象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

マクドナルドの創業者レイ•クロックに見る20世紀のビジネスモデル。その10〜マクドナルド兄弟のその後とレイクロックの復活撃と〜

2018年09月19日 04時31分34秒 | マクドナルド

 1ヶ月ぶりの”ファウンダー”ブログですが。ソナボーンの偉大な功績を記した”番外編”と、マクドナルドとレイクロックの本流を綴った”本編”のダブルの展開になってて、少し読み難いと思うのですが。

 ”その9”(7/27)まで行って、”その4”と”その5”(共に8/25更新)に戻り、再び”その10”へと進みます。その5までは《クロック自伝》と《わが豊穣の人材》の2冊を同時に読み進め、行ったりきたりの展開になってたんですが。

 以降は、”わが豊穣の人材”のマクドナルド帝国がメインになります。シーズン2にしてもいいんですが。やはり、”ファウンダー”の主役はレイ・クロックですね。という事で、彼の自伝を大目に見ながら進めていきます。


 さてと、マクドナルド兄弟が要求した270万ドルをどうやって借り入れたかは、”その6”でのべましたが。もう少し判りやすく説明しますと、投資屋ジョンブリストルと、彼が依頼した12使徒の投資家の存在も非常にラッキーな事だったんですが。リチャードボイランという会計士の知略と、ソナボーンの論法の賜物でもあったんです。

 30年で270万ドルの融資返済プランだが。特に、前半の15年を3期に分け、それぞれ、総売上の0.4%、0.5%、0.6%、という設定(平均で0.5%)にした。この微妙な設定も鍵ですね。

 勢いを増し、驚異のペースで売上を伸ばすマクドナルドは、僅か6年以内で元金の270万ドルを支払い終えた。実質0.4%という、マクド兄弟に支払ってた総売上の0.5%より、20%少ない額で、マクド兄弟から全てをもぎ取った事になる。まさにマジックですな。

 お陰で、以降の元金と総売上の0.5%の差額のローンにては、270万ドルの6%の利子で計算されてたが、殆ど懐を痛めずに支払い終えた事になる。
 利子を含め、全てを完済したのが1972年というから、元金返済(6年)後、僅か4年(計10年)で完済し終えた事になる。
 ブリストルの計算によると、最低でも総額700万ドルと見積もってたが。実際はそれを大きく下回ったかもしれない。
 
 ここら辺のソナボーンの先読みと洞察力、それにボイランの解析力というか。見事すぎますね。一応補足しときます。


 さて、その後のマクド兄弟ですが。クロック自伝である”成功はゴミ箱の中に”では、お互いがハッピーだった。兄弟はリタイヤし、兄のマックが死んだ後、弟のディックは再婚して丸くなり、クロックとの関係を、”今までのビジネスで最高の関係だった”言ったとか。嘘に決まってますな(笑)。

 実際、マクド兄弟は100万ずつの小切手を友人や同業者に見せびらかしてたというから、満更嘘だとは言えませんが。
 しかしクロックは、この7年間積もりに積もった鬱憤を一気に晴らす。クロックはすぐさま、ロスに飛び、マクド兄弟の最初の成功の店”サンバナディーノ”のド真ん前に土地を買い、マクドナルド店をオープンさせた。

 クロック自伝にも、彼が兄弟の店を廃業に追い込んだとあるが。実際には少し異なる。クロックが土地を求めてロスに飛んだ時、マクド兄弟への復讐を閃いたのは、実はクロックの第一号店のフランチャイジーで、長年の付き合いであるアートベンダーの一言だった。

”なあ、オレは執念深い方ではないが。今度という今度は奴らに思い知らせてやりたいんだよ”
 この悪魔の囁きが、クロックの動物的本性に火を付け、油を注ぐのだ。クロックも言われてる程、悪い人ではないんですね。


 一方、兄弟が”ビッグM”という新しい看板で、建て直した店は、赤と白の外装に金色のアーチという見事な外観だったが。目の前に新規オープンしたクロックの店も全く同じ外観だった。違いと言えば、昔ながらのマクドナルドの看板があるだけだ。

 ”僅かな差”が大きくモノを言った。常連達は店が新しい場所に移っただけだと思い込んだ。マクドナルドの新しい店の売上はパッとしなかったが、兄弟の店に与える打撃は甚大であった。

