象が転んだ

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”ノモンハンの戦い”その2(20/5/16更新)〜勝てたかも知れない敗戦〜

2019年04月12日 04時29分30秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 前回書いたレビュー編「ノモンハンの戦い」では、ノモンハン事件を旧ソ連軍の視点から書いた作品でした。
 しかしこのノモンハン戦争に関しては、そこそこ詳しくて、アメリカの歴史学者から見た「ノモンハン1939〜第二次世界大戦の知られざる視点」と、ブルガリアのパイロットから見た「ノモンハン航空全史」と、計3冊読んでます。
 それぞれに共通するのが、ヤッパリというか案の定というか、軍上層部のアホさ加減です。これは南下政策やインパール作戦も含め、太平洋戦争全般においても再現される事ですが。

 そこで今回は、「ノモンハンの戦い」のあらすじを大まかに紹介したと思います。


勝てたかもしれない戦争

 ソ連の戦車や砲の威力を見くびって、裸で荒野にばら撒かれた日本兵士の無念さは、ソ連軍以上に自分達を死に追いやった上層部の将軍達に向けられてる。
 それに対し、ソ連軍にとってこの勝利は、戦闘の動機•経過•結末は再考の余地のない自明な結果でもあった。

 ソ連の見方からすれば、日本(関東軍)の”無謀で無神経な戦い”であったとされるが。研究が進むにつれ、日本が勝ってもおかしくない戦争でもあったとされる。故に、上層部のやり方次第では、勝てた戦争だったのだ。

 この本は前回でも述べた様に、旧ソ連の作家シーモノフによりソ連崩壊以前に書かれたものである。それにソ連側の勝利の視点での、シーシキン大佐の報告でもあるから、誇張もあろうし、数値的な事も一概に信用出来ないが。それを差し引いても、兵器の運用と兵站の差は明らかでした。
 第一次大戦後、敗戦国のドイツは国内での戦闘武器製造が全て禁じられた為に、ソ連領内にて共同で、軍需品や重兵器を研究&製造しました。お陰でソ連には、日露戦争や第一次世界大戦時とは全く別次元の兵器と兵站が準備されてたのです。

 それに対し、日本軍のそれは、第一次大戦時と殆ど変わってなかった。1939年5月に口火を切った第一次ノモンハン戦争では、そういう事が露呈した訳だが。総司令部は軍の態勢を立て直す事なく、関東軍は無謀にもソ連軍に向かっていく。


日本軍司令部の失態と無策と

 日本軍司令部は戦車を戦術的に利用する技量に欠けていた。戦車を1つのグループとして用いたが故、必要かつ迅速な移動と急襲の手段を奪ってしまった。
 故に日本特有の協調性が、攻撃の自由度を奪ったとも言えるが。お陰で射程が長く、精度の高いソ連軍の砲撃にモロに晒された。
 戦車、装甲車など有力な重兵器を持たない日本軍は夜襲によって対抗。しかし、傷つき疲れ果て、戦場に残された日本兵も多く、ソ連軍は彼等から作戦上の重要な情報を得た。日本軍の不明者が1021人というのも、その証拠でもあろう。
 故に、情報戦でも日本はソ連に大きく劣った。スパイゾルゲやブロンド娘のハニートラップに、いとも簡単に上層幹部達が引っ掛かったのは有名な話だ。

 肝心の日本軍は目標のハルハ川に近づけず、次々と空から陸から援軍を増すソ連軍に包囲される形となる。
 日本が唯一優位を誇る筈の空軍部隊も、地上軍との連携が乏しく、本営部の援護を得られる筈もなく、これといった成果は挙げられない。前述したブルガリアのパイロット談だが、この時本営部が航空支援を援護してたら、戦局は逆転したという。


