象が転んだ

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負け方にも程がある〜なぜ山本五十六は戦争に突き進んだのか

2023年08月21日 15時49分19秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 太平洋戦争80年、真珠湾攻撃を立案した山本五十六をめぐる新資料が次々明らかに・・・
 初公開の機密文書、遺族の元に眠る直筆メモ、そして秘蔵映像・・・。見えてきたのは、山本が軍縮→三国同盟→開戦と、何度も歴史の分岐点に立ち、戦争回避をめざしながらも上層部の思惑や熱狂する世論に阻まれ挫折していた姿。香取慎吾主演のNHKドラマ「倫敦(ロンドン)ノ山本五十六」が描いた新事実のさらなる深層・・・
 日本はなぜ戦争へ突き進んだのか。

 開戦前の昭和9年、当時の海軍将校・山本五十六がロンドンに降り立った。
 国家の命運を背負い、アメリカをはじめとする列強との軍縮交渉に臨もうとしていた。”交渉が決裂すれば、日本は国際社会でさらに孤立する”
 アメリカの絶大な国力を知り、”戦争は避けるべきだ”と考える五十六は、ぎりぎりまで決裂回避への道を探り続ける。しかし、軍備拡大を目指す本国の海軍首脳部から、”結論ありき”の交渉を命じられ・・・
 優先すべきは、国民の命か?国家の誇りか?組織の中で板挟みになり、苦悩の末に五十六が下した”ある決断”とは?

 このドラマ(2022年放送)を見る限り、NHKはどうも山本五十六がご贔屓みたいだ。かと言って、香取慎吾を主役に抜擢する辺りは、番組スタッフが山本の(人物はともかく)策略や行動に疑惑を抱いてるのも見え隠れする。
 しかし、NHK出版の「山本五十六、戦後70年の真実」(2015)のレビュー群を公平に見る限り、真珠湾攻撃は奇策というより愚策であり、山本は”半分は愚将だった”と言わざるを得ない。

 山本の同期で”腹心の友”であった堀悌吉は条約派であり、強固な反戦論者であった。しかし、艦隊派の大角海相による”大角人事”により51歳で予備役(実質上のクビ)にされる。
 そして2014年、厳重に帝国銀行の金庫に保管されていた資料(堀の書記)が公開された。
 (堀が五十六についてまとめた)「五峯録」は知られてたが、堀悌吉自伝ノート類や山本五十六直筆の述志2通を含む書簡類28通、1943年4月3日付入りの短歌(五十六はこの年の4月18日に撃墜死)、それに真珠湾攻撃作戦の「戦備訓練作戦方針等ノ件覚」が公開され、それを基にNHKBS1スペシャル「山本五十六の真実」として放映、「山本五十六、戦後70年の真実」は、それをより詳しく紹介した新書版である。


南雲中将の愚行

 真珠湾攻撃の具体的な実行指揮官は(山本ではなく)第一艦隊司令官の南雲忠一中将であった。南雲は真珠湾攻撃では一応の成功を収めるが、空母及び基地にある多くの施設破壊する事なく引き返す。また、ミッドウエイ海戦では対艦攻撃用魚雷を独断で(急遽)陸用爆弾に取り換えた事で空母上は大騒ぎになり、更に敵空母に発見され、攻撃機の陸用爆弾を対艦用魚雷に再転換を命じた。
 山口多門少将は陸用爆弾のまま出撃を具申したが、南雲はこれを却下。空母3鑑はあっという間に沈没し、山口司令官が乗った空母飛龍も奮闘空しく加来艦長ともども運命を共にした。この南雲中将(のバカ)は艦隊派で(前述の)”堀悌吉の追い落とし”の急先鋒でもあったのだ。

 アメリカも当初は、大方の日本海軍の如く大鑑巨砲主義であった。しかし、真珠湾攻撃での航空機を使った戦術に驚き、すぐに航空機の増産と空母の増産にかかる。
 一方で、日本陸海軍は失敗の教訓をしないし、検討してもまとまらず、考え方を変えようとはしない。
 対して、アメリカはすぐに反省会を開き、失敗の原因を突き止め、次にそれを生かす。この体質の違いが極めて大きく勝敗を分けていく・・・

 ハワイ攻撃は(米国に一撃を加え、厭戦的なアメリカ国民に戦争を思い止ませるつもりでいた)山本五十六が一人で考え、軍司令部の長野の同意を得て、又多くの提督の反対を押し切り決めたらしい事は、今や公然の事実になりつつある。
 戦争前の英米の経済的実力及び自給的資源戦力や生産力の調査では、”英米との戦争は不可である”と陸海軍が夫々結論してるに関わらず、統帥権の独立から(当時の内閣と統帥の間では、勿論、陸海軍同士の間でさえ)一国の運命を決めるのに”協議不十分であった”という悲しい現実が横たわっていた。
 つまり、ハワイ攻撃は内閣も陸軍も知らない処で決まっていたなんて(近代国家では制度上考えられない)事が現実に起きてしまったのだ。因みに、首相で陸軍大臣でもあった東条英機はハワイ攻撃を事前に知ってたらしい。
 レビューには”180度歴史観が変わった。歴史教育を時の政権の政治的手段にしてはいけない”とあるが、本当に優秀な人材は戦場に埋もれたままで、掘り起こされる事は稀である。
 結局、山本五十六も時の政権が利用した”宣伝パンダ”に過ぎなかったのだろうか?


