象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

マクドナルドの創業者レイ•クロックに見る20世紀のビジネスモデル。その16〜クロックからターナーへ、若き帝王の躍動と〜

2019年03月07日 05時25分10秒 | マクドナルド

 2/13以来の”マクドナルド”です。創業者クロックとマクドナルドの基盤を築いたソナボーンの物語を終えた所で、終りにしようかとも思いましたが。若き帝王ターナーの躍動には目を見張るものがあります。パッとしないブログですが、宜しくです。


クロックの2度目の離婚

 ソナボーンが去り、クロックとターナーの新旧コンビが躍動する新生マクドナルドですが。クロックの下半身?は、急成長のマクドナルド同様に”盛り”を増します。

 7年前にジョニー・スミスに婚約を破棄されたクロックだったが(その6参照です)、偶然にも今度は彼女の方からクロックに会いに来たのだ。この極秘のお忍びデートにジョニーの母はカンカンだったが、彼女の腹は決まっていた。
 ”この時私はレイと結婚しようと決めてたんです”と、めでたいコッテ。

 再びジョニーに逃げられるのではと焦ったクロックは突然、2番目の妻ジェーンとの離婚を決意する。”その6”では若き秘書のドビンス•グリーンの筈ですが、先進めます。
 このボスの離婚発表は、丁度クロックと元妻ジェーンとの世界一周クルージングの旅立と重なった為、役員たちからは”愚者の船”と揶揄された。
 
 このクロックの”個人的な事件”は、後のマクドナルドの運命に大きな影響を投げ掛けていた。ソナボーンが去った後のこの空白の1年は、ターナーを成長させるに十分な期間でもあったのだ。

 クロックは敢えて、新社長のターナーに時間を与えた。勿論マクドナルドに対する影響力を破棄するつもりはなかったが、何時までも権力に執着するタイプでもなかった。
 クロックにとってジョニーとの新しい生活は、会社をターナーに引き渡すに十分過ぎる理由だったのだ。

 

クロックとターナー

 クロックはマクドナルドに掛けた壮大なビジョンを、ターナー以外に任せられる奴がいない事を、ずっと前から確信してた。 

 ソナボーンとクロックは正反対の人間だったが、クロックとターナーも対照的なタイプだった。
 お洒落なクロックは常にダンディで、至って明るく開放的。それに対しターナーは無頓着で閉鎖的で、直属の上司だったソナボーンに似てた。クロックが醸しだす”富の象徴”は、ターナーにすれば全て”虚飾”に見えた。

 それにターナ一は、中流階級の住む郊外を離れない。運転手付きの高級リムジンはすぐにお払い箱にした。ハンバーガービジネスを庶民的企業と考えてた彼には、クロック流の派手できらびやかな生活が許せなかった。


 ただクロックが外食産業の経営者として成功したのは、彼がショーマンシップに長けてたからだ。しかしターナーには、クロックの華麗さは全くない。強固な意志の決断力の塊ではあっても、裏方が性に合ってたし、面白いスピーチも、聴衆を楽しませる点ではクロックの足元にも及ばない。
 それにメディアを避ける傾向にあったし、応じたとしても、クロックの持つ当意即妙の才に欠け、あくまで真面目一本を通した。 

 

若き帝王ターナーの躍動と

 70年代を通じ、創業者クロックは終始マクドナルド最高のスポークスマンで有り続けた。店舗を何千と増やしつつも、それぞれ精彩ある人間味溢れた組織としてのイメージを保ち続けれたのは、やはりクロックのお陰である。 
    
 ターナーが社長の座に君臨しても主役はクロックだった。新店舗のオープニングでも、TVやカメラの前でもメディアの前でも、メインを張るのは常にクロックだった。

 勿論、ターナーは補佐役に甘んじる筈もない。”俺こそがボスだ”というクロックを泳がせてただけだった。つまりターナーは、常にクロックをボスだと見てたし、どんな些細な事もクロックに確認した。
 
 故に、マクドナルドが2つの陣営に分裂した60年代の失いかけた社内の調和を、ターナーがクロックに従属する事で取り戻したのだ。

 ”ターナーはクロックを操縦する事もできたんだよ。出来のいい息子が親父を扱う様な調子でね”と、ある幹部は漏らす。

 ボスを上手く手懐け、それでいて経営に関しては、ソナボーンにも劣らない強い力を持っていた。しかしそのターナーですら、マクドの顔であるクロックに影に隠れ、社外では今なお事実無名に等しい。年商110億㌦企業の最高責任者として、当然名が通ってる筈の業界においてすらそうなのだ。


 一方クロックは、事実上の全ての采配を若き社長のターナーに与えようと仕向けた。ターナーも躊躇わずその権力を行使した。彼の采配ぶりは、”ターナーのロボット”と揶揄されがちな声からは、遠くかけ離れてた。

 社長の座を継いだ初めの5年間(1969〜73)で、マクドが過去15年間に経験した以上の大変革をやってのけたのだから。
 ”厳密に言えば現在のマクドナルドは、フレッド・ターナーの作品なんだ”と、ある幹部は漏らす。
 


