象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

女子バレーチームが我が家に・・真夜中の訪問者”その126”

2023年03月04日 05時21分15秒 | 真夜中の訪問者

 ここんとこ続けて変な夢を見たが、今回の夢は呆気ないほどに面白かった。
 何と、日本代表の女子バレーボールチームが我が家にやってきたのだ。
 監督は中田久美さんだった(と思う)。いきなりやってきて、”ここで合宿する事になったから泊まる所を貸して下さい”と言う。
 スタッフも含め、全部で20人ほどはいただろうか。勿論、殆ど年頃の女である。が、デカい女達である。
 一応、我が家は(2階を自分の部屋としてる小屋とは別に)3軒分の大きさがあるから極端に困る事もないが、1軒に7人として何とかギリギリに入る計算にはなる。がしかし、彼女たちは普通の大きさじゃないし、とにかくデカいのだ。それに天井にまで届きそうなのもいる。

 彼女たちはトレーニング機器ら資材などを小屋の1階にに置き、荷物は好き勝手に置いていき、トレーニング場へと向かっていく。
 中田監督やスタッフらに炊事場と風呂場を案内したが、飲食とお風呂は外で済ませるから”寝る場所と洗濯をお願いしたい”と言う。
 そうこうしてる内に午前中の練習が終わり、我が家に戻ってきた。というより、汗を掻いてびっしょりとなったトレーニングウエアやタオルを個々が好き勝手に洗濯機の上に放り込み、そのまま再び練習へと向かう。
 あっという間に洗濯機がある洗面所が汗に塗れた衣類らで一杯になる。
 普通の衣類やタオルならまだしも、ブラジャーやショーツまで玉石混合状態だ。それも年頃の女性だから、色もデザインもカラフルである。


中田久美さん登場

 私が部屋一杯に積み上がった洗濯物に見とれてると、スタッフの1人が”大型の洗濯機が3台は必要だな”と言い放つ。
 私は”小屋の1階にでも置きますか?”と訊ねると、中田監督がやってきて、”すみませんが予算がないので、アナタ悪いけど今すぐ買ってきてもらえる?”
 私は頭の中が真っ白になった。
 ”えええーっ、私がですか?”
 中田監督は当然のように言い放つ。
 ”そうアナタよ、アナタの他に誰がいんの”
 私は必死で冷静さを保とうとした。
 ”いやいや、それはあんまりでしょ?だっていきなり土足で入り込んできて、大型の洗濯機を3台用意しろと言ってるようなもんでしょ”
 ”あ、すぐ試合だから、もう行くわ。後はスタッフらと話を決めといてね”
 彼女は後腐れもなく、待機してるバスへと向かう。

 ”中古だったら少しは安くなるのかな。ネットで検索してみよう。早くしないと、選手たちにまた怒られる”とスタッフの1人が漏らす。
 ”スミマセン・・いつ私が金を出すと言いましたぁ?それに何がナショナルチームだ。洗濯機一つ買えない様な貧乏チームは何処で練習しても無駄だね。オリンピックのメダルなんて夢のまた夢だ”
 私は怒りがフツフツとこみ上げてきた。
 ”今何と言った?”
 そこに立っていたのは、有名なバレーボール界のあるOGだった。
 ”買えないんだったら、そこにある小さな洗濯機で何とかするのが男でしょ”
 ”この小さな洗濯機で、この部屋一杯になった20人分の洗濯物を洗えっていうんですか・・・”
 ”それ以外に何かいい方法でもある?為せば成る。それが私達代表チームの伝統でありモットーなの。理解して頂けたかしら?”
 ”精神論が伝統であり貴女らの流儀なら、それは競技やスポーツじゃなく拷問だ。ギロチンで処刑される古代ローマ時代の戦士と同じじゃないか”
 ”アンタね、屁理屈言うんじゃないよ。拷問であれ処刑であれ、戦士はそんなもの恐れない。だからメダルに価値があるの”
 ”命以上に価値があるものが、この世に存在すると本気で思ってるのか?”
 ”アンタが知らないだけよ。栄光は命よりもずっと尊いって事を”

