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象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

”下らない”ワイドショーがなくならない〜その理由

2023年01月08日 05時55分14秒 | 映画&ドラマ

 ”下らない”からワイドショーであり、逆を言えば、”下らない”という前提で我ら庶民はワイドショーに齧りつく。もっと言えば、文字すら読めそうもないアイドル上がりのアシスタントや無学な芸能人コメンテイターに優越を感じ、”わかってないなぁ〜”と宵に浸る。 
 更に、(昨今で目立つ)論証に欠ける専門用語で固められただけのワイドショーなら、報道や時事解説をそのまま流せばいい。
 (ニュース)キャスターは芸をやって、毎日の出来事を面白おかしく伝えるのが仕事(任務)である。つまり、視聴率さえ取れれば、ポルノ女優でも巨乳アイドルでも構わないとも言える。つまりキャスターとは、映し出された瞬間とその瞬間の視聴率が全てなのだ。
 キャスターとはその名の通り、台車の脚についてる車輪と同じで、ニュースを運ぶ為のパーツに過ぎず、外見に見合う華々しい職種でもない。つまり、”下らなく”て当然なのだろう。

 映画「グッドモーニングショー」で(2016)は、こうした看板キャスターの憂鬱とワイドショーの悲しい現実がコミカルに描かれている。
 打ち切りの危機にあるワイドショーと、報道現場での作為的な行動で顰蹙を買ったキャスターだが、客を人質を取り喫茶店に立てこもった犯人の要求は”看板キャスターをつれてこい!”というものだった。
 序盤の展開はユニークだったが、犯人の要求もキャスターの必死の説得も滑りっ放しで、緊張感が欠落した互いの駆け引きは、ワイドショー同様に作品を”下らない”ものに落とし込んでしまう。
 犯人が叫んだ様に、ワイドショーは本当に下らないのか?いや、下らないなら、何故なくならないのか?
 

ワイドショーはなくならない

 コロナウイルスは地球規模でのパンデミックを引き起こしたが、ワイドショーも負けじと大衆の不安を煽り立て多大な迷惑をばら撒いた。コメンテーターが振りまく怪しい医療情報や感情的な意見に惑わされた人々の存在は、医療現場や保健所スタッフの大きな頭痛の種になった。
 例えば、”ワクチンで死にたくない”と言い張る1人の老人を説得するに、どれだけの時間と犠牲と労力が支払われた事だろう。勿論、それだけ高齢者が”下らない”ワイドショーを当てにしてるという深刻な老害も見え隠れする。
 とはいえ、ワイドショーが迷惑をばら撒くのは今に始まった話ではない。
 こんな困り者のワイドショーだが、今では週20番組以上も放送され、しかも約60年前からずっとこの調子である。
 以下、「テレビ局がワイドショーをやめられない根本原因」より一部抜粋です。

 ワイドショーはわが国独自のカテゴリーで、1964年に日本教育テレビ(テレ朝)が放送を開始した「木島則夫モーニングショー」が始まりとされる。
 同局は不毛地帯と呼ばれてた朝8:30~9:30の枠に、芸能の話題やニュースなど雑多な情報を伝える低予算番組を放送。視聴率がほぼ0%だったこの時間枠を使ったショー番組は好評で、視聴率は15%までに達し、不毛地帯は金のなる木に変わった。
 翌65年、同局は(同じく)壊滅的だった正午枠で「アフタヌーンショー」を放送するとこれもヒット。他局も視聴率が取れない時間帯にワイドショーを続々と放送し、乱立時代に突入。視聴率獲得のポイントはキャラ立ちした司会者の登用で、司会者の個性や話芸で見る者を飽きさせない工夫をした。

 低コストで5~10%の安定した視聴率が得られるワイドショーは、テレビ局にとって”ぬれ手で粟あわ”でやめられる筈もない。ライブ視聴中心で録画視聴がない為にCMはスキップされず、スポンサーにとっても効率がいい。
 しかし、儲かってるなら番組や伝える情報の質を高められそうなものだが、ワイドショーが変わろうとしないのには理由がある。
 まず視聴者が求めるのは、情報の内容や質よりも暇つぶしの為の喜怒哀楽や驚きである。事実、落語家の桂小金治を番組の顔に据えた放送2年目のアフタヌーンショーは、正午の枠としては驚異的な最高視聴率20%を記録。こうしてアフタヌーンショーはワイドショーの王座に就くと共に、喜怒哀楽と驚きを過剰に煽る演出もまたワイドショーの王道的手法として確立されていく。
 その後も、ワイドショーの見せ物小屋化は留まる所を知らず、芸能レポーターは数々のスターのプライバシーを暴いて大騒ぎした。ロス疑惑は劇場型の騒動に拡大し、豊田商事の悪徳商法をめぐる報道合戦では群がるTVカメラの前で同社会長が殺害された。オウム真理教をめぐる一連の出来事も興味本位で扱われた。
 その後、アフタヌーンショーは逮捕者を複数出す”やらせリンチ”事件(1985)を起こし、この件で20年の歴史に幕を閉じたが、同番組が確立したワイドショーの王道的手法は、その後も他の番組によって継承され続ける。


