象が転んだ

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「壊滅」に見るゾラの執念〜”敗戦日誌”という名の戦争巨編〜〜

2020年04月25日 05時28分20秒 | バルザック&ゾラ

 ”人生、悪い事ばかりじゃない!下を向くなジャン!いつかは終りが来る”
 読み終わって、そう叫びたくなった。

 「壊滅」は、ゾラの”ルーゴン•マッカール叢書”の中で最大の長編(第19巻)であり、ゾラのそれまでのイメージを一新させる戦争文学の巨編でもある。
 このルーゴン•マッカールに賭けたゾラの情念を凝縮したかの様な大胆で繊細な描写の中で、ゾラは念入りな調査を元に、普仏戦争の敗北からパリコミューンへとカタストロフ的に展開していく様を、一日の日付の間違いもなく克明に活写し、第二帝政の崩壊と終焉を刻印づけた。
 同胞相争う矛盾する殺戮の中で、一人何とか生き残ったジャン•マッカールが、そしてフランス社会が背負うべき深い傷を抉り出し、告発する怒りの書とも言える。
 ”フランスを淫売屋に変えた第二帝政”への葬送曲ともいうべき、圧倒的な迫力の戦争小説だ。
 まさに、”ルーゴン•マッカール叢書”の第1巻から第18巻は、この「壊滅」に至る伏線かの様であり、普仏戦争とパリコミューンの2つの敗北を描いた”敗北の巨編”でもある。

 長引くコロナ自粛でウンザリしてる貴方に、腰を落ち着けて読んでもらいたい一冊でもある。


ルーゴン•マッカール叢書とは?
 
 ゾラは生涯を通じ、この普仏戦争と並行して”ルーゴン•マッカール叢書”を書いた。
 ゾラのこの広大なる計画は1851年のルイナポレオンのクーデターから、1871年の普仏戦争とパリコミューンまでを再現する試みだ。
 この第二帝政の時代を通じ、様々な社会や場所にマッカール一族を配置した。
 ゾラは、”この叢書は限られた時代の円環の中で展開され、堕落した治世、更に狂気と恥辱と奇妙な時代絵巻となろう”とも述べている。
 この慌ただしく物語が動く”壊滅”において、主人公ジャンとヒロインのアンリエットの2人だけの悲しみの時間は停止した印象を与える。
 但し、本書に収録された地図は「壊滅」そのものから作成されておらず、当時の仏軍やゾラと同様に、最後まで整合性を欠き、混乱したままだった。物語と同様に詳細な地図があったらと思うと少し残念でたまらない。

 ”第二帝政下における一家族の自然的社会的歴史”というマッカール叢書の副題からも解るように、フランス第二帝政下の社会を全て描き尽くそうとするゾラの野心的な試みは半端じゃない。
 登場人物も総計1200人を数え、ルーゴン•マッカール家の者達も国務大臣を務める政治家(ウージェーヌ•ルーゴン)から、パリの洗濯女(ジェルヴェーズ•マッカール)まで、当時のフランスにおける殆ど全ての社会層に及ぶ。
 全20巻に及ぶこの双書は、フランス第二帝政期(1852-1871)を舞台にとった一大叙事詩である。ゾラはバルザックの「人間喜劇」に倣い、”人物再登場”の手法を採用し、神経症の遺伝を持った貴族の娘を源とする2つの家系、ルーゴン家とマッカール家に生まれた人々の人生を社会状況と照応させながら5世代に渡って描いた。

 出版当初は、特に第6巻までは殆ど売れなかった。第4巻の「プラッサンの征服」に至っては、出版後6か月で仏全土で僅か1700部しか売れなかった。 
 しかし第7作「居酒屋」が新聞で連載されると凄まじい反響を巻き起こし、フランス全土を真っ二つにする論争が起こる。読者からの非難が集中し、新聞連載を中止せざるを得なくなり、やむなく単行本として出版すると、当時としては異例の5万部を売り尽くした。
 お陰で「居酒屋」以降は、フランスにて自然主義文学の黄金時代が到来する。
 その後も「ナナ」(第9巻)「ごった煮」(第10巻)」「ボヌールデダム百貨店」(第11巻)「ジェルミナール」(第13巻)などの仏文学史上に残る傑作を発表した。
 しかし第14作「制作」では、それが原因で少年の頃からの親友だったセザンヌと絶交状態になる。この「制作」の悲運のモデルがセザンヌであったからだ。
 第15作「大地」を出版すると、「居酒屋」と同様な(作品の不道徳さに関する)ゾラ批判が起こる。「居酒屋」に対する批判は自然主義文学の勃興をもたらしたが、「大地」に対する批判は自然主義文学の終焉をもたらす事となる。
 そういう意味では、この第19作「壊滅」自然主義文学の”壊滅”を締めくくる作品であったとも言える。 