なぜ、五十六は暴走したのか?

 なぜ、山本五十六は”米英との戦争回避”という国家方針に逆らい、暴走したのか?
 理由は”陸軍に負けたくなかった”という単純な意見もある。
 もし海軍が対米戦争を回避したら、海軍は徹底した批判に晒され、陸軍に主導権を奪われる。
 その海軍は、1937年の海軍軍縮条約からの脱退以降、5ケ年計画を作成し、莫大な予算を要求して、(対米戦争を想定した)機動部隊を主力とする連合艦隊の配備を進めていた。空母や零戦などの航空兵力に加え、46cm砲を備えた対米決戦の切り札の大和型巨大戦艦など、全てが対米決戦を想定した兵力である。
 その計画の大兵力が揃うのが1941年末で、この時点でアメリカの太平洋艦隊を日本海軍の大兵力は完全に凌駕した(いや、そのつもりでいた)。
 因みに軍縮条約の脱退だが、日本にとってはそんなに悪い条件でもなかったとの声もある。つまり、海軍は”陸軍には負けまいとして莫大な予算を要求した”とも考えられる。

 海軍が、もしこの時期に”アメリカに勝てない”と言ったら、今までの予算要求と兵力配備は何の為だったのか?と、海軍は帝国議会で批判され信用を失い、代りに陸軍が主導権を握っただろう。
 しかし、陸軍主導部も当初は対ソ戦を視野に入れてたが、岸信介らが仕掛けた(アヘンの利益を目的とした)日中戦争で、折角の”北進論”も無駄に帰した。
 一方で対米参戦を破棄すれば、海軍兵力は殆ど無駄となり、海軍の予算は激減し、発言力も失う。故に、陸海軍を総括する統合参謀本部が新たに創設され、海軍の統帥権の独立は保てなかったろう。
 つまり、海軍にとっては統帥権存続の最大のピンチでもあった。山本五十六は極端に陸軍や薩長閥を毛嫌いしてたし、(2.26事件の影響で)重臣も岡田や米内などその勢力で占められてた。
 ”陸軍に主導権を奪われるくらいなら死んだ方がマシだ”と考えるのも無理はない。
 ならば大博打で、いっその事”アメリカ艦隊を奇襲する”という五十六の構想に賭けるしかない。完全な丁半博打だが、もしそれで負けても、”陸軍に負けるよりはアメリカに負けた方がマシ”と考えた。
 そう考えれば、海軍の暴走も理解できなくはない。因みにこれは、東条英機が首相に君臨した時、陸軍の反発に怯え、日米開戦に踏み切った状況とよく似ている。
 つまり、五十六も所詮は東條と同じく、1人の軍人に過ぎなかったのである。


再び、山本五十六

 しかし、以上は結果論であり、個々の主観的推測に過ぎない。
 そこで中立的な立場で、山本五十六という人物と辿った行動とを再考してみよう。

 山本は最初は確か、”2、3年は黙らせてみせましょう”だった。それが1年となり”半年に”なった。そして、最後には”講和主義者に”なり、恩情に脆い名将に讃えられ、戦後は平和主義者の如く持ち上げられた。
 但し、日露戦争の英雄だった事は間違いなく、それをそのまま太平洋戦争にまで引きずり込んだ事こそが日本の悲運の始まりだった様にも思える。
 しかし、その山本も正直に”勝ち目はない”と漏らしてたから、戦争が長引くにつれ、内心は相当に辛かったろう。
 どんな歴史上の英雄も叩けば叩くだけホコリは出る。つまり、歴史とは英雄を生み出す幼稚なお伽話ではなく、真相を追求する勇気と覚悟の入る学問である。いくら彼を(無理に)英雄として奉っても、戦争の悲劇がなくなる筈もない。

 考えようにもよるが、山本五十六を名提督と評するならば、ヒトラーこそが名将とも言える。しかし、ポーランド侵攻が仇になり、その後は悪の帝王みたいに成り下がった。
 ”真珠湾攻撃とポーランド侵攻”それに”国家元首兼首相と海軍大将”
 戦争初期こそ戦略として評価されたが、今では奇抜な愚策との声もある。確かに、旧陸軍の南下政策ばかりが批判されるが、真珠湾攻撃も愚策に変わりはなかった。
 奇襲によって”米軍および米国民の士気を阻喪させる”という山本の決断は、あまりにも単略すぎた。
 でも全ては結果論である。
 要は歴史から、いや敗北から何を学べるのか?悲劇から目を背けるのは容易だが、その悲劇から反省を抽出するのは、誰でもできる事ではない。つまり、負け方にも程がある。

