うちの亭主は家の中では怒りっぽく癇癪持ちだが、世間では非常に評判がよく、困ってる人の為なら無償で奉仕するという博愛主義者の美談をよく耳にする。
これこそが遺伝的体質で、困ってる人を見るとじっとしてられないというか。私の親父もその典型だった。そういう私は、それ程博愛的でもないが。
ただ、私も親戚や身内よりも全くの赤の他人に共感や慈悲を強く覚える傾向にある。サイコパスとは全く逆の特徴ですね。
美談という程ではないが、ある駄菓子屋の主の家に農耕牛がいて、処分するに困ってた所、私の親父がその牛を凄く高く売りさばいた。人の良い親父は一銭も頂かなかった。
それで駄菓子屋の主人は、この店は処分するつもりだから、お礼に店の中のお菓子を全部持ってってくれと何度も嘆願した。それすら親父は断り、大きめのダンボールにお菓子を積んで帰って来ただけだった。
母親は文句を言い、私と兄はお菓子を全部貰ってくればと不満タラタラ。親父は申し訳なさそうにしてたが、内心は崇高な誇りで一杯だった。困った様な嬉しそうな親父の顔が未だに目に浮かぶ。
ただ、そういう親父も、お袋には常に強く当たり散らした。出刃包丁を振りかざす時もあった。お袋は二度夜逃げした。離婚は時間の問題でもあった。
私がまだ小学校へ行く前の頃だった。4歳上の兄と相談し、二人だけで離婚後の打ち合わせをした。私は親父に付いていくと言い、兄はお袋に付くという事で、アッサリと難題は解決した。全くマセ過ぎたガキだったんですな。子供って危機回避能力に長けてんです。
その事をお袋に話したら、決心が付いたらしく、離婚は絶対にしないと心に誓ったという。しかし、その後、親父は病で床につき、数年後に他界した。
親父が死んで、お袋は変わった。陰で浮気をする様になった。そういうお袋も博愛的な所があり、お腹を痛めて産んだ子供よりも他人に奉仕する傾向にある。お陰で、お袋を悪く言う人は殆どいない。
親父とお袋も同じ博愛的な人種だが。全く世間体を気にしない親父に対し、世間体が全てのお袋では、世間の評価や評判に大きな隔たりがある。人間的人格的には親父の方がずっと崇高ではあるが。早く死に過ぎた為に、それに見合った評価はされなかった。
しかし、幾ら崇高な人格を持つ親父も健康で長生きしてたら、一族の財政を一人で担ってた程の仕事の鬼だったから、浮気の1つや2つはしたであろうか。博愛主義者と言えども、所詮は生身の人間なのだ。因みに、親父のタイプは浅丘ルリ子だそうで、趣味ワルですな。そういう私はブリジットバルドーでしたな。もっと悪趣味ですな(笑)。
湿っぽい話題でスンマセン。
わが家が正にそれであることは説明の要がありませんね。(笑)
でも、世間にはよくあることなのでしょうね。
このブログは、bikoさんの為にでもあるのですが、それ以上に”博愛”という言葉にピンときたんです。
これから、bikoさんがどういう道を選ぼうが、それはbikoさんの勝手であって、ただ、それを聴覚障害や好きなブログのせいにする事は、主観的客観的に見ても、少し悲しい事の様に思います。
bikoさんもそういう所はよく判っておられる筈ですから、全く心配はしてないのですが。
私がこうやって書いてる事も、所詮は言葉のお遊びに過ぎません。本音か建前かすら不透明ですものね。ひょっとしたら、お金の為に受けのいい事を書いてるかもです(笑)。
ベーブ・ルースや大谷じゃないですが、好き勝手にやるのも悪くはないかと。今まで苦労なさった分、残りの人生を楽しんだがいいのか。bikoさんはbikoさんの為に生きるべきかもです。全くアドバイスになってませんな(笑)。
浅岡るり子さん同様に、眼がデッカイ女優さんです。
離婚後の話し合いも子供同士で決着がついてたんですね。弁護士顔負けですよ。
でも、昔は眼のデッカイ南欧風の女性が持てた時代ですから。元祖美少女スターの浅岡るり子さんも石坂浩二さんと結婚してましたね。多くの日本男性が失意した事でしょう。
博愛も程々にしないと、トラブルの原因になるんですかね。何事もバランスが大切で。
全く、マセたガキだったですね、精神的にはですが。
ブルックリンのスラム街に、独り産み落とされても生き抜いていける感じでしたか(笑)。少し大げさですかね。
昔は皆、浅丘ルリ子さんみたいな美少女に日本人は憧れたんでしょうな。好みも”戦後”だったんですね。
連日お世話になります。
博愛主義者って、いい面ばかりでもないんですね。私の父も娘の前では、実に理想の父親でした。まさに愛するダディー状態です。しかし、母の前では結構強く当たることもありましたね。
全てにおいて理想的な人間っている筈もないんですね。逆におかしいですよね。人前でも慕われて、家族からも尊敬されて、仕事もバリバリ出来てっていうのは。転んださんの言う外ズラだけがいいっていう人も沢山いますから。人って見た目では全く分りませんもの。
私たちがこうやって、全く相手の外観や本性を知らないまま、自由にコメントし合えるのも、互いの素生を知らないという事が大きなアドバンテージになってると思います。
逆に、互いをよく知ってる同士では、互いのアキレス腱も握ってるますから、本音で話し合うという事が難しいですね。親戚がどうも気が合わないとか、両親と考え方がマッチしないというケースも多々あるみたいです。
夫婦だって同じですよね。全くの赤の他人が長い間一緒に暮らしてるんですから、互いによほど理解がない限り、理想的な夫婦生活なんて夢物語に思えます
博愛主義と言っても、二面性がある訳で、全て理想という筈もないですね。言葉はキレイなんですが、色々と無理があるみたいで。
そういう私は、世間体にも無頓着ですし、社交性も殆どないです。勿論、博愛でも勤勉でもない。褒められる事もないし、褒める事も滅多にないです。ま、性悪説を地で行くような人間です(笑)。
そういう所は、両親の血を全く引いてませんね。親と子というのは、血が半分繫がってるだけで、所詮は全くの他人。50を過ぎて、思い知らされました。遺伝というのは、人が考える程単純じゃないと。むしろ、赤の他人の方が、血が遺伝が中途に繋がってない分、上手く行くのかもしれませんね。
新しいスマホはどんな具合ですか?
転んださんも大変な人生送られてますね。
ひょっとしたら、ボンボンかと思ってました。小さい頃から異常なまでにマセタ子供だったんですね。
博愛というのも遺伝なんですか。転んださんのブログ見てると、キツいんだけど博愛。そういうものを感じます。
文筆では生い立ちや見てくれなんて判る筈もないですが。気質とか精神性とか知能とかは、何となく判る気がします。
全くツキのない人生というか。親父が死んだ時点で、大きく運命が変わったような気がします。でも、これも運命です、受け入れないとですが。
故に、ブログも厳しくなりますね。博愛と辛辣というのは対称的なモノのようで不思議なもんです。
それと、新しいスマホは慣れるのに少し時間が掛かりそう。キーボードを繋ぐコネクタが百均の奴で使えるとの事で、早速試してみます。でも、ブログから開放されるのも偶にはいいもんです。