 年頃の女のカラフルなブラジャーやショーツを見てて、いい気になってた自分がバカだった。
 彼女たちは純粋な戦士である。人生と肉体と精神をバレーボールだけに捧げる戦士なのだ。つまり、私達が思う様な年頃の女ではない。
 でなければ、世界と対等に戦える筈もない。改めて、彼女たちの凄みを等身大に感じてしまう。
 しかし、だ・・・この量の洗濯物を毎日毎日3度ずつ持ってこられたら・・・
 私はこの場から、いやこの状況から逃げ出したくなった。
 ”私は運命の全てを競技に捧げる戦士ではない。普通の人間だし、痛みを感じるごくごく弱い生き物である”

 私は洗濯機をボコボコに壊し、荷物をまとめ、逃げようと車のキーを回した。
 その時、目の前にいたのが中田監督であった。
 女は薄笑いを浮かべている。
 私は全身に鳥肌が立ち、ただただ立ちすくんで、アクセルを踏めないでいた。そしてその時、夢から覚めた。


東洋の魔女

 日本女子バレーボール界には、未だ語種になってる”東洋の魔女”という伝説がある。それは、昭和30年代に活躍した女子バレーボール日本代表チームの呼び名である。
 1964年の東京オリンピックでは旧ソ連を破り、金メダルを獲得。1961年の欧州遠征で24連勝した際、現地メディアにつけられたニックネームだ。
 同五輪では、ユニチカ貝塚工場の選手を主体としたチームで出場し、5試合で落としたセットは僅か1セットのみ。決勝戦では視聴率85%とも言われる記録を打ち立て、スポーツ中継としては歴代最高となる。
 選手は午前中は会社に勤務し、昼の3時から真夜中の1時までの10時間の練習と、超ハードぶりであった(ウィキ)。

 ただ、当時バレーボールという競技はとてもマイナーなスポーツで、1964年の東京五輪で男女とも初めての正式種目になる。
 特に、女子の参加国は僅かに6カ国(ソ連、ポーランド、ルーマニア、アメリカ、韓国、日本)で、更に北朝鮮がドタキャンし、規定の6カ国に満たなくなり、急遽韓国が参加国に選ばれたという寂しい事情があった。
 競技人口の非常に少ない競技で日本中が熱狂したのも、当時は珍しかったTV(ブラウン管)のお陰ではないか。それに、各国の戦力を見れば”ソ連にさえ勝てば金メダル”という状況も大きかったと思う。
 但し、日本では9人制バレーが(授業も含め)全国的に国技に近い形で普及してたから、猛練習も勿論だが、(沢木耕太郎氏も語ってた様に)金メダルをとる環境と素養が既に整っていたとも言える。

 そういう私には、”東洋の魔女”と言っても、悲しいかな”東洋の提灯ブルマー”のイメージしかない。
 つまり、東洋の魔女たちが”私達を提灯ブルマとバカにしないで”と叫んでるような夢でもあった。
 勿論、そう思えば微笑ましいもんだが、彼女たちの猛特訓は東洋の魔女に相応しいものであった事は確かではある。


最後に〜大林素子のケース

 しかし、この”東洋の魔女”の亡霊に悩まされ続けた1人の戦士がいた。
 ”ボールはね、落としたら死ぬ。自分の寿命みたいな存在でした”と語る大林素子さんである。但し、夢の中に登場したOGは彼女ではなかった(多分)。
 彼女はソウル五輪からずっとエースだったので”負けたら死ぬ”って本気で思ってたという。
 ”負けたら生きて帰ってこられないみたいな意識があって、完全に武士でしたね。東洋の魔女時代から引き継がれた(一致団結という)思想というか魂があって・・でも、バルセロナ以降くらいからシステムやチームのあり方が変わっていきました”

 時代が変わり、日本の女子バレーのあり方も変わり、戦い方も考え方も変わる。
 確かに、猛特訓で勝てた時代は1964年で既に終わってた筈だ。しかし日本人は”東洋の魔女”という過去の栄光、いや幻影を引きずりすぎた。
 つまり、僅か6カ国の中でのマイナーな競技の中での金メダルという東洋の魔女の本質を知る事なく、”回転レシーブ”と”猛特訓”という言葉だけが独り歩きする。
 ”オレについて来い。頑張れば栄光を掴める”
 ムラ社会の農耕族が奮い立ちそうな言葉だが、今となってはアホ臭ですらない。いや、少なくとも今は”一生懸命頑張れば高い確率で地雷を踏む”時代である。

