象が転んだ

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権力と正義と告発の連鎖〜映画「SHE SAID」が暴ききれなかったもの

2024年07月13日 03時40分22秒 | 映画&ドラマ

 この手のノンフィクション系の作品は、真実の暴露や事実の再構築という売り文句で、観る者の同情や感動を誘う傾向にある。
 故に、大きくヒットするか?誰も相手にしないか?となるが、本作は大成功を収めたと言っていい。
 勿論、それが悪い筈もない。正義の訴えは認められるべきであり、正義を行使する事で悪事を働いた、特に権力者には厳しく罰せられるべきだ。
 一方で、”ペンは剣よりも強し”の典型の作品でもあるが、悲しいかな日常の現実を見れば明らかな様に、ペンだけでなく”法律も権力には簡単に屈する”のである。
 事実、この映画が公開された2年後には、事もあろうに、ワインスタイン受刑者が2020年のNYで受けた(禁錮23年の)有罪判決が覆ってしまう。故に、こうした悲しい結果を知ってしまうと、何だか見る気が急速に失せてしまった。

 勿論、映画の大ヒットに対する弁護側のリベンジの意味もあろうが、彼らも彼らで”公平な裁判を受ける”という正義の権利を行使してはいるのだが・・・
 そこで今日は、映画「SHE SAID~その名を暴け」をレヴューとは別の、”正義と告発”という角度で検証する。


性暴力の不条理と告発の難しさ

 プロデューサーと大物女優が性的関係を持ったとすれば、それはセクハラではなく単にスキャンダルとなる。だが、大物プロデューサーが一方的にかつ日常的に女優に暴行すれば、それはセクハラと言う日常の話題ではなく、権力が巣作る性弾圧の構図の問題となる。
 映画「SHE SAID」(2022)がハービー・ワインスタインの性暴力を描く以上、その告発記事を書いた女性記者及び被害に遭った女性らの奮闘劇という縮図は明確である。
 こうした権力によるセクハラの原因が性差別ではなく、ハリウッドという”業界の隠ぺい構造にある”事を見出した点では、合格点を上げてもいいと思う。

 事実、性被害は密室で行われる事が多く、証拠が極めて少ない為、事件化する事が難しい。更に、証拠がなければ民事で訴える事も難しく、結局は”僅かな示談金”だけで、性被害者は守秘義務を強要される。その上、秘密保持契約により口封じされ、以降は世間に公表できなくなる。
 一方で、被害者が勇気を持って告発しても、権力である加害者への忖度により、マスコミは動こうとしない。例え、大きく報道されたとしても、派手な取材攻勢とスキャンダラスな憶測記事は、被害者を精神的に追い込んでしまうからだ。

 従って、ジャニーズ喜多川の性加害問題と同様に、ワインスタインの慢性的な性暴力(レイプ)は長い間自明であったにせよ、黙認され続けていたのだ。更に、過去に告発の記事は幾度となく掲載され、(屈辱を覚悟で)実名で被害を訴える人々も少なからずいた。
 でもなぜ、ワインスタインはそれ以降も性暴力を繰り返したにも拘らず、法や正義は動かなかったのか?いや動けなかったのか?
 つまり、この作品が焦点を当てたかったのは、権力に押し潰されてきた被害者らの心の叫びにある。だが、こうした不条理な現実は、権力に忖度するメディアにより矮小化され、ありふれたSEXスキャンダルとして処理されてきた。結果、芸能ゴシップ扱いされ、一般人による罵倒・偏見・脅迫など、告発者に対する非難が逆に集中する。
 結局は、権力による重犯罪が、巷では賛否両論で盛り上がる下半身ネタ風の陳腐な三面記事として、面白おかしく消化され、忘れ去られてしまう。

 因みに、本作の主人公であり、NYタイムズ記者ジョディとミーガンだが、トランプの性加害告発がスキャンダル化した苦い体験を持つ。つまり、彼女たちは権力に脅されながらも、性暴力へ向かう権力の構造を追っていたのだ。
 勿論、権力に真っ向から対峙する彼女らの決死の覚悟は称賛に値するし、多くの被害者女性にも大きな勇気を与え、”MeToo”(私もよ)という空前絶後の社会運動にもなった。
 ただ、この映画の興行的な成功だけで、権力による性暴力が減る筈もない。あくまで、多くの女性の怒りの声を代弁しただけであり、真の意味での解決策には程遠い様に思える。
 一方で確かに、彼女らの勇気ある告発は権力を有罪に追い込んだ。だが、映画では勝利への告発で幕を閉じるが、現実はそこまで甘くはない。前述した様に、映画公開の2年後には有罪判決が覆ったのだから・・・


最後に

 事実、ワインスタインは2020年にNYの陪審員裁判で、強姦と性暴力の件で23年の実刑判決を受けていた。更に、23年のLAの裁判では別件で16年の禁固刑を言い渡され、合計で39年の実刑となった。だが、24年に(原告側の証言が公平ではなかったとして)控訴裁判所はNYでの有罪判決を覆し、裁判のやり直しを求めている。
 因みに、ワインスタインの弁護側は”NYと同じ事が再び起きる筈だ”と自信を示し、LAの判決にも既に控訴を通達している。というのは、LAの裁判でも検察側は、同様の被害を受けた証人を4人も出してきたからだ。
 しかし、カリフォルニア州では1996年に州法が変更され、性被害のパターンを明確にする為に、似た様な被害に遭った証人の出廷には寛容になってはいる。

 ワインスタインは現在72歳。糖尿病で心臓や目も悪く、裁判所には歩行器を使って出廷した。NYで23年の懲役が出た段階で”刑務所で人生を終える”と思われた。が、LAでの有罪判決は正義の最後の砦でもあり、NYの控訴でワインスタインが勝利した場合に備える意味もあったのだろう。
 ただ、どっち転んでもワインスタインが刑務所の中で死ぬのは明らかにも思える。
 そう、人が思う程、権力は長続きしないし、老いに勝てる程に人は万能ではない。

 一方で、権力に簡単に蹂躙される法制度が存在する限り、権力による性暴力はなくなる筈もない。
 映画では、ワインスタインが23年の禁固刑を受けた事で、性被害者の勝利で幕が閉じるが、事は映画の様には単純ではなかった。
 勿論、この映画に真っ向から反発する形で、弁護側が反撃に転じ、4年前の有罪判決が覆った訳だが、映画の様に正義が権力に勝利する確率は、現実には非常に小さい。
 だが今こそ正義を信じなければ、勇気と決死の覚悟を持って権力を告発した被害者たちの心の叫びは報われない。
 それだけは言える。   



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