あらすじ

 「壊滅」は、全3部で計24章からなる667頁にも及ぶ長編大作だが、登場人物は何と101名。故に、ネタバレを知ってた方がスムーズに読み進める事が出来る。
 以下、”SYUGO.COM”から一部抜粋です。
 因みに主人公のジャンは、「大地」(第15作)にも登場しており、この大まかな背景を知ってから読むとより理解が広まります。

 「大地」で妻を失ったばかりの農民ジャン•マッカール(39)は、勃発した普仏戦争に際し、再び兵役に戻っていた。
 第7軍団下第106連隊で伍長を務めるジャンの元にはパリに学んだ退廃的な若者モーリス(20)がいて、朴訥で無学なジャンに対し当初は反感を抱いてたが、やがてジャンの善良さに惹かれ友情を結ぶ。
 第二帝政のフランス軍は士気の点でも装備の点でも脆弱で、開戦以来、プロシア軍に圧倒されっぱなしだ。
 優柔不断な皇帝(ナポレオン3世)に代わり、全軍を統帥するマクマオン元帥は、メッツに包囲されたバゼーヌ将軍の救援とプロシアへの決定的な打撃を与える事を期して、第7軍団を含む4個軍団をシャーロンに集結させる。だが、この大軍も機動力に富んだプロシア軍に翻弄され、メッツの手前のセダンへと追い詰められていく。

 ジャンとモーリスは、結婚してセダンに住むモーリスの双子の姉アンリエット(20)の家で一時の休息をとるが、その翌日プロシア軍の激しい攻撃が始まる。
 布陣のずさんさ、指揮系統の混乱、将校の知識不足など相重なる弱点を抱えたフランス軍はなす術もなく、要所を奪われ、この僅か一日で多数の戦死者を出し、谷底の町セダンへと包囲される。アンリエットの夫ヴァイスもプロシア兵に殺される。
 この敗北に消沈した皇帝は降伏を決意、ここにフランス第二帝政の命運が尽きた。

 プロシアの捕虜となったジャンとモーリスは脱走を企てるが、ジャンは逃走の途中で負傷。敗戦に憤激したパリ市民によって第三共和政が宣言された事を知ったモーリスは、アンリエットにジャンを託しパリへ向かう。
 野戦病院で働くアンリエットの前には、戦争が残した悲惨と憎悪の光景が展開する。この不安と悲哀の毎日の中で、アンリエットとジャンの間には深く善良な好意が芽生えるのだが。
 パリ開城と屈辱的な講和条件に憤ったパリの市民たちが起こしたコミューンの反乱により、パリは混乱を窮めていた。
 傷を癒したジャンは再び伍長となり、コミューン鎮圧の軍に加わる。同胞相争う内乱のさなか、炎上するパリの街路で逆上したジャンは無我夢中で一人のコミューン兵士を突き刺す。
 しかしその男こそが、親友モーリスであった。コミューン兵士の虐殺が繰り広げられ、燃えさかるパリで、駆けつけたアンリエットに見守られモーリスは息を引き取る。深い悲しみと共にジャンは、アンリエットに別れを告げてパリを去る。