バ○だけが喜ぶワイドショー

 視聴者は内容や質よりも喜怒哀楽や驚きを求める。こうした傾向を熟知した番組制作者は視聴率獲得の為に刺激的でわかり易いネタと演出を提供する。視聴者は感情の昂りを求めてワイドショーにかじりつく。
 やがて正義や嫉妬が暴走し、不安や恐怖が高められ、覗き見行為が正当化される。話題の本質は忘れ去られ、社会に騒動の跡と感情の残骸だけが残され、視聴者はもっと強い刺激と単純さを期待する。
 つまり、視聴者を縛り付けておく為に、ワイドショーはこのサイクルに60年間縛りついたままなのだ。

 ”視聴者は期待通りの感情になれなければ満足しない。わからない言葉や表現が一瞬でもはさまったら、視聴者はそこで興味を失い、チャンネルを変える。わからない事を見つけて喜ぶのは頭がよい人だけだ”
 これはあるベテラン放送作家の言葉だが、こうしてワイドショーの需要と供給は成り立っている。制作側も視聴者も”もっともっと”わかり易さと親しみ易さと喜怒哀楽を求める。
 つまり、論理よりも感情で動きがちなのは人間の愛おしさであると同時に弱点でもあるが、ワイドショーはこの弱点をカネに変えるビジネスなのだ。
 スタジオに呼ばれた専門家や素人コメンテーターは、どうすれば視聴者の耳目を集められるかを次第に学習し、極端な発言を増やしていく。しかも、求められている役割を自覚して個性を際立たせようとし、視聴者は益々喜怒哀楽を刺激されて満足する。
 桂小金治の怒りや涙を固唾を飲んで見守っていた60年代の視聴者の嗜好をワイドショーの制作者は、未だに基準にしているのではないか・・・

 70年代半ば以降、報道番組はアナウンサーが原稿を読む時代からキャスターが視聴者に語りかける時代へ、わかり易さと親しみ易さを追求した。
 例えば、不自然な強調を用いたグラフや論理の流れがおかしいフリップ、印象操作の甚だしいVTR映像が報道番組にも見られるようになった。”こうしないとわかりにくいし伝わらない”というのが制作側の決まり文句なのだ。
 保育園の様なカラフルなスタジオや幼稚な演出も、今やあらゆる番組に浸潤している。一時は硬派の討論番組を名乗ってた「朝まで生テレビ」もまた、出演者の文化人がそれぞれの役割を演じる幼稚な見せ物小屋と化した。
 ”感情でものを考える人をバカって言うんだ。最近は番組そのものがそうなっている。テレビの先はもう長くない”と、前述のベテラン放送作家は語ってたが、総ワイドショー化に突き進む地上波テレビは、彼が予言した通りの滅びの道を辿るのだろうか。
 以上、PRESIDENT Onlineからでした。


最後に

 長々と引用したが、つまり、”バ○だけが喜ぶワイドショーは不滅”となる。
 同じ様な理由で、陰謀説もバ○が喜ぶからいとも簡単に蔓延るし、コロナウイルスだって単純でシンプルな設計図だから(弱毒だが)変異しても劣化しない。
 我ら大衆の簡単でわかり易いという嗜好は長年変わってはいない。難しくわかり難いのはいつの時代も敬遠される。
 ワイドショーがコロナウイルスや陰謀説と同様に全国に蔓延り続けるのも、これで理解はできる。私だって難しいのは敬遠するが、上の3つにはいい加減ウンザリである。
 しかし同じ様な理由で、ワイドショーを潰すのも簡単な筈だ。(スキャンダルではなく)オープニングで(笑えない)数学の問題をしつこく出せばいい。高校レベルの問題でも多くの大衆は敬遠し、チャンネルを変えるだろう。更に全てを数学専門チャンネルすれば、誰もテレビなんてのは見なくなる(多分)。

 人は苦痛を無視できない。
 同じ様な理由で、難しい事も無視できない筈だ。ワイドショーが(その存続が為に)難しい事を徹底して排除してきた様に、人類も(その存続の為に)いつかはワイドショー(とそれを支えた地上波)を排除する日が来るだろう。
 そうやって、地球上には難しい事だけが生き残る。人類に知能が与えられたのは、理屈を捏ね回す為でも、エゴイズムに傾斜する為でもない。つまり、難しい事に対処する勇気を持ち続ける為である(と思いたい)。更に、その勇気は生存本能と結びつく事で知恵を生み出すのではないだろうか。

 難しい事を敬遠するのも人の情けならば、克服しようとするのも人の情けである。
 大衆の全てが”わかり易い”や”下らない”を追い求めてる訳でもない。難しいし、笑えない難題に取り組まざるを得ない日が必ず来る。
 ”笑わない数学”じゃないが、笑わないワイドショーってのがあったら、少なくとも”下らない”よりかはマシだろうか。



8 コメント

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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-01-08 07:06:44
お邪魔します。

