映画「カリグラ(Caligula)」は、当時の”ペントハウス誌”社長ボブ・グッチョーネが46億円の巨費を投じて製作した、1980年の伊米の合作映画である。多分、名前くらいは知ってる人も多いだろうか。
表向きはローマ帝国皇帝カリグラの放蕩や残忍さを描いた重厚な歴史大作の筈だったが、実態はハードコアポルノそのもの。
この映画の撮影はアメリカ映画協会(MPAA)を通さず秘密裡に行われた。過激過ぎる内容の為、ニューヨークでは劇場を一館買い取って公開され、大ヒットを記録。
日本では6億の興行収入(アメリカでは2千3百万ドル)を上げてるから、そこそこの作品ではある(ウィキ)。
私が高校生の頃だったから、非常に印象的に残ってる。当時は今と異なり、女優が簡単に脱ぐ映画はポルノと決まってた。とはいっても当時のイタリア映画は、ゲテモノホラーかハードコア系に集中してたし、フランス映画に至っては「エマニエル夫人」に代表される様にソフトコアが多かったかな。
とにかく、当時のヨーロッパの女優はよく脱いだもんだ。
一方アメリカのハリウッドは、今とは異なり、正攻法の真面目な映画が多かった様に思う。
ポルノ映画とはいっても記憶は曖昧だが、高校生の私でも堂々と入れた。勿論、肝心な部分はモロにモザイクが掛ってた。当時の私には単なる安っぽい場末の成人映画にしか見えなかった。ダラダラと延々と続く肉の塊の描写に流石にウンザリとなった。
ポルノか?芸術か?破滅か?
しかし、後に「ガリキュラ」のポスターを見た。そこには修正は掛ってなかった。半裸の男がナイフの柄先を、半裸の女の性器に突っ込んでるシーンだった。
その時にふと気付いた。この映画は単なるポルノ映画じゃない、真っ当な芸術だって。
若かった私は、このポスターに見とれた。そしてバルザックと同じく、イタリアの芸術の偉大さに感服した。ローマ帝国の存在に圧倒された。
そして、十数年が経った。親父になった私は再び、ネットで無修正の「ガリキュラ」を見た。日本語字幕が用意されてたら印象も変わったろうが、やはり単なるハードコアポルノに映った。
ただ、主役のカリグラ皇帝を演じるマルコム・マクダウェルは、ゲスで安っぽいポルノ男優に映ったし、今でもその印象は変わらない。しかし、オスカー女優のヘレン・ミレンの存在は群を抜いてた。彼女の若き日のヌードを見れただけでも救いだったか。
しかし殆どのキャストは、ごく普通のポルノ女優だった。カリグラの愛人で妹役には、ヌードモデルのテレザ・アン・サヴォイ。小柄でチャーミングなブロンド娘で、コアな映画ファンなら知ってる人も多いだろう。
彼女もマクダウェル同様に、早熟で劣化も早かった。25歳で既に猿みたいな顔つきになり、僅か30歳で女優業?をリタイヤした。しかし、マクダウェルはしつこくヘボな俳優業を続けてる。
制作のボブ・グッチョーネは、ポルノ映画と”PENTHOUSE”で、世界を制圧しようと考えたのか?不思議とフランシス・コッポラの「地獄の黙示録」とイメージが重なる。
でも、ポルノ映画としては、制作費46億円の大作だし、モザイクなしの映画にして欲しかったのは私だけだろうか。
最後に〜ローマ帝国の狂乱
”隠す”事を美学とする日本は、隠す事で世界に遅れを取ってるようにも思う。隠す事で物事の本質を見逃してる様にも思う。
高校生の僕が、無修正の「カリグラ」を見ていたら、ポルノを履き違える事もなかったろうか。”ポルノ=エロ”という勘違いもしなくて済んだ筈だ。
事実、「カリグラ」を真似たB級映画は腐る程世界中に溢れた。そして、”カリグラ”同様に、エロと共に腐っていった。
所詮、ポルノはポルノに過ぎない。しかしモザイクを掛けたら、”カリグラの狂気”や”ローマ帝国の狂乱”は表現出来る筈もない。
私がこの映画で見たかったのは、ポルノが提供する興味本位な大人の”エロ”ではなく、作品が提供する衰退したローマ皇帝の”ブザマ”である。
しかし、所詮ポルノはポルノである。優秀な脚本と監督とキャストを用意しても、ポルノの領域を超える事はできない。
そういう意味では、ローマ帝国という偉大な歴史も、単なるポルノというゲスな歴史の集合体だったのかも知れない。
そういう事を強く感じた名作?とも言えないではない。
最近のヤブ医者はやたらクスリを処方しますね。ホント訳分からん薬をね。自分で調べて、薬局に相談するのも。