19世紀フランス文学の金字塔

 日本では殆ど読まれてない"19世紀フランス文学の金字塔"であるとの評価に全く異論はない。"普仏戦争におけるフランス軍の怯懦と無力とを端的に指摘したこの作品は、非愛国的な小説として激しく糾弾された"とあるが、そんな事もどうでもいい。
 とにかく訳者の小田氏も多少悔んでるように、本作品に収録されてる地図は原本に付属するものではなく、整合性を多々欠いてしまい、最後まで私は混乱した。
 戦争にて地理的な要素は勝敗を大きく左右するので、とても残念だ。特にランスからスダンに至る地図は原本の奴を載せてほしかった。"後の展開で喚起されるであろう堅い問題"をよく理解する為の下準備として、正確な地図は欠かせないのだから。

 前述した様に、ゾラはこの普仏戦争とパリ•コミューンの2つの敗北を最終章として、1851年のルイ•ナポレオンのクーデターに始まるフランス第二帝政時代を縦断する様に”ルーゴン•マッカール叢書”を書き進めた。
 まさに「壊滅」とは、"堕落した治世と狂気と恥辱の奇妙な絵巻"でもある。
 敗走•逃走•潰走の連続。これを戦争というのか。数的にはほぼ互角だが、プロの傭兵を抱えるプロシア軍に対し、徴兵で集めた素人軍団が敵う筈もない。当時、主力だった砲撃戦もドイツの砲は射程が長く精度も高い。諜報戦でも用意周到で戦う前からその勝負は殆ど決していた。

 そんな中、混乱と狂乱と幻想に喘ぐ兵士と民衆たち。この必然的なフランスの敗北は日本の敗北を彷彿させるもので、他人事には思えない。とにかく最初からフランス軍は混乱し敗北を重ねた。兵士は昆虫みたいに大量殺戮され、グロ的表現も半端ない。まさに無残で壮絶な"敗戦日記"である。
 ただ、何度も言う様に地図の整合性に欠くから、ゾラのお家芸である絵画を眺める様に読み進める事が出来ない。安っぽいフィクションものならこういった細々な部分は無視して構わないが、実際に起きた戦争巨編である。
 展開的には殆ど一方的な敗戦で、それ程頭をひねる事もない。見慣れない複雑多岐な地名が数多く登場するが故、実際に地図を持たずに戦場へと向った全く愚かなフランス軍将校と同様に、故意に読者を混乱の渦に落とし込んだとしたら、ゾラは天才を超えてる。


多彩な登場人物

 ゾラお得意の多岐多彩な登場人物だが、無能で無策のナポレオン3世や将軍殿は殆ど書くに値しない。
 一方で、主役のジャンとモーリスは全てが対称的だ。前作「大地」で、妻と土地を失うも不屈の闘志を持つジャンだが、無学で農民の出だが模範的な伍長の鏡。
 片や学はあるが、革命に夢想を追い続ける神経を病む放蕩三昧の青年兵士だ。
 特に、「居酒屋」のジェルヴェーズの弟ジャンはゾラの思い入れが特に深く、ルーゴン•マッカール叢書の第15巻「大地」にも登場し、本作では第二帝政崩壊後のフランスの再建を託す人物として描かれてる。

 それ以外にも多くのユニークな登場人物に2人は囲まれ、モーリスの姉アンリエットと織物工場主の妻ジルベルトも相反的に描かれてる。一方は、貞操と献身の典型の良妻型で、他方は情事多き淫乱女。
 モーリスの伯父のフーシャール爺は、ゾラお得意の名物オジサンで、彼なりに死んだ息子の復讐を果たす。
 彼は死肉を売りさばき、敵兵に食べさせ、食中毒で殺害し、自ら大金を稼ぐという強者爺さんだ。その上、ゲリラ化した義勇兵と密通し、彼等は敵軍や輸送車を好き放題に襲う。 
 本作中でプロシア軍に唯一ハッキリとした一撃を噛ませる貴重な存在でもある。
 "腐った肉で奴らを吊るし上げるのだ"と息巻くシーンには胸がすく。

 悪事という点で忘れてはならないのが、ダークホース的存在でジャンの部下シュトーだ。
 芸術家気取りでペンキ屋の美青年の”なんちゃって革命家”だが、再召集され、あの手この手であらゆる悪事を尽くす。
 丁度、「ジェルミナール」の悪ガキと似てるが、悪さの深度と幅が違う。
 最後に、パリ中に火を付けて廻るのも彼だ。レジオン•ドヌール宮に堂々と陣取り、娼婦と乱脈な生活を満喫する。
 立会人の様な不遜な態度でコミューンの処刑を眺める様は、悪の権化にも映る。贔屓目で見れば、革命家の鏡と言えなくもない。


