
半世紀前に、専門家たちが過去の失敗から学ばないという現象を真剣に研究した学者たちがいた。
例えば、”医者が自らが何をわかってないかをわかってない、又はそれをわかろうとしないという2つの致命的な問題がある”と、ミール(Meehl)は元の論文(1954)でこの問題を次の様に紹介した。
”医者は自分らの予測が<本当にわかってる>者の予測だから、当然優れてるという独善的で自己満足な主張をする事がある。今日までこれは事実に反する”
後に彼が検証した所、1件の例外を除き、生命表に基づく予測が医学的方法による予測よりも同等かそれ以上の成績だった。更に彼は後の論文で、例外の1件についても考えを見直した。
このミールの論文以降、様々に専門家の意見が検証されたが、結果は殆ど同じで、全ての職業で同じ結果が当てはまるが、特にマスコミと経済学者については顕著であった(「まぐれ(Fooled by Randomness)」、p374)。
事実、専門家とは一生ありとあらゆる予測を外し続け、それでもなお”次こそは間違いない”と信じてしまう失敗から何も学ばない”前頭葉バカ”なのだ。
自分のバカさから学ぶ
「バカと無知」の著者である橘氏は”頭がいいか悪いかではなく、自分は何を知らないのか?どこで躓いてるのかさえわかれば、どんなバカでも無知を克服出来る”と説く。
一方で「前頭葉バカ社会」の著者の和田氏は”多くの日本人は側頭葉や頭頂葉を使い、教養や知的レベルを高める事はわりと得意だが、今の状況を変えるには・・と人とは変わった事を考える前頭葉の働きが弱い”事を指摘する。以下、「自分がバカだと気づかないバカ」より主観を交え、大まかに纏めます。
確かに、日本では変わり者が排除され、協調性や共感力のあるステレオタイプが評価され、結局は変革も創造も何も新しい事が出来ない、無機質なお行儀の良いだけの人生を終えてしまう。
更に、全員が同じやり方で勉強や努力をしてる限り、生まれつきの頭の良し悪しや能力を一生逆転できない。でも、やり方を変えれば、何か新たな突破口を見つければ、大逆転できる可能性がある。創造とか変革とはそういう事だろう。
その一方で、橘氏は”人間の認知能力は限界があり、全てを理性的に判断出来る筈もない。つまり、99%は他人と同じ事を――判断を自動化して楽をし、残りの1%でどう他人と違う事をする。故に、基本的に99%はバカというか、他人と同じ事をやってればいい”と、バカでもそこそこの幸せであれば、それも賢い生き方だと説く。
それに対し和田氏は”人にはバカな時と賢い時がある。バカな時が少ない人ほど人生はうまく行くし賢く生きられる”と、東大OBらしくバカへの恐怖を危惧する。
確かに、バカも溜まり過ぎれば、最後には挽回できなくなる。長期の複利効果で言えば、賢さを積み重ね続ける事で、人生は生き易くもなる。
実際に、”バカになりたくないし、バカと思われたくない。進歩のない人間や自己反省や自己改造ができない人間にはなりたくない”と訴える和田氏の気持ちも理解できなくはないが、昨今の未来が見通せない複雑な時代には、その考えは窮屈すぎやしないか・・
それに対し橘氏は、”自分も含め<人間てこんなもん>と諦めみたいなものがある。人が求めるべきは<賢く生きる>事ではなく<幸せになる>事。だから、バカでも幸せになれるならそれでいい”と返すが、これこそが現代の生き方における模範解答であろう。
つまり、前頭葉の使い方次第で、金持ちや勝ち組にはなれなくとも、人は持ってるものだけで”そこそこ”の幸せにはなれる。言い換えれば、全ては考え方次第なのだ。
幸せの本質とは、賢くなる事は勿論、お金や成功や学歴などとは、全く違う世界や次元にあるのだろう。
更に、冒頭のミール博士の検証で紹介した「まぐれ」の著者タレブ氏にに言わせれば、幸せになりたけりゃ”自身の知性を信じるな”であり、”知性への信頼を追い出せ”って事になるのかもしれない。
偶然(まぐれ)が理解出来ない
「まぐれ~投資家はなぜ運を実力と勘違いするのか」(ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月 衛 訳、2007)に関しては後日述べるとして、著者の代表作である「ブラック・スワン」(2009)について簡単に紹介する。
前著「まぐれ」同様に、人間の思考プロセスに潜む根本的な欠陥を不確実性やリスクとの関係から明らかにし、経済・金融関係者の話題をさらった。更に、サブプライムローン危機が発生すると”誰一人予想もしなかったインパクトのある事象=ブラックスワン”が起こる原因を、不確実性を理解できない人間の限界を示して原理的に明らかにし、世界中で爆発的な大ヒットを飛ばした事は、記憶に新しい。
