対に負けない、そんな一握りのエリートだけが受験生憧れの赤門をくぐる事をを許される筈だが、そこにある非情な現実とは...。
 以下、”東大の中でも神童と呼ばれた男達”から抜粋です。

 特別な受験勉強もせずに、難なく東大に合格した河東泰之氏(57歳)は当時、全国から選りすぐられた秀才たちと接し、率直にそう思った。
 河東氏は現在、東大大学院数理科学の教授を務める数学者だ。幼い頃から周囲と頭のデキが違うのを感じていた。中学高校は名門私立の麻布で過ごすが、自分以上の”才能”に出会う事はなかった。

 ”東大に行けば、自分よりも凄い人間に出会えるのではないか”
 そんな期待もあったが、傑出した”神童”からみれば、参考書を片手に必死にお勉強して入学した東大生は”ただの人”にしか映らなかった。
 尤も河東氏がそう思うのも無理はない。中学生の時に「超積と超準解析」「位相と関数解析」といった大学院レベルの数学の専門書を読んでいた次元の神童だったからだ。
 ”物心ついた頃から数学が好きでしたが、学校の授業で学んだ事はありません。ノートは一度もとった事がなかったし、飛び級ですぐに大学に行ければと思ってました。
 中学生の頃は、東大生が講義で学ぶレベルの数学は理解してましたし、問題が解けない東大生に解法を教えた事もあります。数学だけでなく暗記も得意でした。教科書を一冊丸ごと覚えれたので、試験は殆どできましたね”

 その河東氏は東大入学後、数学研究の道を邁進する。37歳の若さで東大教授になると、3年後には、優れた数学研究者に贈られる日本数学会賞春季賞を受賞するなど、学者としての実績は申し分ない。
 勿論、大人になってからもその”神童”ぶりを発揮し続けている。
 ”10で神童15で才子、20過ぎればただの人”という諺がある様に、普通の秀才であれば、幼少期は優秀でも年齢を重ねるにつれ、”上には上がいる”事を思い知らされ、最後は”ただの人”に成り下がる。
 しかし、河東氏の様に東大教授ともなると、生まれてから定年で退官するまでの65年間、ずっと”神童”と呼ばれ続けている人間が少なくない。
 でも私から見れば、単なる”傑出したエリート”にしか見えないんですがね。


東大卒の神童たち〜これが本物の天才か

 現在、東京大学国際高等研究所で教授を務める物理学者の立川裕二氏(40歳)桁違いの頭脳を持つ神童だ。立川氏は灘中学•高校在学中に、数学オリンピックの日本代表に選出され、2度銀メダルを獲得した。
 その後、当り前の様に東大に進学し、学者になると35歳以下の理論物理学の権威に与えられるヘルマンワイル賞(2014)など世界的な賞を数々受賞した若手の天才教授だ。

 中学校時代からの同級生だった経営コンサルタントの岡村聡氏によると、立川氏は天才や秀才が集まる灘においても”完全に別格”の存在だったという。
 ”灘では中1から高3まで6年間同じ先生に習うのですが。ある物理の先生は指導要領を完全に無視し、大学レベルの解き方を教えていた。テストも難しく、灘の生徒でも100点満点で平均点が13点という事も。
 ところが、そんな問題でも立川は満点を取る。それどころか先生の解法はエレガントじゃないと言って激怒する。その先生は涙目になってましたが(笑)。
 私にも学者になるという夢がありましたが、彼を見て諦めました。それは正しい選択だったなと、今の彼の活躍を見ると改めて思います”

 立川氏と同じく灘から東大に進学し、現在東大大学院理学系研究科で教授を務める岡田康志(’68年生まれ)だ。440点満点の東大模試で2位と100点差のダントツ1位になるなど、彼もまた”神童”エピソードに事欠かない東大教授の一人。
 灘時代からの同級生で、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏が語る。
 ”彼はまず読書量が尋常ではなかった。灘には高校3年間の読書量を記録する読書マラソンがあるんですが、彼は30万頁分の本を読んだ。「ファインマン物理学」などの難解な本も当時から読んでました。
 岡田は私と同じで、東大医学部に進学し、今は分子生物の研究者です。彼は医学部の教授会で政治闘争をする様な性格ではないので、一人で理論を考える今の道の方が肌には合っていると思う。
 東大の研究室にも彼と同レベルの人はいない。岡田は自分のレベルが突出しすぎて周囲に恐縮している様に見えるし、ある意味可哀想でした”

 4人目の神童は、理系教授とは趣の違う畏怖を感じさせる東大大学院法学政治学准教授の和仁陽('63年生まれ)だ。
 この人に限って言えば純度100%の天才ですね。日本にはこういったマルチタスク系の天才が少ない様な気がします。
 和仁氏と東京学芸大学附属高校、そして東大でも同級だった脳科学者の茂木健一郎”物語の世界から抜け出した様な奴”だったと語る。
 ”和仁は頭脳だけでなく、お洒落でスタイルもよく、少女漫画に出てくる天才貴公子みたいな感じでした。小さい頃からヘーゲルやカントなどの西洋古典に通じ、クラシック音楽にも造詣が深かった。
 勉強も凄かった。センター試験の時、和仁が申告したのは1000点満点中の981点。その年の大学入試センターから発表された最高点でした。私にとって彼との出会いは一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の様なものでしたね”

