先日、”数学者は神様か”のブログで、その答えはYESでもありNOでもあると書いた。
しかし、寄せられたさんのコメントを見て、少し考えが変わった。#114さんの言う様に”神様はインド人”だったのだ。
「恋人はサンタクロース」という映画があったが、「数学者はサンタクロース」という映画を創っても面白いと思う。
以下、コメントから抜粋です。
素数は神が発見したのか?それとも数学者が発見したのか?
少なくとも発明ではない。だって素数は
自然数の中に埋もれてるのだから。
だったら自然数は誰が生み出したのか?
アラビア数字(1〜9)というくらいだから、アラビア人だろうか?
いや実は、”インド数字”を編み出したインド人なのだ。
では、アラビア数字がなかった時代は、どうやって人は数を数えたのか?
人は簡単な記号で数を数えたとされる。ローマ数字は5(Ⅴ)を一区切りとしたし、”正”という漢字を使えば、同じ様に5が一区切りとなる。今で言えば、5進法となる。
数を発見したのは神様か?
数を生み出したのがインド人なら、ゼロを発見したのは神様か?
いや違う。紀元前500年頃の古代バビロニア人だ。ただ”ゼロ=0”という表記を使わず、楔形文字を使ってたとされる。
しかし、その”ゼロを定義”したのは、7世紀のインドの数学者で天文学者でもあるブラフマグプタ(598−665)なのだ。
因みに彼は、自ら著した「数理天文書」(628年)の中で算術(ガニタ)と代数(クッタカ)について述べている。特に”クッタカ”という語は元々、”粉々に砕く”という意味だったが、後に係数の値を小さくする手法を意味し、”不定解析”を表す様になる。
この書では、ゼロと負の数にも触れ、その算法は現代の考え方に近いとされた。
また、”ブラフマグプタの問題”と呼ばれる2次不定方程式((x²−92y²=1)の最小整数解(x=1151,y=120)も同書で示している。
その他にも、円の内接四角形の面積を求める”ブラフマグプタの公式”や”ブラフマグプタの定理”がある(ウィキ)。
つまり、ゼロの定義は偶然じゃなく、必然的に編み出された事になる。故に、少なくとも発見じゃなく発明ですね。
ではヨーロッパ人はゼロに関し無頓着だったのか?いや違う。だったらインド人よりバカだったのか?それも多分違う。
古代文明や遺跡の中に幾何学的な模様や巨大な人工建築物を見る事が出来るが、当時は全く何もない”無=ゼロ”の状態は必要なかった。加えて古代ギリシャの数字の巨人アルキメデスもアリストテレスもゼロの概念には懐疑的だった。
こうした風潮は宗教へと継承され、ヨーロッパでは中世まで”無”や終りのない状態”無限”という考え方はキリスト教への冒涜とみなされ、ローマ法王によって厳しく禁じられていたとある。
つまり、宗教上の理由で数学は弾圧されてったんですね。ゼロに触れる事は神を冒涜すると。ある意味この時点で、算術は神学と肩を並べ、追い越しそうになったんでしょうか。
算術と仏教との偶然の交わり
仏教では、ゼロとは”空っぽ”の事だが、何もないではなく、”無がある”という意味だ。
つまり仏教の世界では、キリスト教と異なり、”ゼロ”という数字が確かに存在した。
元々仏教には、”この世は実体がないもので成り立ってる”という考え方がある。
大乗仏教の1つ般若心経の教典に「色即是空」という一節がある。”色”はこの世のあらゆる物の事で、”空”は実体を持たない不変のもの、つまり概念と。
要約すれば、”この世のあらゆる物には実体がない”といった所だ。この色即是空は最先端科学の量子力学の考え方にも似ている。
量子力学では、この世のあらゆる物を最終分割した一番小さな物質を”素粒子”と呼ぶ。素粒子は17種類あり、逆を言えば、私たちの世界を構成してる全てはこれら素粒子の組み合わせでしかない(”数字と仏教の不思議な繋がり”より)。
しかし、だからといって、この世が実体がないもの”空”で成り立ってるとは言える筈もない。素粒子はゼロではなく、はっきりとした実体がある。ただ人間の目には見えないだけだ。
宗教と数学を混同する輩がおられるが、あまりにも単純で幼稚過ぎる。
つまり、これ以上突き詰めると、カルト宗教っぽく偽善ぽくなるから、ここら辺で止めとこう。
でもそう考えると、数もゼロも素数も自然数も人間が発見&発明した事になる。
勿論、カルトもテロもスケベ神父も、そしてエッチパブも人間が作ったのだろうが、実体ははっきりとしている。
つまり、神様も仏様もそして人間も、ヤる事はヤッてるのだ。
ダライラマも六本木や新宿では羽根を広げるし、どんな美女でも股を広げる。そしてどんな偉人でも実体と下半身は存在する。
最後に〜数は万物じゃなかった
最後は、UNICORNさんのコメで締めくくる。
数学は発明でもあり発見でもある。宇宙の神秘を数学者は解明しようとするが、その宇宙を神が創造したとは、単純には言い難い。
昔は神学と数学は非常に密な関係にあった。それは”数は万物だ”ったからだ。
しかし、先述した様に、数はインド人が作った。つまり、哀しいかな、数は万物じゃなかった?んです。
ここからは私の持論ですが。
その数を数学者が弄るうちに、数そのものが複雑多岐に拡張し、無限の神秘性を伴い、今では神の様な存在になった。その上、数学者が宇宙の神秘を紐解く過程で、宇宙は膨張と収縮を繰り返し、無限の謎を持つこれまた神の様な存在となった。
つまり、数学は不可解な神秘性を纏う事で、あたかも神が作った学問の様に見える。
事実、サンタクロースは人間が作り出した様に、数も宗教も神様も人間が作り出した。ならば、宇宙は誰が作ったのか?
やはり、神様が作ったと考えた方が辻褄が合うし、合理的でもある。同じ様に、人間が作った数から複素数が生まれ、この複素数の無限の神秘には、数学者というより神が宿ったとも言える。
同じ様に、サンタクロースの神秘は誰が作ったのか?もし神様がサンタクロースなら、神父いや数学者がサンタクロースの衣装を着てたとしても不思議じゃない。
つまり、数学者は定期的に不可解な難題を屋根裏から贈りつける、厭らしいサンタクロースだったのだ。
数学者には無神論者が多いですが、不可解な難題に関しては、神が創造したと説明する数学者も多いですし、私もそう思います。
数学と神学を融合すべき時代に来てますかね。
でも考える程にわからなくなってきます。
随分と哲学っぽくなってるけど
数学って結局は明確な答えを追及する
神学であり哲学なのかな
でも考える程に、頭がおかしくなる学問でもありますね。
としたら随分と厄介な贈り物ですね。
コメント引用ありがとう。
そのくらいのユーモアがないと数学なんてやってられんでしょう。
こちらこそどうもです。