象が転んだ

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幻の巨大空母”信濃”〜戦わずして沈没した、も一つの”大和”

2019年08月14日 07時59分49秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 NHKBSの「戦争ドキュメント」には何時も感心させられる。今日は、「幻の巨大空母“信濃”~大和型“不沈艦”の悲劇」の紹介です。少し長くなりますが、悪しからず。
  ”大和•武蔵に次ぐ3番目の巨大戦艦として建造途中、急きょ航空母艦に改造された。大和ゆずりの強固な防御力で、”不沈空母”として期待された信濃。しかし最初の航海の途中、僅か4発の魚雷で就航後、僅か22時間で沈没。一体何故?幻の空母の悲劇の最期とその謎に迫る”

 ”大和”と”武蔵”は有名だが、大和型3番艦の”信濃”の名は殆ど知られていない。1961年にアメリカ海軍の原子力空母”エンタープライズ”が登場するまで、史上最大の排水量を誇った空母”信濃”の悲劇とは? 


大和型第3番艦の”信濃”とは

 太平洋戦争の開始を告げた1941年12月8日の真珠湾攻撃。その2日後の12月10日の”マレー沖海戦”にて、航空攻撃により戦艦を撃沈し、これからの海戦を決するのは戦艦兵力ではなく航空兵力である事を実証した。
 そこで大日本帝国軍は、巨大戦艦”大和”を12月16日に、”武蔵”を翌年の1942年8月6日にそれぞれ就役させた。
 因みに、大和型は全部で4隻が建造される計画で、3番艦”信濃”と4番艦”紀伊”までの建造が進められてた。先に建造された1号艦”大和”、2号艦”武蔵”の不具合を改善し、信濃と紀伊は、より完成度の高い戦艦となる筈だった。

 1942年6月7日の”ミッドウエー海戦”で主力空母”赤城” ”加賀” ”蒼龍” ”飛龍”の4隻を一挙に失い、今度はアメリカ海軍が、海戦の主役は航空兵力である事を改めて示した。
 空母の保有数を増やす事を検討してた旧日本海軍は、ここにてようやく戦艦から航空機への変更を決心した。
 同年6月30日には、大和型戦艦で船体が7割方完成してた3番艦”信濃”を空母へ変更し、4番艦については建造中止を決めた。
 但し、丸2年をかけ船体進行率70%という状態にまで完成が進んでた3番艦”信濃”の解体はそれだけでも大事業となり、横須賀の現場の士気は低かった。

 一方、1944年に入るとアメリカの本土空襲がより一層激しくなり、横須賀にもしばし空爆が襲った。お陰で、”巨大空母”信濃の建造は、非常な困難な状況の元、急ピッチで行われた。 
 信濃の就役は1944年12月末と計画された。大和型の船体で作られる”不沈空母”信濃は世界最大というだけでなく、防御力も戦艦並みに強固な、世界最強の”重装甲空母”となる予定だったが。 


巨大空母”信濃”の不運な船出と旅路と

 194411月19日に横須賀軍港で竣工した”巨大空母”信濃は、激しくなりつつある空襲を避け、未完成の空母信濃の”残工事”を完成させる為、呉軍港に回航される事になる。
 事実この時点では、高角砲や噴射砲や機銃などは殆ど搭載されてなかった。ボイラー機関も12基の内8基しか完成しておらず、最大速力も不十分であった。その上、艦上には戦闘機が未搭載という有様だった。つまりこの時点では、戦闘能力が全くない、欠陥だらけの巨大空母だったのだ。

 潜水艦を警戒し、哨戒機の応援が受けられる昼間に沿岸を航行する案と、空襲を警戒し、夜間に外洋を航行する案で議論となる。
 対潜哨戒機の援護が受けられないとの通達があり、その上、信濃には航空機が1機も搭載していない事情もあり、夜間の外洋航行に決定した。
 因みに、大和型は20ノット(37km/h)以上の高速航行が可能で、潜水艦から魚雷攻撃を受けたとしても、十分に耐えられるとの試算もあったが。 