ノモンハンの真相と真実と

 この本は完全にソ連側の視点で書かれてるが、5/31までソ連機180機を落とし(日本側損失は0)、空中戦ではは日本に全く歯が立たず、”日本の航空機を見たら逃げろ”と戦闘禁止命令まで出てたそうだ。
 それに日本軍は、ソ連の機械化部隊の前に殆ど歯が立たなかったと言われるが。ソ連車両の装甲は前面で11mm側面では6mmで、13mm機関銃や重機関銃で仕留める事が出来たという。しかも、ソ連戦車団は走行しながら砲撃する技術を持っておらず、戦車に歩兵を随伴してい為、視界の悪い鉄の棺おけ状態だったとある。以上、「ノモンハン事件の真相と戦果」を参照です。
 但し、ソ連軍は対ドイツ戦線の為に、敢えて重装備戦車を派遣しなかったともされる。

 故にソ連は、当時の司令官フェクレンコを更迭、ジューコフ中将を司令官に。このジューコフこそが、後にモスクワ防衛司令官となり、スターリングラードで独軍と戦い、逆転勝利し、スターリンの右腕として、第二次大戦でソ連を勝利に結びつけた英雄です。
  このジューコフはノモンハンの苦闘を生かし、”スターリングラードの奇跡”に漕ぎ着けたんですね。戦後彼は、米国の教授や記者や歴史学者と会談した時、”どの戦いが一番苦しかったか?”との質問に、”勿論、ハルハ河の戦い(ノモンハン事件)さ”と答えて周囲を驚かせた。
 アメリカはここにて、関東軍兵士の精強さを改めて知ったそうです。スターリンが”関東軍兵士を世界一の精鋭部隊”と称賛したのは、このジューコフの言葉から来てたんですな。
 アッパレ関東軍。そう言えばウチの叔父も関東軍でした。


戦局を決定づけた8月作戦

 話を戻します。7月作戦では歩兵の数で優位に立ってた日本軍だが、前述した様にソ連軍の精度の高い砲撃の餌食となり、多くの歩兵を失う。故に、8月作戦時では、全ての面で日本軍は劣勢に立たされた。
 それに、この 8月作戦では戦車を使う事をやめた。故に、戦車と装甲車に関しては、ソ連の絶対的優位となる。関東軍に残されたのは、ゲリラ戦という捨て身の戦法だけであった。
 つまり太平洋戦争末期の愚かさと悲惨さを、ここハルハ川にて既に繰り返してたのだ。

 全く追い詰められた日本&満洲国軍(以下日・満軍)は、ソ連&蒙古軍(ソ・モ軍)を8/24に、右側から総攻撃する作戦であったが、その4日前にソ連軍の奇襲に遭い、全てはパーになる。前述した様に、日本軍の情報は筒抜けだった。
 盆地や丘に塹壕を掘って、奇襲を窺う日本兵を次々と焼き払ったのが、ソ連軍の砲兵隊と火炎放射器であった。結果、600名以上が丸焦げになる。これも太平洋戦争末期と同じ惨状である。


関東軍の最後

 8/24から3日間に渡るソ連軍の戦車や装甲車による重攻撃をまともに受け、流石の関東軍も意気消沈する。空中戦でも74機の戦闘機を失った。
 大半のパイロットをルーマニアやブルガリアに頼ったソ連軍の爆撃機は218回の出撃で、日本軍の追加予備軍の接近を効果的に拒む。

 28日、最後の砦であるレミゾフ高地では400名の日本兵が全滅。31日の朝にはモンゴルの領土から、完全に日本軍が一掃された。
 9/4、日本軍は新たに歩兵二個大隊を持って応戦するも、350の死体を残し撤退。9/8にも4個中隊を投入し、夜間攻撃を行うも撃墜される。 9月は空中戦でも70機を失い、陸空双方共に壊滅的な損害を出し、そして9/16、日本軍はソビエト政府に対し、戦闘行為の停止を申し出た。事実上の敗北である。


日本人特有の自虐的ナショナリズム

 レヴュー編でも書いた様に、こういうの読んでると本当に辛くなる。日本人を辞めたくなる。日本人特有の自虐的ナショナリズムという貧醜さを匂わせる。
 最後まで諦めずに闘い続けるという精神は、潔く身を命を犠牲にするというサムライ魂には、極限の崇高ささえ感じるが。同時に哀れさと虚しさと愚かさとが突然襲ってくる。