悲しすぎるエンディング

 死に行くモーリスを前に、"ああ何という悲しみ。最も罪深き男が罰せられる事なく太陽の光を満喫し、罪なき者が地下で朽ち果てるのだ"とジャンが叫ぶも虚しく響く。
 アンリエットの夫であるヴァイスは兵士ではないものの、本作中で唯一、戦況を的確に冷静に理解する男である。しかし、指揮官に忠告するも全く相手にされない。最後には悲しいかな、家を燃やされ逆上し、銃を持ち自ら敵兵に立ち向かうも、敵軍将校に捕まり処刑される。彼の早すぎる死は本当に惜しい。

 エンディングでのモーリスの死は本作の最大の見せ場であり、ジャンとアンリエットを無残にも引き離す。
 この時2人は初めて秘めた愛を通じあわせるのだが、2人の幸福はこの瞬間に崩れ去る。
 強く堅い友情で結ばれてたジャンとモーリスだが、戦場では2度もジャンの命を救い、兄として慕うジャンの銃剣の犠牲になるとは、何と分裂症的で皮肉な幕切れであろうか。

 "コミューンが崩壊する最後の日に更にこの犠牲が必要だったとは。ジャンは死んだモーリスを前にして運命の恐ろしさにたじろぐ。最も純粋で最も苦しんだ男は、溢れ出る苦しみでパリを振り返る。
 心が引き裂かれる思いで、その部屋を立ち去り、フランスを復興するという大きく困難な仕事と未来へ向かって歩き始めるのだ"
で締め括るエンドロールには、思わず胸が熱くなる。

 全くモーリスの死以上に、アンリエットとジャンの別れは辛い。夫と弟を亡くした彼女も辛いが、ジャンはそれ以上に辛い。
 最後は辛い辛いの三重苦の連続だ。このレヴューを書いてる内に、じわりと感動と感傷が込み上げる。
 戦争巨編でもあり、感動巨編でもある。ゾラの全てが詰まってると言っても言い過ぎではない。

 しかし、原本の地図がやっぱり欲しかった。不満と言えばそれだけだ。



4 コメント

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涙涙涙 (HooRoo)
2020-04-25 14:30:38
ジャンとアンリエットの愛が
モーリスの死により最後の最後で完結するの
でも二人の愛は呆気なく終わる

こんな美しくも冷酷な幕引きを描くゾラの情熱っていったい何なのよって感じ
ジャンもアンリエットもゾラも辛いけど、読んでる私も辛い💧💧
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Hoo嬢へ (象が転んだ)
2020-04-25 17:53:05
私はもっと辛かったな。
ジャンは前作の「大地」で、地主の愛人(コニェット)と一緒になってればよかったんだ。大地主から取り上げた土地で温々してればよかったものを。
でもジャンの一途な気持ちも理解できますね。ではバイバイ👋
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さよなら!さよなら! (paulkuroneko)
2020-04-25 20:51:59
このエンディングはゾラにしては信じられないほど抒情的で理想主義的ですね。これはゾラが自然主義文学から脱皮した瞬間でもあります。

”新しく力強い幹が生えてくる木のように、涙にむせびながらジャンは繰り返した。「さようなら」。
アンリエットは両手で顔を隠したままで、頭を上げなかった。「さようなら」。
荒らされた畑は荒地同様になり、燃え上がった家は地に崩れた。そして最も純朴で最も苦しんだジャンはその部屋から立ち去り、大きく困難な仕事と未来に向かって歩き始めた”

この一文を見ただけでも、ゾラのジャンに対する思い入れが半端ない事が理解出来ます。
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paulさんへ (象が転んだ)
2020-04-26 01:22:05
このシーンは読んでて辛かったです。
600頁を超える巨編のエンディングにしてはとても心残りに思えましたし、この続編がすぐにでも見たかったほどです。
そういう意味でもゾラの長編は何度読んでも飽きないですね。
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