 11月28日13時30分、駆逐艦の”磯風”、”浜風”、”雪風”を護衛に付けた”信濃”は、横須賀軍港を出港した。
 外洋に出た19時、”磯風”がアメリカ潜水艦の電波発信を捉え、対潜警戒に入る。
 B29が高高度から撮った写真に信濃が写ってた事もあり、米海軍潜水艦”アーチャーフィッシュ”が、20時40分に信濃を発見したのだ。

 夜間の海上で、空母と潜水艦の追跡戦が始まった。信濃は機関が本調子ではなく、20ノット以上は出せず、魚雷攻撃を警戒し、ジグザグの航路を取った為、殆ど潜航せず水上全力航行(最大19ノット)で追跡するアーチャーフィッシュに追いつかれる。
 翌日の11月29日の午前3時10分、約6時間20分の追跡劇の後、信濃の前方、距離1500mへ占位してたアーチャーフィッシュは魚雷6発を発射、そのうち4発が信濃に命中する。
 因みに、信濃を護衛した駆逐艦の”浜風”、”磯風”、”雪風”だが。磯風と浜風はレイテ沖海戦の損傷で水中探査機が使えず、雪風だけの捜索能力より米軍潜水艦の静寂能力が勝った。その上、艦乗員の極度の疲労や練度不足で、見張りも不完全だった。
 それに、駆逐隊は司令不在という最悪の状況で、信濃の護衛が不十分だったのだ。 


何故、不沈空母は呆気なく沈んだのか?

 浸水が始まった信濃だが、大和型の堅固な防御は、この程度の被害には耐えられる筈だった。被雷直後も信濃は20ノットを維持、これを護衛する日本の駆逐艦から退避行動を取ったアーチャーフィッシュは以降、追撃が出来なくなる。
 因みに、”大和”の被弾数は爆弾7発、魚雷10発、”武蔵”の被弾は爆弾17発、魚雷20発(米軍資料では爆弾44発、魚雷25発)とされる。
 では信濃は、同じ大和型の戦艦(大和•武蔵)とこうも強度が違うのか?

 事実、巨大空母信濃は攻撃型の戦闘艦としては不完全だった。船体を細かく区分し、浸水や被害を最小限に食い止める筈の”水密区画”は、試験も不十分で、未完成なまま隙間だらけだった。
 未完成艦”信濃”の各通路にはケーブル類が多数放置され、防水ハッチを閉じる事が出来なかった。その上、乗員も乗艦してから日が浅く、操作も不慣れで浸水を抑える事が出来い。何とか閉める事の出来た防水ハッチも、隙間から空気が漏れる有様だ。
 傾斜が13度になり、水蒸気を水に戻す復水器が停止し、ボイラー用の水が欠乏し、ボイラーの運転が止まった。魚雷を受けた15時間後には、完全に動力と電力を全て失った。
 浸水と傾斜はどんどん進行し、午前11時に転覆、艦尾から沈没する。

 信濃の艦歴は、世界の海軍史上最も短いものとなった。竣工から10日、出港してからは僅か17時間であった。
 生存者は準士官以上55名、下士官兵993名、工員32名。戦死者は791名(工員28名、軍属11名を含む)だった。
 因みに、生存した乗員たちは随行の艦に救助され、機密保持のため三ツ子島の施設に抑留された。 
 つまり、”不沈空母”信濃の短すぎた戦いは、機密と共に葬り去られたのだ。
 日本を救う筈の最後の砦だった信濃の戦いは、ここにアッサリと幕を下ろしたのである。 


性急すぎる工期短縮が招いた悲劇

 計画では、初期の竣工時期より5ヶ月近く短縮された。熟練工を兵役で取られ、その不足を補う為、畑違いともいえる他の学部の生徒を学徒動員で集め、朝鮮や台湾人工員や女性も狩り出された。
 ”(不沈艦空母)信濃の完成が日本を救う事になる。信濃がなければ、戦争に負ける”等の安直な決意が、この困難で急ピッチの作業を促進した。
 だが、武蔵ですら19ヶ月かかった艤装を3ヶ月で強行した時点で、仕上りには問題があった。その上、”信濃”の居住区には調度品が一切なく殺風景で、まるで”鉄の棺桶”と揶揄された。