 強い者に果敢に立ち向かうのは、間違ってはいないし、誇れるものだ。強い筈の自分を持する為にはとても必要な事であろう。しかし、全てを失ってまでやり遂げるべきなのか?
 このノモンハンの戦いにしても、7月作戦時の大失敗の時点で停戦を申し込んでれば、ゲリラ戦や夜襲や奇襲の限界を知り、太平洋戦争に向かう事はなかったろうか。
 それに、朝鮮半島進出や南下政策が間違いである事に気づく事も出来たろうに。

 せめて、軍や戦力を再編し、時間を掛け新たな体制を整える準備をすべきでなかったか。むやみに無駄な紛争や事変ばかりを仕掛ける日本政府には只々呆れるばかりだ。
 事実、当時の日本は経済危機に悩まされ、国民の生活は困窮していた。それなのに日本の政府は己らの政争に明け暮れ、有効な打開策も打ち出さない。
 ”こうなったら大陸進出を目指し、俺たちで動き出すしかない”と考え、暴走したのが関東軍司令部の満州事変だったのだ。


それでも勝てたかもしれない?

 前述した様に、5月の第一次ノモンハン戦争の時点で停戦を申し込み、本営部を説得し、戦力と態勢を十二分に整え、再びハルハ川に攻め入ってれば、西側からドイツがソ連を挟み撃ちにすれば、確実に勝機はあったとされる。スターリンもそれは認めてる所だ。
 ま、全ては結果論だが。不必要な損害を被った事は、言い訳の効かない事実ではある。

 しかし、ソ連も勝ったとはいえ、この戦争を公表しなかったのは、勝つには勝ったが、日本以上の死傷者を損害を出し、苦戦を強いられた事を、暗に認めるものかもしれない。
 だが、戦況的にはソ連が圧倒してたし、日本人の癖や特徴も、はっきりと把握&認識してたいたし、日露戦争の反省が生きた戦いとも言える。

 ただ、本営部もソ連の圧倒的な物量には敵わないと、早い時期の撤退を考えてたかもしれないが。”敵前逃亡”という罪を恐れ、ダラダラと不利な戦闘を繰り返し、不必要な損耗を曝け出し、挙げ句はそれらを隠蔽した。
 しかし、この”ノモンハン”での完敗と反省が全く生かされる事なく、日本はもっと無謀な南下政策と太平洋戦争という、危険なギャンブルに身を貶していく。


日本人特有の愛想笑いと気取り

 ゲリラ戦が悪いとか、間違ってるというのではない。ゲリラ戦は、現代における最終兵器といえなくもない。陸空との連携を密にし、システマチックに効率よく展開すれば、これほど無駄がなく脅威になる戦法もない筈だが。
 事実、かのスターリンは、関東軍兵士を手放しで褒め称えてるのだ。ただ、場所が場所だっただけに、日本お得意のゲリラ作戦を活かす事は出来なかった。
 それにソ連軍は、日本軍上層部の追い詰められた農耕族特有の”気取り”を見抜いてた。唇から消えない、かの悪名高い日本的微笑み(愛想笑い)と、すばやく変わる顔の表情。”愛想笑いはサルの名残”だとはいえ、日本軍将校が”猿の惑星”のモデルになったのも頷けますね。

 これこそが、現代日本文明の最も表層的なものを露呈した結果であり、自分には教育があり、教養ある階級に属してる”という島国特有の貧相な気取りの表現でもあった。
 事実、この貧相な気取りは、安倍首相にも見られる。この安倍の気取りにキレたプーチンが、条件無しで平和条約を結ぼうと喰ってかかったのは記憶に新しい。


満州国の美しき物語と現実

 僅かな兵で、何倍もの優勢な敵に抗した”見事な防御”という満州国の物語と美談は、ここノモンハンでは、通用しなかった。
 麾下の二個師団をむざむざ絶滅の包囲の中に投げ込んだ小松原将軍は、本来は”ハラキリ”の筈であるが、勲章を授与されてる。ここら辺にも指揮系統の杜撰さが見て取れる。

 しかし、日本軍が用いた地図はかなり精密なものであった。日本軍の歩兵は小さな丘1つを大切にし、きめ細かく分析し、文字通り足で戦ったのだ。
 一方、ソ連軍は戦車や火炎放射器を用い、大規模に広範囲に行動したから、地図は粗いもので事足りた。  