 私が夢で見た彼女たちは、まさしく”東洋の魔女”だったのかもしれない。
 毎日10時間の猛練習を2年間続け、金メダルを獲得した彼女たちは真の意味での戦士だったかもしれない。
 しかし、その幻影に苦しみ潰されかけた選手も少なくはない。夢に登場した中田久美さんもその1人だろう。彼女も明らかに東洋の魔女の幻影に晒されていた。
 いや幻影と言うより、ここまで来ると総合失調症という重篤な精神の病と思えなくもない。
 しかし、好きなバレーボールを通じてそうした難病を克服した大林素子さんは素晴らしい人格者でもある。いや、その様に私には映る。
 多分、アトランタ五輪時に彼女にインタビューした沢木耕太郎氏も、同じ事を考えてたんじゃないのだろうか。
 いや違うか・・・   


補足

 因みに、”東洋の魔女”を率いたのは、かの”インパール作戦”に従軍し、奇跡の生還を果たした大松博文で、通称”鬼の大松”と呼ばれた。
 つまりは、旧陸軍直伝の軍隊式スパルタ特訓が魔女を生み出したとも言える。
 写真は、フランスの奇才ジュリアン・ファロが描いた映画「東洋の魔女」だが、単なるスパルタやノスタルジーに収まらない彼女たちの一面が見られるかもしれない。

 確かに、日本の世界のバレーボールは”東洋の魔女”を生んだ根性論のバレーか、”ミュンヘンへの道”を生んだ松平康隆のコンビバレーに真っ二つに分かれた。
 結果的には、後者が現在のバレーボールのスタンダードとなってる訳だが、如何にアイデアと独創性が大切かを教えてくれる。 
 勿論、根性論や精神論が悪いとかアホ臭というつもりもないが、幾ら時代とはいえ、”東洋の魔女”のド根性論には理解に苦しむ。
 まるで、”特攻精神”や”インパール”を再現するかの様な往年のスパルタシステムは、一種の犯罪と言えなくもない。事実、大松監督のやり方に反発する選手も少なくはなかったという。だが、戦後の貧しい時代、監督も選手らも”東洋の魔女”に縋るしか他に生き甲斐はなかったのかもしれない。
 結果的に金メダルをとったからいいものの・・・そう思うと、今のプーチンが率いるロシア兵士を見てるようで少し複雑である。



4 コメント

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スポ根と平和 (腹打て)
2023-03-04 13:47:13
死の淵から生き延びた帰還兵と
バレーボールに人生を掛けた女性達の涙ぐましいスポ根ドラマと言えば聞こえはいいんでしょうが。
バレーボールという非パワー系な種目だったから助かった。割り箸みたいなか細い腕でも持ちこたえれた。
でも今から見ると、9人制の宴会バレーを見てるようで競技としてのレヴェルも完成度も低かったんだよな。

それでも”魔女が金メダルをとった”と日本列島は歓喜の渦に湧いた。
日本はつくづく平和ボンボンな島国なんだ。 
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腹打てサン (象が転んだ)
2023-03-04 14:29:36
そうなんですよね。
超マイナーな種目といいい、非パワー系といい、それに(9人制が普及してたお陰で)バレーが国技みたいな日本での開催。
金メダルを獲得する条件が全て揃ってた。

でも、インパール帰りの”鬼の大松”とそのシゴキに必死で食らいつく東洋の魔女。絵柄的にもメディア受けした。
でも2年間ずっと魔女らと一夜を共にした訳ですから、肉体関係はなかったんでしょうか。
大松さんも男だから、(掟を破り)”夜の大松”になった事もあったでしょうか(笑)。
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Unknown (1948219suisen)
2023-03-04 15:49:58
汗臭いスポーツ選手って、異性なら結構うれしいのではないでしょうか?

汗って見方によれば、フェロモンの塊みたいでもあると思うんですね。

だから好きなタイプの異性のスボーツ選手のものであれば、セックスアピールになるかもしれないけれど、好きでない人のものは吐き気を催すとか?
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ビコさん (象が転んだ)
2023-03-04 22:32:18
汗も健康的で程よい汗ならフェロモン爆発でしょうが・・・
仕事の後に10時間の練習ですよ。
私も同じ様な経験がありますが、フェロモンどころか地獄の匂いしかしなかったでしょうね。
そんな大松のシゴきに耐えた彼女たちは(いい意味も悪い意味でも)魔女そのものですよね。
コメントいつも有り難うです。
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