 その上悲しいかな、この巨大空母の旅出となる進水式では、単純なミスから、艦首をドックの壁面に何度も繰り返し激突させ、艦首のバルバス•バウと内部の水中ソナー、プロペラ翼端が破損した。これも典型の性急すぎる工期短縮が招いた結果だといえる。
 NHKBSでは、厚さ40センチ以上の鉄板で覆われた”水密企画”が、リベット工法で行われてた為に、魚雷攻撃により、一連のリベット群が外れ、一気に浸水したとされるが。
 それ以前に、穴だらけの”水密企画”では、”不沈空母”は夢の夢であったろうか。

 この巨大空母信濃には、ドッグ(1700万)と建造費(1億4770万)の計1億6400万円も掛っている。超巨大戦艦大和ですら、1億3800万だ。これは、今の国家予算の規模で見れば、2兆8000万円程になる。
 昭和天皇は、信濃沈没の報告を受け、”惜しい事をした”と語った。悲しいかな、そう言う他なかった。


”何もしない”という正義と戦いと

 信濃が沈没した一番の原因は、建造の練度不足の為に十分な防水作業も出来ず、艦搭乗員も内部に精通したものが皆無だったとされる。未完成の不沈巨大空母と不慣れな乗組員。この2つが沈没の原因と決めつけるのは、誰でも言える。
 一方で、敵の潜水艦及びその魚雷の威力を軽く見たという意見がある。航海計画が悪かったとして、軍司令部の責任を問う声もある。
 しかし一番大切な事を、日本の歴史ジャーナリストは忘れてる。

 信濃の空母計画が発表されたのは、1942年の6月末で、太平洋戦争が一番激しかった頃の事だ。その後日本軍は、一方的に敗北を連ねた。日本の敗北は、誰が見ても明らかだった。
 確かに、野球は下駄を履くまでわからない。しかしそれは、毅然としたルールのある世界での話だ。戦争にはルールがない。相手が白旗を上げるまでは、何でもアリの世界だ。
 しかし日本人には、”何もしない”事は失敗の本質であり恥だと、決めつける傾向にある。
 でも、敗北が明らかになった時、”何もしない”で降伏すれば、大和の悲劇も、武蔵も信濃の悲劇も避けられた筈だ。勿論、インパールの悲劇も広島•長崎の惨劇も避けられた。つまり、全ての悲劇は避けられた。

 それでも日本人は、”何もしない事が本当の失敗だ”と叫び続ける。
 まるで出来の悪い、叩き上げ型の教師の説教を聞いてるみたいで、何とも歯痒く感じるのは私だけだろうか?


最後に〜何もしないことの勇気と知恵

 かつてガンディーは、欧米列強の暴力に対し、暴力も服従もしなかった。ガンディーにとって、”何もしない”事こそが神の真理だったのか。お陰で、極端に多くの犠牲を払わずに、インドの独立に大きく貢献した。
 勿論、ガンジーのやり方が全てに正しいと言うつもりもない。時には反抗し暴力に訴える事も、罰を与える事も鉄槌を下す事も必要だろう。しかしガンディーは、”一番重要な事は、自己の臆病や不安を乗り越える事だ”と主張する。

 そんなガンディーも以下の様に語る。 
 ”臆病と暴力のどちらかを選ぶとすれ、私ば暴力を選ぶだろう。意気地無しで、辱めに甘んじ、名誉を捨てるより、武器を持ち、自分の名誉を守る事を望むだろう。
 しかし、非暴力は暴力よりも優れていて、許しは罰よりも更に勇気と力がいる事を、私は知ってる。
 許しは全てに勝るとはいえ、罰を控え、許しを与える事は、罰する力がある人だけに許された事ではないだろうか”