 ノモンハン戦争のお影で、こうして争った国境線は、ほぼモンゴルの主張通りとなった。ソ連のモンゴルに対する軍事的&政治的支配は、益々強固になっていく。
 日本軍が国境を超え、ハルハ川を渡り、モンゴル領を戦場にしたという事実は、ソ連がモンゴルをソ連化する為のあらゆる口実を与えた。
 つまり、ソ連にとって”ノモンハン戦争”とは、モンゴルを私物化する為の”事件”に過ぎなかったのだ。

 こう書くと、”当時のモンゴルはソ連の操り人形だったじゃないか”と声高に叫ぶかもしれない。しかし、モンゴルより傀儡度の高かった満州国はどうなったか?
 その防衛の為に使った筈の関東軍は逃走し、満州国そのものが消え去る。一方、ソ連が”育成”したモンゴル人民共和国は、そのまま1961年に国連へ加盟した。
 ソ連が崩壊した後は、モンゴルは傀儡を脱し、完全独立を獲得する。

 ま、ソ連から言わせれば、満州国とモンゴルは別物だと。つまり、前述した様にノモンハン戦争は満州国とモンゴルとの代理戦争でもあったのだ。
 主観を言わせてもらえれば、ノモンハン戦争が停戦という形で終結したのは、日ソ双方とも、ハルハ川の草原を覆う屍体とその腐臭に耐えられなくなり、戦争が厭になったからだと思う。日露戦争同様、痛み分けという結果が妥当なのかもしれない。
 レビューでも述べた様に、ハルハ川の美しい草原には、戦争は似合わない。村上春樹さんもそれを言いたかったんだろうか。 



4 コメント

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勝てたかもしれない戦い (paulkuroneko)
2018-10-05 14:09:09
こんにちわです。

勝てたかもしれない戦争だったんですね。転んださんの無念さがここまでよく伝わってきます。

関東軍の暴走に始まり、関東軍の敗走に終った隠蔽された戦い。そして、モンゴルを独立させた戦いです。そうやって振り返ると、隠蔽するには実に勿体ない戦争です。

満州国とモンゴルの代理戦争とは言い得て妙です。そして満州国は消滅し、ソ連は崩壊した。この結末を誰が予想したのか?実に興味深い戦争ですね。
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Re.勝てたかも (lemonwater2017)
2018-10-06 01:38:49
paulサン、こんばんわです。

これも全ては結果論ですが。

 でも、モンゴルが無事独立して、結果的には🔴かなですが。双方とも無益な犠牲が多かったですかね。

 ソ連はこのノモンハンの苦い?戦いを教訓にし、このジューコフを対ドイツ戦線の司令官にして、まんまとドイツ軍を打破します。

 考える程、複雑に込み入った戦争だったんですかね。まるでノモンハン評論家になった気分です(笑)。
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勝てた筈の戦争ですか? (ootubohitman)
2018-10-10 09:48:33
おはようございます。

日本が第二次大戦で勝てた筈の戦争があったなんて。正直驚きです。日中戦争ですら全くの無益な紛争と言われたようなですが。太平洋戦争も無謀な戦いですし、そのあとは言わずもがなですよね。

でも不思議に思うのが。日本人は普段は非常に親切で礼儀正しく勤勉な人種なのに、何故追い詰められると自暴自棄になるんですかね。

転んださんが書かれてるように、不敵な微笑みが一瞬にして引き吊った表情に変わるみたいに。

これも島国特有の外界知らずにありがちな致命的欠陥なんかね。今は平和ボンボンしてる日本人もいざとなったら、狂暴な人種へと変貌するのかな。
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Re.勝てた筈 (lemonwater2017)
2018-10-10 11:37:13
hitmanさんこんにちわです。

勝てたかもですが。追い込まれた日本人の気質からすれば、負けは負けですかね。国のために戦った負傷兵をリスペクトするソ連と、恥と見なす日本陸軍の差は埋まらないか。

上手く言えないけど、持たざる国のツラいところですね。
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