 1972年のサンバナディーノの新マクドナルド店の開店以降、”ビックM”は急降下を始め、6年後に身売りするも、その2年後には閉鎖に追い込まれた。   


 その後、兄マックは1971年に他界し、弟ディックは、100万ドルを様々に投資し、設けたお金でかなり裕福な暮らしをしたという。

 しかし、兄弟は巨万の富を取り損ねた。マクドナルドの売上の0.5%を手放さなかったら、ディックはクロックに劣らぬ大富豪となっていた。兄弟が権利を全て譲渡して以来、マクドナルドの売上は770億ドルに達する。兄弟のポケットには3億8500万ドルが入る筈だったのだ。黙ってても年に5500万ドルは転がり込む計算だ。

 これは兄弟から権利を買い取った当時は、クロックすら予測できない事だったが。これで、クロックのマクドナルド兄弟への復讐は完全に成し遂げられた事になる。

 それ以上に、クロックが自由を得た事は、マクドナルドにとって非常に大きかったと言える。メニューに、店の模様替えに、全てにおいて自由が与えられた。この自由がなかったら、マクドと言えど、月並みの平凡なファーストフードで終わってたろう。つまり、マック兄弟が創始した、このファーストフードという業界を支配するに不可欠な柔軟性を手に入れたのだと。


 こうやって、クロックはフランチャイズを完全に掌中に収めた。一方、影武者ソナボーンは不動産をコントロールし、彼の財務戦略のお陰で、マクドナルドを自在に拡大できる資金を蓄えてた。
 
 お陰でクロックは、全チェーン店を直営にしようと考えた事があった。全チェーンを直営店に変える資金があれば、フランチャイジーに販売権を売る必要がなくなると考えた。結果として、この直営家は夢物語に終わるが。クロックには、本社の経営方針を1から10まで、全チェーン店に指示できる立場にあったのも事実。しかし、この”集中コントロール”を会社内部は否定的な目で見ていた。


 つまり、市場の動静に遅れを取らぬ為には、販売促進•広告•商品開発といった事を本社がやってては駄目なのを、クロックは見抜いてた。つまり、マクドの市場を活かすには、フランチャイジーやサプライヤーの創意工夫が必要なのを見抜いてた。

 フランチャイジーの力を借りる2つの理由として、フードチェーンの大量販売がマーケットリサーチのような”科学”ではなく、”現場の技術”に負う所が大きかった事。もう一つは、本社スタッフが経営や財務に力を注ぐあまり、”販売”が疎かになる事。
 つまり、クロックは”現場”こそがチェーンビジネスの成功の鍵である事を見抜いてたのだ。

 というのも、クロック自身、広告や新商品開発やマーケティングなどの才能には恵まれていなかった。相手と向かい合ってる時は輝いてるが、広告媒体の利用法には精通していなかった。
 クロックは盛んに新商品の開発に取り組んだが。殆どが失敗の連続だった。これはクロックの自伝には殆ど触れられてはいない。むしろ、自分の新商品のアイデアが全て成功したかの様に語ってる。

 一部の例を上げると、イチゴのショートケーキやパイナップルバーガーなど、素人が見ても笑えそうなものばかり。つまり、クロックはセールスの名人ではあるが、特に新商品お開発には全く才能がなかったのです。

 一応これで前半戦終了という事で、今日はここまでです。



2 コメント

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現場ファースト (tokotokoto)
2018-09-20 02:27:55
おはようございます。

わが豊穣の人材を少し読んだんですが。著者のJFラブは、結構クロックをべた褒めしてますね。

現場ファーストの精神が、フランチャイジーにとっては大きな励みと支えになったみたいです。日本では起業家と言えば、無能でがさつで叩き上げという3点セットが殆どみたいなイメージですが。クロックは彼なりに色々と考えてますよ。

転んださんは、クロックには手厳しいですが。意外にいい人かも。後半戦でクロックに対する評価がどう変わるかが、楽しみになってきました。
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Re:現場ファースト (lemonwater2017)
2018-09-20 04:27:22
tokoサン、久し振りでもないか。

 たった今、リーマンその1の3を投稿し終え、ヘバッてる所です。

 再び、わが豊穣の人材を読み進めてんですが。やはりクロックは偉大ですね。トランプやブッシュなんかのボンボンや成り上がりとは、全くの別モノですな。

 マクドナルドが如何に人材に恵まれたか。ビルゲイツやジョブスやマードックが束になっても、クロックやソナボーンには敵わんでしょうか。

 知れば知る程に味の出る偉人だったんですかね。だから苦労した人は、何とも言えない魅力に溢れてんですね。後半はクロック寄りのブログを建てますかな。
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