ブラックスワンとは”黒い白鳥”の事で、西洋では”白鳥ば白いもの”と決まっていたし、疑う者など誰一人いなかった。だが、オーストラリア大陸の発見により、この地には黒い白鳥がいる事が判り、”白鳥は白い”という常識は覆ってしまう。つまり、殆どありえない事象や誰も予想しなかった事象の事を意味する。
タレブ氏によれば”ブラックスワン”には3つの特徴があり、1つは予測できない事で、2つ目は非常に強いインパクトをもたらす。そして3つ目は、一旦起きてしまうとそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなり、最初から解ってた様な気にさせられる事だ。
私たちは自分で思っている程、物事をいや(当り前の様に身近に実在する)偶然を理解してはいない。事実、どうでもいい目に見える表面的な事や、取るに足らない日常の些細な事ばかり気をとられ、いつの間にか突然勃発した重大な事件に虚をつかれ、動揺しパニックに陷る。更に、知ったか振りの殆どの専門家や批評家は結果論でウンチクを垂れるからタチが悪い。
タレブ氏はこうした人種に罵声を浴びせ、私たちには”わかっていない事すらわかっていない”事の全てを暴露する。
つまり”ブラックスワン”に立ち向かい、そんな稀に見る致命的と思われる偶然を逆に利用する方法を提示する。
まるで、黒い白鳥は”自分がバカだと気づかない”バカに何かを訴えるつもりで降り立った”天使の白鳥”にも思える。
それでも人々は”そんな事は百も承知だ”と、バカと無知を晒し続けるのだろうか?それとも”黒い白鳥がいるのなら、様々な色の白鳥がいても・・”と、自身の無知から多くを学び、更なるリスクに備えようとするのか?
つまり、人類にとって一番のリスクは昨今の不確実性がもたらす”黒い白鳥”ではなく、自分が無知である事に気づかない事だ。
”黒い白鳥”は偶然の上に卵を産む
「ブラックスワン」でも書かれてる様に、多様性により不安定性が低減され、安定性が増すものの、相互に連動した脆さが生まれ、破壊的なブラックスワンを生み出す。
事実、金融機関はより少数の大型の銀行へと統合され、殆ど全ての銀行が相互に関係し、”1つの銀行が破綻したら全てが巻き込まれる”とタレブ氏は銀行側に訴え、”もしそれが起きたら、私は恐ろしくて震えが止まらない”と、以前からその心情を漏らしていた。
そして、タレブの”ブラックスワン”の予測は大当りし、2007年からの世界金融危機の間に数百万ドルの利益を上げ、無知な統計学者に一撃をかました。また、彼がアドバイザーを務めるヘッジファンドにも多くの利益を生み出す。この成功により、タレブは世界中にその名を轟かし、09年のダボス会議では銀行家に厳しい言葉を浴びせ、一躍スターとなる。
一方で彼は、「ブラックスワン」の追加エッセイである「強さと脆さ」(2010)の中で、”グローバリゼーションを止めろ、旅行を禁止しろなんて言ってない。副作用やトレードオフにも注意すべきだと言ってるだけだ・・・だが、とても奇怪で強烈なウイルスが地球全体に蔓延する。そんなリスクを私は感じる”と、2020年に起きた新型コロナパンデミックをも予測していた。
更に、”悪い黒い白鳥が生まれる事が多い一方で、よい黒い白鳥は生まれない環境(=負の歪度を持つ環境)では、確率の小さい事象が起こす問題は一層酷くなる。なぜなら、明らかに破滅的な事象は必然的にデータから欠落してるからで、変数が生き延びて続いてる事自体が、これまでそういう事象が起きていない事を示している。
故に、そうした分布を観察すると、安定性を過大評価し、ありうるボラティリティ(変動)やリスクを過小評価しがちになる。この点で、物事一般にはバイアスが掛かり続け、過去を振り返れば安定してリスクは低い様に見える。お陰で、私たちは突然びっくりする事になる。
この事は、医療の分野では特に肝に銘じておくべきだ。疫病の歴史はあまり研究されていないが、地球上を揺るがす様な大流行が起こるリスクを示唆する要素は見られない”と、ランダムさを纏った確率論の本質を論じ、水面下に隠された自身に都合の悪い破壊的な事象がブラックスワンを生み出す大きな起因となる事を示唆した。
その後、2020年4月、ブルームバーグはタレブが助言するヘッジファンドの同年3月の運用成績が+3612%となったと報じた。タレブは同社の取材に対し、”コロナウイルスの様なパンデミックは予測可能であり、ヘッジされなかった投資家は急な損失で代償を払った”と語り、また”新型コロナパンデミックは、ブラックスワンではなくホワイトスワンだ”とコメントした(ウィキより一部抜粋)。
最後に