 つまり、”何もしない”という事は、真に勇気と知恵のある人に許された、”最強で最高の最終兵器”なのもしれない。



4 コメント

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何もしない奴より、立花孝志の方がマシ (kouunh)
2019-08-14 10:27:19
ガンジーはキリスト教の「右の頬を打たれたら、左の頬も打たれなさい」のマゾ的手法を逆手にとり、大英帝国を追い詰めた。正しくキリスト教団とローマ帝国との対峙関係史と似ている。ガンジーは政治家としてメディア利用により、世界世論を味方に付けて覇権大国と張り合った。だが、その過程で意味も解らず動員された、多くの社会的弱者が巻き添えに遭い犠牲となった。現在の香港デモにしても、何もしないダークマターが、マスクを付けた黒シャツ姿の若者を扇動し、覇権大国中国と張り合わせている。この「ダークマターの何もしない営み」が諸悪の根源であり、私が指摘したい「敗北の本質」に繋がる問題点なのだ。ISパクリN国党のアホな猪豚顔で、マツコと八百長相撲を仕掛ける立花は、彼を利用しようとしているダークサイドよりは、未だマシだ。
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kouunhさんへ (lemonwater2017)
2019-08-14 12:44:02
流石、ここら辺の話題になると、kounnサンに軍配が上がりますね。いきなり、魚雷4発を見舞われた感じです。でもこれでアッサリと空母沈没という訳にもいかないんで(笑)。

”何もしない”という事は、やはり成功の本質だと思います。勿論、やり方によっては失敗の本質にはなり得るけど。どう考えても犠牲の規模と失敗の次元が明らかに違いすぎるかな。

ただ、ガンジーの思想は賛成ですが、最初が上手く行き過ぎて、少しやりすぎましたかね。大英帝国もアメリカも、明らかに”やり過ぎ”の国家ですが。
何もしないでも大英帝国は失脚した筈です。メディアや世界の世論が持ち上げ過ぎましたかね。それでも、米英のやってきた事に比べれば、微細なものでしょうか。
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何もしない事と無為自然 (paulkuroneko)
2019-08-15 02:42:33
何もしないで自然の摂理に任せる。老子の言葉だったかな。間違ってたらごめんなさい。

山本五十六はアメリカとの講話、つまり条件付きの痛み分けを模索してたといいます。でもアメリカがそれを受け入れるはずもありません。巨大戦艦や不沈空母窪は、一種のアメリカへのハッタリだったと思います。

”勝てる筈のない戦争”は、いつしか”明らかに負ける戦争”になっていきます。追い詰められた人間は色んな事バカや無謀な事を考えます。山本五十六ですらその一人だったと思います。

そんな中で、何もしないという英断は誰もが持ち得る筈もないですが。またいたとしても簡単に却下されるでしょうね。

空母信濃の建造に関しては、乗組員同様に明らかに工員の士気が低かったらしいです。こんな戦争とっととやめればいいのにと、みんな内心思ってた事でしょう。みんな負ける事は分ってたんです。
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paulさんへ (lemonwater2017)
2019-08-15 05:28:07
山本五十六も英雄と言われる割には、少し考えが甘かったかもです。国内の経済恐慌から立ち直りつつあったアメリカは、無尽蔵の国力を誇ってましたし、日本の10倍以上の経済力がありました。

そんな中、巨大戦艦や巨大空母を作っても太刀打ちできないのは明らかで、たとえ宇宙戦艦ヤマトでも自慢の波動砲を簡単に躱され、24時間以内に沈没でしょうか。

韓国や朝鮮人も女性も現場の工員として雇われてたというから、洒落にもならんですね。日本人の辛抱強さや忍耐や精神力には目を見張るものがありますが。それはルールのある世界だけで通用するものです。

戦争はルールのない世界、やり合うだけ無駄なんです。勿論そういう事も大衆レベルでは判ってたと思いますが。戦争を美化する軍上層部にはウンザリですね。
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