新しきライバルたち
  
 1968年、ターナーが社長に就任した時のマクドナルドは、第一の成功を達成した若い会社が必然的に遭遇する困難に差し掛かってた。ターナーですら、一気に大企業に移行するプランに消極的だった。
 
 一方ファーストフード業界は猛烈な勢いで増え続け、マクドナルドの一時的優位も脅かされていた。

 1967年のバーガーキングは年間100店舗増設を達成し、マクドナルドの拡大ペースに並んだ。店舗数はマクドの1/3強に過ぎなかったが、業界3位の大手食品メーカー”ビルズベリー”の傘下に入る事で、強力なライバルにのし上がる。

 バーガーシェフも拡大計画では、マクドとの差を100店以下に縮める猛追をしていた。その上、業界2位の食品加工メーカー”ゼネラルフーズ”から2000万ドルの融資を決め、殴り込みを掛けた。


 こうしてファーストフード業界は企業間の過当レースが始まり、大手食品メーカーの殆どがこの業界に足を突っ込んでいく。

 ラルストン•ピュリアナは西海岸のドライブインを買収し、”ジャック•イン•ボックス”と名付け、ボーデンは”ハンバーガー•ボーイ”をチェーン店とし拡大、コンソリデーテッド•フーズは”キャンディ•ライト”を買収する。

 新しい複合企業もまた、てっとり早い儲け口に食指を伸ばす。砂糖会社であったグレートウエスタンはピザチェーンの”シェーキーズ”を傘下に入れ、食品サービスが本業のサーボメーションはオハイオのファーストフード企業”レッドバーン”を獲得、マリオットはバーガーチェーンの”ロイ•ロジャース”の操業に乗り出す。
 有名人や著名人のファーストフード店への名前貸しも、一種の流行りになった。
 
 こうしてみると、景気後退に備え、ソナボーンが取った”スローダウン”は、結果的にマクドナルドを危うい立場に追いやった。この隙にライバル達が挙って参入してきたのだ。


 ”あちこちで競争の花火が飛び散ってた。1週間に1つの割合で新たなチェーン店が生まれてたよ”と、ターナーは当時を振り返る。

 過当競争の煽りを受け、マクドナルドは追い詰められる。強気のターナーも流石に、財力ある企業に資本と庇護を仰ぎたなった。そしてその千載一遇のチャンスが訪れる。

 先述のコンソリデーテッド•フーズが、”キャンディライト”を買収した勢いで、マクドナルドをも傘下に収めようとしてきたのだ。
 社長のカミングスは早速切り出した。”我々の会社を何とか結びつける手立てはないのだろうか”。勿論、買収という言葉はあくびにも出さない。

 しかしクロックは忽然と言い放つ。”一流企業からそう言って頂く事は光栄の至りだが、貴方がお持ちの大会社を我々の手で運営するとなると、少々荷が重すぎますかね”
 このクロックの強烈な拒絶は、カミングスに有無を言わせずノックアウトした。そして、その後のターナーとマクドナルドの運命を変えた。
  


”キヤをトップに入れろ”
   
 このクロックの毅然たる態度は、ターナーが受け取った数多くの教訓の中でも最も大きいものだった。合併話に少しの色気も見せなかったクロックはターナーに向け、”ギヤをトップに入れろ”とゴーサインを送ったのだ。

 若き帝王ターナーは、すぐさま単純明快な戦略をとる。つまり”拡大”である。但しクロックも含め、誰もが予想だにしなかった、”ハイペース”の拡大であった。

 拡大こそが過当競争を生き抜く唯一の解決策であったにせよ、ターナーが行った拡大策は、ライバル達の度肝を抜くには十分だった。社長に就任した最初の2年間で不動産&建築部門を2倍に増強する。温めてた”5年計画”で、従来の年間100店のペースから一気に500店に増やす為の布石でもあった。

 当面のライバルであったバーガーシェフとバーガーキングは、マクドナルドの古い拡大ペースに合わせてたが、この新たなペースにはついて行けなかった。
 事実マクドナルドの新店舗は、69年211店、70年294店、71年312店、72年368店、73年445店、そして74年には計画通り、515店を数えた。

 この業界での過当競争が一段落したと見誤ったビルズベリーは、バーガーキングの拡大ペースにストップを掛ける。結局これが、74年までにマクドナルドに2000店の差を付けられ、はるか後塵を拝す結果に繋った。

 バーガーキングの創業者マクラモアは、マクドナルドに追い付き追い越す為に、チェーンをビルズベリーに売り渡したのだが、ビルズベリーの消極策に酷く失望し、社長の座を降りた。
 ”ビルズベリーが犯した間違いは、69年から72年にかけバーガーキングの成長を抑えた事だ。その間にマクドナルドは有利な立場に立った。クロックはさすがだったな、ピッチを上げる絶好のチャンスを見逃さなかった”とは、マクラモアの弁だ。

 しかしゼネラルフーズのバーガーシェフは、もっと大きい打撃を被った。



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