 以上、gendai is media.jpからでした。


エリートという名の生産物

 こうしてみると、”東大教授より勉強のできる人間などいない様に思える”と締め括られてるが、自分の得意分野だけを自慢されたら、彼らは”天才”という名の神童に見えるだろう。
 しかし、どう見ても天才というよりお勉強が非常によく出来る”エリート”というイメージしか湧かない。でも凡人から見れば、やはり天才には変わりはない。

 上述したマークシート世代の4人の神童が仮に、現代社会が作り上げた人工的な”生産物”だとしたら、これほど悲しい事もない。
 結局、東大卒エリートというのは、その大半が平坦で無機質な受験マシーンとして子供達を集団隔離し、ある一定の枠型に6年間押込み、統一試験の時期になったら、トコロテン形式で一気に圧縮して押し出す。
 そして、その勢いで束になって東大に入学させる。ラサール石井が言ってたんだから、間違いないだろう。勿論、例外がある事は承知の上だ。
 つまり、この”排出”の仕組みには、ホロコースト系自虐いや北朝鮮系スパルタの香りがしないでもない。

 彼らエリートにとっては、マークシートとは言え、一応は難関を勝ち抜いた”選ばれし民”であり、お勉強が出来ない哀れな民からすれば、称賛されるべきではある。
 しかし、良好なベンチスコアを叩き出す中華製の格安のスマホと”彼ら”とは何処が違うんだろうか?と思わなくもない。
 勿論、格安スマホと東大生を直接に比較できる筈もないが、無機質な現代の受験システムを勝ち抜いた彼らにあるのは、”お勉強が出来た”という懐かしい思い出だけなのだろうか?

 東大卒の偉大なる?エリートを見る度に、そういう不条理を感じてしまうのだが。
 因みに、私にとっての天才の定義は”イケメン”である事だ。つまり、いい男である事が必要条件である。逆を言えば、ブ男にエリートはいても天才はいない。
 そう言えば、アーベルもガロアもラマヌジャンもいい男だったよな。



14 コメント

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髪が抜けて来た!? (天災爺)
2020-02-16 07:48:10
神が降りて来たなんてトンでもネ~
髪も気もドンドン抜ける一方
天災爺さん (象が転んだ)
2020-02-16 10:06:56
オオサカ堂のフィナロイド(fincar)でどうよ。ミノキシジル(Noxidill)は思った程の効果はないかな。
あくまで自己責任で(^^)
Unknown (kaminaribiko2)
2020-02-16 11:59:17
努力しなくても、勝手にできてしまうのが天才。努力した結果、できたのがエリート。
天才は努力という辛酸をなめていないから欲がない。
努力で勝ち取ったエリートは努力した元を取ろうとする。
だから天才は清く、エリートは汚れている。
ビコさんへ (象が転んだ)
2020-02-16 13:17:10
超脳力を使って難題を難なく解くのが天才。
能力と努力で困難を克服するのがエリート。

しかし哀しいかな、天才はエリートに潰される。そうエリートは薄汚く出来てんですね。
天才とは (Unicorn)
2020-02-16 21:11:10
自分が天才とは思ってない人。
エリートとは自分が天才だと信じて疑わない人。
UNICORNさん (象が転んだ)
2020-02-17 06:17:05
模範に近い解答ですね。
確かに、天才は自分を天才と思った時点で終りですから。それに対し、エリートは常に自分がエリートだという自意識過剰です。

つまり、お勉強が出来るだけの無能という事で。
Unknown (Unknown)
2020-02-17 07:34:49
とある某ゴム工場でも高温高圧でゴムクローラ(キャタピラ)を60分間しっかりと焼き固める。
灘高校のように6年間しっかりと受験の枠型にはめ込み、エリートを製造するシステムはゴムクローラの製造と全く変わらない。

エリートが製造物というのには笑った。
Unknownさん (象が転んだ)
2020-02-17 11:45:57
エリート校の話を効く度に悲しい思いがします。病人みたいなエリートを育てても国家の利益になる筈もないし、本人はもっと迷惑でしょうが。

親は何としてでも子供を有名校に入れ、エリートにし、自分たちもエリートの親と褒められたいんでしょうね。

焼き固められるゴムクローラよりも悲しい製造物ですかね。コメント有難うです。
天才とは (腹打て)
2020-03-13 07:10:45
人が出来そうもない事を平気でやれる人
エリートとは人が出来る事を完璧にこなす人
腹打て腹さん (象が転んだ)
2020-03-13 15:10:15
天才とは、人が出来そうにもない事に挑みかかる勇気を持つ人。
エリートとは、人が出来る事しかしようとしない勇気のない人。
とも言い換えれますね。

ナイスなコメントどうもです。

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