TVのワイドショー、
個人的には観なくなって久しいです。
平日の昼食で入った食堂で流れていたら、
チラリと視線を向ける程度でしょうか。

アフタヌーンショー隆盛時のネタ、
ロス疑惑、豊田商事。
オウム真理教などはそれなりに観ました。
非ネット社会だった当時は、
マスメディアが情報源でしたし。

一昔前「冬のソナタ」が流行った頃、
「ペ様」来日の折にヘリを飛ばして
上空から移動新幹線を空撮。
ワイドショーで生中継していたのには、
失笑したものです。

エンタメは人の好みですから、
とやかく言うつもりはありませんが、
興味はありませんね。

笑わないワイドショーは、
下らないそれよりマシ。
激しく同意します。

では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-01-08 13:35:47
明けましておめでとうございます。
旧年はお世話になりました。新年も宜しくお願いします。

ワイドショーですが、見る様になったのはここ数年の事で、その存在すら知りまでんでした。
特にテレ朝ワイドの玉川氏の大ファンで、(著名人や有名人じゃなく)イチ社員の視点でズケズケとものを言う斬新な点に惹かれました・・・でも、謝罪して詰まんなくなりましたね。
テレ朝ワイドの弱点は、玉川だけが浮いてしまい、彼を支えるキャストらがとても貧弱な事でした。
玉川氏を起用したコンセプトは、非常にユニークで楽しかっただけに、とても残念ですね。

まさに”笑えない”謝罪でした。
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笑えない時代 (腹打て)
2023-01-09 03:26:43
羽島モーニングは、キャスト陣の選別に問題があったのかな。
メインの羽島もそうだが、アシスタントのアイドル女は酷かった。一茂や石原らの玉川を固めるコメンテーターらも無学が多く、下らないワイドショーの本質はなんら変わらなかった。

結局は玉川一人に責任を押し付けて、笑えない結果となったが、そうやってワイドショーの時代も終わりを迎えるんだろう。 
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Unknown (1948219suisen)
2023-01-09 04:44:42
言い得ていると思いました。

私もオウム事件の頃は、その異常さに釘付けになり、結構見たと思います。が、その後、つまらぬことを針小棒大に取り上げてご意見を述べるコメンターという人達に疑問を感じるようになって、まったく見なくなりました。これは私がパソコンを覚えた時期と前後するから、そのせいもあったと思います。もうテレビは要らないと思うときもありますが、しかし、ニュースは今でも見ます。それ以外で私がテレビで見る番組はブラタモリと孤独のグルメぐらいかな。あ、昔の洋画も少し。
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腹打てサン (象が転んだ)
2023-01-09 12:53:02
玉川氏の件はとても残念でした。
一方で玉川氏もテレ朝を辞めてフリーになるか、政界へ進出するかの道があった筈です。
少なくとも、謝罪する必要は何処にもなかったです。
お陰で玉川氏の天敵であった一茂が最近は調子こいてますね。本当に腹が立ちます。

こういう件があると、ワイドショーの一つの時代が終ったのかなと痛感しました。
言われる通り、”笑えない”時代になりつつありますね。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-01-09 13:02:29
孤独のグルメも殆どアマプラ見てしまったし、今年中にはBSと地上波を解約しようかなと思ってます。
明らかにテレビの時代は終わりましたね。正直ここまで急速に衰退するとは、思ってもみませんでした。

ワイドショーの普及はコメンテーターや専門家と言われる職業不定の人種の質を大きく下げました。
そういう意味では、ワイドショーも食えない芸人の失業対策と見れますから、死滅するのも当然でしょうか。

あ、それと、ビコさんの記事のフライドポテトとても美味しそうに写ってましたよ。
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現場コメンテーター (tomas)
2023-01-09 15:14:59
舌禍騒動ではあるけど、犯罪や差別発言でもない。逆を言えば、玉川さんのアクの強いキャラが生み出した災難とも言えますね。
それに電通が絡んでないとも言い切れないし、結構キツい所を突かれたから、電通もムキになったと言えるし

それに、フリーでやっていけるだけのキャラと存在感はワイドショーのコメンテーターの中でも群を抜いてます。
羽島モーニングの視聴率も玉川氏単体で稼いでた訳だから、他のテレビ局も喉から手が出るほど欲しいと思う。

逆に今回の一件で玉川さんの商品価値はずっと上がったんじゃないの。
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tomasさん (象が転んだ)
2023-01-10 02:27:03
確かに、
言われてみれば、そうなんでしょうね。

今回は玉川氏が局員だという事もあり、謝罪&謹慎という所に収まった形ですが、”事実誤認”といい歳したオヤジは大騒ぎするけど、真実には誤認が付き纏う訳で、一々謝ってたらコメンテーターなんて仕事は成り立たない。
その上、自民党だけで強引に推し進められた安倍の国葬に比べたら、今回の件なんて微々たるもので、騒ぎ立てる方がおかしい。
つまり、菅の弔辞が電通の演出であろうとなかろうと、どうでもいい事ですよね。葬儀には少なくとも演出は入りますから・・

何か考えるほどに腹が立ちますが、今回の件も玉川氏の想定内のプランである事を祈るばかりですね。
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