 そういう私も(最初は)山本が筋金入りの講和主義者だと思ってたが、史実が明らかになるうちに、(海軍トップに操られた)一人の軍人に過ぎない事が判明しつつある。
 悲しいけど、それが真実なのだろうか。故に、”歴史から学ぶ”と口にするのは簡単だが、残酷な行為でもある。
 

最後に〜

 一方で、奇襲を成功させた海軍大将の山本五十六と、日中戦争を止めようとした陸軍中将の石原莞爾の二人はよく比較される。
 戦略で言えば、より大局的な視点で戦略を描き実行しようとした石原に軍配が上がるが、あまりにも山本の英雄伝が一人走りしすぎて、山本の奇襲が素晴らしい戦略のような描かれ方をしてるのも事実。
 確かに、石原の戦争不可避論や最終決戦思想は間違っていた。事実、彼らが画策した満州事変や関東軍による暴走は、日本の孤立を招く要因にもなった。しかし、長期的大局的な視点で戦略を構築してた功績は認められるべきだろう。

 一方で、アメリカに対し勝ち目がないのを知り、また対米戦争の愚を知りながらも、国家の政治的愚かな決定に従い、真珠湾奇襲を策定し実行した山本は、所詮は”軍人の鏡”に過ぎなかった。
 特に、ミッドウェー海戦以降の大敗を振り返ると、無謀な戦略を作戦や戦術で補う事は不可能でした。故に、如何に大局的な戦略が重要であり、戦争が不確実性に左右されるものかを我々日本人は、悲惨な戦争の歴史から学ぶ事が出来た筈だ。

 平和とは戦時には弱腰にも聞こえるが、大局的な戦略の元で平和国家の繁栄を追及する事が一番重要に思える。しかしこれも、(見方によればだが)理想論に聞こえなくもない。 
 全ては結果次第だが、結果から学ぶのと歴史から学ぶのは大きく異なる。当時の追い詰められた旧日本軍からすれば、何をやったとしても結果は変わらなかったかもしれない。
 ただ石原莞爾が訴えた様に、日中戦争は全くの余計だった。これは結果から知り得たものではなく、歴史から学んだものである。

 ハワイを落としても(サンディエゴを落さなければ)アメリカ太平洋艦隊はビクともしない事が判りきってながら、あえて奇襲に出た。
 本当に山本五十六は講和が目的だったのか?ひょっとしたら”アメリカに勝てるのでは”と少しでも(軍人としての)欲が出たのではないか?
 軍人としての長年の経験と勘が、山本五十六を狂わしたとしたら?

 彼は日露戦争の英雄と奉られるが、日英同盟がなかったら、日本は100%負けていた。
 これまた結果論だが、どっち転んでも最悪の事態は避けれなかった様にも思える。
 一方で、旧陸軍が日中戦争を引き起こした時点で、アメリカとの講和は泡と化した。満州事変だけだったら、石原莞爾が主張する様な大局な戦略も立てられたのだろうが・・・
 真珠湾の奇襲は決して山本だけの責任でない事は明白だが、既に国家の英雄だった彼がとても難しい立ち位置にある事は確かでした。上の言う事も聞かなアカンし、持論も主張しなければアカン。
 日米講話を全面に打ち出しても、イケイケの陸軍が聞き入れる筈もないし、二・二六事件以降、海軍も派閥争いでドロドロしていた。

 そんな中で、冷静な判断を下せという事自体が無理な話なのかもしれない。
 誰が海軍大臣になっても、いや誰が参謀本部になっても、真珠湾への奇策は避けられなかったのかもしれない。
 しかし何度もしつこいが、(何においても)負け方にも程がある。
 そう思うのは私だけだろうか?



2 コメント

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Unknown (水仙)
2023-08-24 00:28:14
名前こそよく知っていましたが、実態はよく知らなかった山本五十六という軍人のことが勉強できました。

だから戦争はしてはいけないんですよね。戦争になれば、神様ではない人間が絶対的権力を握って無辜の庶民を簡単に死なしめてしまう。

平時なら殺人として裁かれる犯罪を奨励して人が人を殺すことを美化する。そんな戦争が今も世界のあちこちで進行している。

我々庶民は山本五十六の実態を知って戦争にならないよう政治家を選別していかなければならないと思います。それが一番難しいことですが…。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-08-24 05:48:12
山本五十六を暗に?批判する記事はこれで二度目ですが
戦争って過去のヒーローですら無能にしてしまう。
東条英機は陸軍の反発が怖くて
山本五十六は陸軍に負けまいとして
日米開戦に突入した。
つまり、バカな陸軍が暴走した時点で太平洋戦争の悲劇は決定的なものになりました。
だったら、2・26事件(1936)の時に海軍と陸軍で戦争してた方が結果的には平和だったかもです。
どうも戦争のテーマになると愚痴っぽくなりますね。
いつもコメント有り難うです。
それに今年の夏は暑いので体に気をつけてです。
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