タレブの天才は、明らかに生まれ持った優れた前頭葉が支えている事が判る。
”幸せは前頭葉がもたらす”とはそういう意味であり、人間らしさを支えるのも前頭葉である。タレブ氏が言う様に、ブラックスワン(黒い白鳥)が新型コロナパンデミックという形で白い白鳥をもたらしたとすれば、これ程の皮肉もない。だが、お陰で人類にランダムさに潜むリスクに対する備え方を教えてくれた。
つまり”備えあれば憂いなし”ではなくその”備え方”が問題なのだ。ギャンブルも同じで、ギャンブルそのものが危険ではなく、それ対する備え方が問題なのだろう。
私の田舎でも、パチンコ屋だけが繁盛してる様に思える。それは、「まぐれ」の原題である”ランダム性に騙される”(=Fooled by Randomness)からだ。
つまり、パチンコで大当たりするのが偶然ではなく(今度こそは勝つという)必然だと思い込んでるからだ。
一方、ランダムさには理解不能な偏りに満ちていて、努力もせずに成功する人もいるし、どんなに努力しても恵まれない人もいる。故に”今度こそは・・”という情けが働いても不思議はない。
だったら、リスクを注意深く観察し、大きなリスクを回避するだけでも幸運と言える。
昨今の不確実性の時代に生きるには、そうしたリスク回避を積み重ね、やがて現れるであろう、稀に現れるブラックスワンを如何に味方につけるかが重要なのだろう。
自分が無知である事にすら気付かない前頭葉バカは一時の成功に踊らされ、それが”まぐれ”とは気付かずに、更に無謀な投資や挑戦を続ける。こうした前頭葉バカ社会がブラックスワンを生み出すとしたら・・
我々が一番警戒すべきは、自分の無知にさえ気付かない我ら自身であり、それを支える前頭葉バカ社会そのものなのかも知れない。
「Fooled by Randomness」の著者だったのね
でもよくこれだけの専門的で
わがまま放題に書いた本を文系の人が
訳せたことが奇跡に思えたわ
トレーダーに通じてたのもあろうけど
やっぱり凄い
それだけ著者タレブさんの博学と人間性に惚れたってことかな
難しい確率論よりも
一時の成功にうぬぼれる愚かものよりも
自分のの限界を知り
ランダムの世界に立ち向かい
偶然に踊らされない尊厳や品位を持つことのほうが
ずっと重要なのを教えてくれるタレブさんに☆5つ
ひょっとしたら、トレーダー業界の人とか・・
冗談はともかく
現代のランダムネスにおける確率論はまだ生まれたばかりで、判らない事や理解できない事の方がずっと多い。
だったら、確率論とか数理モデルに頼らず
言われる通り、自身の人間として限界と無知を知り、偶然に辛抱強く寄り添った方が、ブラックスワン(黒い白鳥)はいつかは微笑んでくれる。
好きな言葉に”いつかは終わりが来る”がありますが
それを具現してるかの様なタレブ氏の著書ですよね。
前頭葉バカも
まぐれと成功を混同する投資家も
同じに見えるんだろう。
ブラックスワンを利益に変える。
リスクを回避するどころか、そのリスクが襲ってくるタイミングを根気よく見極め、誰もやりたがらないロングオプションで膨大な利益をもたらす。
ファンドアドバイザーという
現場から一歩引いた視線で戦略を練るから出来る芸当だろうか
タレブ氏の虜になってしまったんですが
トレーダーやファンドマネージャーと言っても違法賭博やヤクザ稼業の様なもので、とても素人がやるものではないです。
ロングオプションという言葉が出ましたが、オプションをロングし続けるのは非常にリスクが高く”ダラダラ死ぬか、突然死か”の世界らしいです。
そんな崖っぷちのリスクを背負う世界で、ひたすら幸運のブラックスワンを待ち続ける。
タレブだから出来る芸当ですし、彼のチームにも優秀な監視役がついて・・でも読む程に恐ろしい世界ですよね。
トレーダーや投資家で成功を収めるよりも
普通の暮らしをして普通の幸せを過ごした方が偶然やランダムな世界に振り回されるのではないでしょうか。
タレブの”知性を信じるな”や”知性を追い出せ”とはそういう事を暗示してると思います。
だからタレブ氏と橘氏の考えはよく似ていますよね。
転んだサンの考えはどーでしょう
確かに、賢く生きる事が幸せに繋がるかというと、疑問もありますが・・
どんな些細な事でも幸せに感じる事で、実際に幸せになれる。
トレーダーや投資家は”成功=お金”という視点で考えるので、どうしても運に左右されますね。
偶然にビクビクしながら生きるという点ではタレブ氏も同じでしょうが、彼はそこから少し離れ、偶然がもたらすリスクの先を考察する事でリスクを回避してる様に思えます。
そのタレブ氏もいつかは黒い白鳥に見放される時が来るでしょうが
これもトレーダーという道を仕事として選択した末路なのかなとも思います。